青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『パストラリア』ジョージ・ソウンダース

f:id:abraxasm:20200219153825j:plain

ジョージ・ソーンダーズがまだソウンダースだった頃、初めて日本語に訳された短篇集。『十二月の十日』を読んで、その魅力にハマったので、これまでに訳された本を探してきては読んでいる。訳者の岸本佐知子が「登場する人物は、ほぼ全員がダメな人たちだ。貧乏だったり、頭が悪かったり、変だったり、劣悪な環境下で暮らしていたり、さまざまな理由でダメでポンコツな人物たちが、物語を通じてますますダメになっていく」と書いているが、その作風は初期の頃から確立していたようだ。

巻頭に置かれた表題作「パストラリア」の主人公も劣悪な環境下にある。客がほとんどやってこない、奥地のアトラクションに住み込みで勤務し、原始人に扮して洞窟で暮らしている。誰も来ないのに、二人きりの洞窟で相手との会話が禁じられている(原始人なので)。律儀にそれを守り、ジェスチャーで相手と意思疎通しようとする男と、平気で口を利き、見物客と喧嘩をする女との、どこまで行ってもすれちがうやり取りが絶妙。

景気が悪く、他のアトラクションが閉鎖され、仲間が次々と去っていくなかで、自分の首を心配しながら不自由な生活を送る二人。彼らは相互監視のシステムで、相手に関する評価書を書かされている。生き残りを賭けて、相手を売るかどうか迫られている、というのが実情だ。ソーンダーズは、資本主義社会のシステムに押しつぶされる人間を描くのが得意だ。二人の姿はSF的意匠で誇張されているが、一皮剥けば現代社会のリアルな表現である。

サイレントの喜劇映画を見ることがある。主人公は散々な目に遭っているのに、観客である我々はそれを面白いと笑って観ている。ソーンダーズの小説を読むことには、それと同じアイロニーが潜んでいるように思う。表現は露悪的にまで過激で、状況は劣悪、事態は加速度的に悪化していく中で、人物は二進も三進もいかなくなる。切羽詰まった姿は確かに滑稽だが、よくよく考えてみれば、彼らの置かれている立場は我々自身の姿だろう。

サイレント映画の人物は無言だが、ソーンダーズの描く人物は、すこぶる饒舌だ。妄想が逞しく、そこまで言わなくてもと思えるほど、自分の内心を吐露したがる。おまけに自己を卑下するのが特徴で、これでもかというくらいに自分のダメなところを強調する。足の指がなかったり、デブだったり、いい年をして女性経験がなかったり。自分がダメでない場合でも、面倒を見ている家族はダメダメで、いつも苦労させられている。

中でもユニークなのは「シーオーク」だ。主人公の「おれ」はスラム街に住み、Tバック姿で女性客の相手をするストリップ・バーに勤め、一向に働こうとしない家族を養っている。仲間うちには禁じられているペニスを見せてチップをせしめている者もいるが「おれ」はそこまではしない。ここでも主人公は規則を守る側にいる。劣悪な状況に置かれていても、ソーンダーズの描く人物は基本的に根が真面目なのだ。だから、他の者のようにはいい目を見ることができない。

そんなある日、家に強盗が入り、「おばちゃん」が殺される。貧乏な一家には段ボールでできた棺桶しか買うことができない。分割払いでバルサ材の棺桶にランクを上げて埋葬を終える。ところが、その「おばちゃん」が帰ってくる。勿論死んでいるのだが、腐敗が進む死体の姿で「おれ」を叱咤する。「明日からおまえは、客にチンチンを見せるんだ。見せて見せて見せまくるんだ」と。残された家族が心配で死にきれなくて戻ってきたのだ。

腐敗は進行していく。一日一日、時が過ぎるままに腕がもげ、足がちぎれ、椅子の上に腰かけていられなくなる「おばちゃん」の姿がシュールだ。それでも叱咤は続く。「おれ」は心を入れ替え、ペニスを見せて金を稼ぐようになる。お陰で安全な地区に引っ越し「おばちゃん」の墓も立てることができた。夢の中で「おばちゃん」は言う。「すべてを手に入れる人間もいるっていうのに、あたしはどうしてなんにも手に入れられなかったんだ? どうしてなんだ? いったいどうしてなんだ?」。ユーモアに塗してはいるが、絶叫だろう。

他に、少し頭の弱い妹の世話に手を焼き、自己啓発セミナーを受けることで、自分本位の生き方を見つけようとする兄と妹の同居生活を描いた「ウインキー」、いじめられっ子が、頭の中で仕返しを考えながら自転車を走らせる姿を描く「ファーボの最期」、体の大きい女を好きになり、様々な妄想に耽る床屋の日常を描く「床屋の不幸」、影の薄い男が、滝に落ちようとするボートに乗った女の子の姿を見つけ、川に飛び込むかどうしようかと躊躇逡巡する様子を描く「滝」の四篇を含む六篇を所収。どれも、ソーンダーズならではという、独特の味を堪能できる。