青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『天使は黒い翼をもつ』エリオット・チェイズ

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愚かな国民が、およそ史上これほどまでに無能で、人間性のかけらもない最低の屑を為政者として長年放置していたために、伝染病を蔓延させることになり、人々は為すすべもなく、家に閉じこもり、手洗い、うがいより他にすることのない生活を送る羽目に追いやられる。外に出て憂さを晴らすことのできない市民は、物語に興ずるよりほかにすることがない。これではまるで『デカメロン』の世界ではないか。

そんな時に読むに最適かどうか、とにかく暗い情念が行き場を求めて彷徨い、最高にクールな犯罪を成し遂げ、悲劇的な終りを迎えるノワールの傑作を紹介しよう。一九五三年というから、チャンドラーの『長いお別れ』と同じ年に刊行されている。あのブラック・リザード版のクライム・ノヴェルである。一読、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』を想起させる、一組の男女が手を染めることになる犯罪の顛末を綴った小説である。

掘り出し物というのはこういう作品をいうのだろう。とにかく、文章が生き生きしている。登場人物のイキがよくて、読んでいて気持ちがいい。主人公は勿論だが、こんな呼び方は今では、あまり歓迎されないのかもしれないが、ヒロインが最高だ。ファム・ファタル史上最強と言ってもいい。いい家の生まれで美人、美脚の持ち主というのはよくあることだが、車の運転が達者、というところがポイントが高い。

というのも、この小説、監獄の中で練られた犯罪計画を、脱獄囚の生き残りが完遂するというのが主筋。その犯罪にはハウストレイラーが必須で、実行犯と逃走を助けるドライバーが組む必要があった。相棒のジーピーは脱獄の途中、看守に撃たれ、無残な最期を遂げる。独り残された主人公は計画の実行を胸に抱き、油井の試掘で働きながら、その日を待っていた。仕事が終わり、金が入った。風呂に入り、売春婦を待っていたところ、とんでもない上玉が現れる。それがヴァージニアだった。

田舎町の売春婦じゃないことは見てすぐわかる。都会から逃げてきたのだ。意気投合した二人は男のパッカードに乗って旅に出る。男は頭の中で、いつでも女を捨てられると考えていた。女の方は隙を見て、男の金を奪って逃げる算段。ところが、女が逃げるたびに男は必死になって探し回る。金の奪い合いで殴り合ううち、男は女の腕っぷしと気風の良さに惚れこむ。試しに車を運転させてみると、左のフェンダーをセンターラインぎりぎりに寄せ、滑るように走らせる。

チャファラヤ川から始まる小説はミシシッピ州ルイジアナ州、テキサスを抜け、ニューメキシコからコロラド州、デンヴァ―へとアメリカ中西部を旅するロード・ノヴェル。旅の終わりは、かつて金鉱でにぎわった町、コロラド・スプリングスのクリップルクリーク。その山中にある見捨てられた立坑が、重要な役割を果たす。ケイティ・ルウェリンという女性の名がつけられた底の知れない直方体の虚空である。

主人公のティム、本名はケネスだが、彼はアメリカの自然をこよなく愛している。西部の渇き切った空気と、そのため本来の青さを失った空の色、南部の湿り気を帯びた空気とその匂いを。そんな野生児が、親の見栄で金もないのに大学にやられる。そこで、苦学をするうちに虚飾に満ちた世界に対する反逆の芽を育てる。やがて、招集され太平洋に。ルソン島で日本軍の捕虜となり、灼熱の地獄の中一万人の捕虜とともに檻に閉じ込められる。これがトラウマとなる。

彼は閉鎖空間に閉じ込められることに耐えられない。それなのに、戦争で頭に金属片が入ったままの男はブチ切れて犯罪を犯し、ブルースによく出てくるミシシッピ州のパーチマン・ファーム(刑務所)に送られる。何も考えなければただの四角い檻の独房が、なまじ大学を出た男には精神を病むほどの場所になる。檻を破り、解放された空間に出ることが彼の至上命題となる。閉ざされた直方体というのが鍵だ。ハウストレイラーも、立坑も、現金輸送装甲車も、ホテルの部屋も監獄も、皆その暗喩に過ぎない。

本人は気づいていないが、現金輸送車を襲うことは、そこに閉じ込められた金を解放することを意味する。それなのに、虚空の檻を更なる虚空の檻に閉じ込め、それを立坑に封じ込めるという三重の監禁という罪を犯した男は、その報いを受けることになる。あれほどまでに愛し合った女とは現金強奪後いまひとつしっくりいかず、虚しく遊び暮らし、やがて追われる身に成り果てる。

ノワールの常とはいえ、罪を犯した男女の逃避行は正視しがたい。あれほど華麗な犯罪を成し遂げた二人が、警察に追われるきっかけというのが何ともつまらない事件のとばっちりを受けたに過ぎないとは。もっとも、それで二人の絆は深まり、もう一度、閉ざされた檻からの解放という至上命題を完遂することになる。しかし、それは男の側の宿命であって、女のものではない。どこまでもついて行きたい男であったが、女は男の底知れない虚無を怖れてもいた。

雪の舞うケイティ・ルウェリンで起きるラストが、ノワールとは相容れない白銀の世界というのが何とも言えない。作者によるせめてもの贈り物なのだろうか。会ってはいけない二人の男と女が、たまたま出会ってしまったために起きた悲劇を、降りしきる雪が悼むように見つめる。男は閉じ込められた閉鎖空間の中で、自分の身代わりになり、ぽっかりと空いた虚空の中に封じ込められた女を、束の間の夢のような自由を思い出し、ひたすら綴ることに残りの人生をかける。筆舌に尽くしがたい究極のノワールである。