青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『バーニング・ワイヤー』ジェフリー・ディーヴァー

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安楽椅子ならぬ車椅子探偵、リンカーン・ライム・シリーズ九作目。四肢麻痺で動かせるのは首から上と右手の指だけだが、警察にもない機器を自宅にそろえ、公私ともにパートナーのアメリア・サックス、ルーキーのロナルド・プラスキーを手足として駆使し、微細証拠をもとに捜査にあたる。犯罪学者としての豊富な知識、これまでの捜査活動を通じて得た仲間の協力が彼を支える。

ホームズにモリアーティ、明智小五郎に二十面相、とシリーズ物に欠かせないのが宿敵の存在だ。ライムの好敵手はウォッチメイカー(時計屋)。神出鬼没の殺し屋だが、ライムと互角の頭脳を持つ逃亡中の天才犯罪者だ。そのウォッチメイカーが空港で目撃され、メキシコ警察の手で逮捕されそうだという連絡が入る。ライムにとっては最重要事件だが、同じ頃ニューヨークでバスが高圧電流による爆発を受けて大破し、犠牲者が出る。

ニューヨーク市警は、ライムに捜査を依頼。FBIをはじめ、捜査員の面々がライムのアパートに集合する。FBIニューヨーク支局長補マクダニエルはテロを疑っていた。最新技術を駆使する急先鋒で、ネットや携帯から得られる情報を分析する捜査を得意にしている。それによると組織の名や首謀者の名が囁かれているらしい。潜入捜査を得意とするフレッドは情報屋を通じて情報を得る自分の方法に自信をなくしかけている。このアナログとデジタルの暗闘がストーリーを裏で牽引している。

今回、犯人が用いる犯罪方法が、電気によるもの。高圧電流を放電したり、建物の内部に密かに電流を流し、金属部分に触れたものが感電死するというおぞましい殺人方法だ。狙われているのはアルゴンクイン・コンソリデーテッドという電力会社。そこのCEOであるアンディ・ジェッセンは太陽光など地球にやさしい発電に消極的で、従来通りの石炭火力から脱却する気がない。犯人は、どうやら環境テロを起こすことで、その姿勢を改めさせようとしているらしい。

電力会社のネットワークに侵入するにはパスコードを取得することが必須だ。それに、犯行を行うには高度な専門知識と技術が必要になる。ライムは内部にいる者の犯行だと目星をつける。アメリアたちが採取した微細証拠から、四十代の金髪男性で病院に通院歴があることがわかり、該当者を絞っていくと、レイ・ゴールトという社員が浮かび上がる。しかし、犯人から次の犯罪予告が送りつけられ、ライムたちは現場の絞り込みに躍起となる。それをあざ笑うかのように犯人は次々と殺戮を繰り返す。

リンカーン・ライム・シリーズといえば、二転三転するどんでん返しが売り物だ。今回もそれはたっぷり用意されている。まず、犯罪動機が表向きの環境問題にあるのではなく、隠された真の動機が明らかにされる。ホワイトボードに列挙された被害者には表面上に現れていない共通点があることにライムは気づく。ひょっとしたらこれは、本当に殺したい人間の関連を隠す目的で無差別テロに見せかけているのではないか、というのだ。

シリーズ物も、何作も続くと常連の人物には新味が乏しくなる。そこで、味つけとして、その作品にだけ登場する魅力的な人物が登場する。今回は、トーマス・エジソンを尊敬する発明家でもあるアルゴンクインのプロジェクト責任者のチャーリー・サマーズがそれだ。ジャンク・フードをドリンクで流し込みながら、紙ナプキンにアイデアを書きまくる、子どもがそのまま大人になったような人物。しかし、電気に詳しいだけでなく、頭脳も意志力も併せ持つ愛すべきキャラだ。

実はチャーリーはCEOであるアンディの方針とは異なる代替エネルギーの開発に熱心で、太陽光発電にも関心を示していた。殺された人物の中に、その事業に関わるビジネスマンが含まれていたことや、微細証拠の中にアンディの物と思われる物が残されていたことから、ライムたちはアンディとその弟の関与を疑う。犯行はこれ以上の代替エネルギーの振興を食い止め、アルゴンクインの軌道を安定させるのが目的なのだろうか。

ルーキーを育てようとするライムの心配りにも関わらず、過去のトラウマから逃れられずに自動車事故を起こしてしまうプラスキーの動揺が傷ましい。ショックを受けるルーキーにあくまでも冷徹に接するライム。一方、フレッドは信じていた情報屋に大金を騙しとられ、すっかりやる気をなくすが、妻に尻を叩かれて潜入捜査に戻り、とんでもない事実に遭遇する。まったく無関係と思っていた事実と事実が結びつき、あっと驚かされる。

追う者と追われる者との間に生まれる一体感というのだろうか。ライムとウォッチメイカーとの間には友情めいた思いすら感じられる。そのウォッチメイカーとライムとの直接対決もラストに用意され、ここでもいつものように読者は一杯食わされる。エピローグである「最後の事件」は、すべて解決された物語の最後に置かれた、いわばおまけのようなものだ。それなのに、周到に用意された伏線と叙述トリックにすっかり騙されてしまう。そうそう簡単に終わらせてなるものか、という作者の思いがたっぷり詰まった渾身の一篇である。