青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『靴ひも』ドメニコ・スタルノーネ

f:id:abraxasm:20200331180026j:plain

父と母、兄と妹の、どこにでもいるごく普通の四人家族の話なんだけど、読んでいると、だんだん胸のあたりが痛くなってくる。普通の小説はここまで本音を書かない。人って、普通、本音で生きていない、だろう? ちがいますか? あなたは本当にしたいことをして、言いたいことを言っていますか? そんなことをしたら、周りにいる人を傷つけることになるし、一週間もしたら、口をきいてくれる人がいなくなるでしょう?

それだからこそ、人は、嘘とは言わないまでも、建前で生きている。少なくとも、この国に暮らすたいていの大人は。舞台になってるのはイタリアだけど、イタリア人だって、そうはちがわないと思う。日本人よりは本音の割合が多いのではないかとは思うけれどもね。ところが、この小説に出てくるアルドという男は、三十四歳のある日、若い女性に魂を射抜かれ、妻子のことを放り出して、その娘と暮らし始める。

この小説は、三つの部分に分かれていて、それぞれ、視点人物も、語り口も、時代も異なる。「第一の書」は、書簡体小説の体裁がとられている。手紙は九通。書き手はヴァンダ。アルドの妻で、サンドロとアンナ兄妹の母親である。一通目は、自分たちを捨てて別の女に走った夫に本当の気持ちを聞かせてほしいと訴える手紙である。初めは一時の気の迷いではないかと思った妻は、夫との話し合いを通じて、夫に帰る気がないことを知る。ヴァンダは夫と別居し、子どもと暮らし始める。

「第一の書」は、妻から見た視点で貫かれており、いかに夫が身勝手であるか、切々と訴えかけてくる。それだけでなく、過去を忘れたいだろう夫に、結婚した当時の話を思い出させるふりをして、それがいつ、どこのことで、今は何年、何月になっているかを読者に教えてくれる。二人がナポリで結婚したのは一九六二年、アルドが二十二歳のとき。今はそれから十二年後。三年後に長男のサンドロ、七年後に娘のアンナが生まれている。最後の手紙で、サンドロが十三歳と書いてあり、手紙の書かれたのが一九七八年であることが分かる。

「第二の書」は、夫の独白体。「私」は七十四歳で、時代は二〇一四年のローマ。どうなっているのか分からないが、妻はヴァンダで七十六歳というから、何と元の鞘に収まっているらしい。めでたし、めでたしと言いたいところだが、どうもそんな様子ではない。夏のヴァカンスに出かけるところから始まるが、最初から波乱含み。妻は猫のラペスを残していくのが不安で兄妹に世話を頼むのだが、四十代の兄妹は伯母の遺産争いで不仲になり、今では顔も合わさない。父親が餌やりのスケジュールを調整し、やっと旅行にこぎつけたところだ。

事件が起きるのはヴァカンスから帰った後だ。部屋が荒らされ、家具は壊され、家じゅう足の踏み場もない荒れようだ。不思議なことに金目の物は盗られていないのに、猫のラペスがどこにもいない。警察はロマの仕業を疑い、妻は猫が誘拐されたと考える。夫は秘密の隠し場所が空になっていることに気づく。そこにはかつて愛したリディアの写真(ヌードを含む)が隠してあったのだ。もしや、その辺に散らばっているのでは、と妻の目を怖れ、血眼になって探し回り、見つからないとなると、写真を奪った犯人が強請に使うのではと不安になる。

探している間に、妻が長い間ため込んでいた写真や手紙が次々と現れてくる。過去の回想を通して「私」は、五十二年という結婚生活の「複雑に縺れ合った時間の糸」を解いていく。何故、愛するリディアと別れ、妻のところに戻ったのか。戻ってから夫婦は元通りの関係に帰れたのか。ローマの大学で教鞭を執る夫は、感情的な妻と比べると知的で、周囲の人間にも愛されている。初めは一時の好奇心でつきあい始めた若い女の魅力に、次第に真剣になっていく過程が正直に語られる。視点が変われば、読者は視点人物の眼で事態を見るので、あれほどいい加減な男に見えた夫の気持ちもそれなりに理解できてくる。

一口でいえば「中年の危機」だ。自分は本当にこれでいいのか、もっとやるべきことがあるのでは、という疑念をちらと抱いた時、若さと美貌、財産も住処もある、気立てのいい女性が目の前に現れたのだ。一度くらい本音で生きてみたい、とついその気になってしまう中年男をなかなか責められない。しかし、反省して家に戻った男を、妻は本音では赦していない。「昔から妻がこれ見よがしに私の生活全般を取り仕切り、私は抗わずに指示に従っている」という一文に、夫の不満が透けて見える。放蕩息子は妻の機嫌を窺って生きる人生を選ぶしかなかったようだ。

「第三の書」は、アンナの視点で描かれる数時間の「いま」。会話相手は兄のサンドロだ。ミステリならこれが謎解きの解決篇にあたる。妹は兄に訊きたいことがあった。会うのを渋る兄をうまく言いくるめて、二人は親の家で会うことに。表題の「靴ひも」が、やっとここで登場する。家を出て行った父と兄妹が再び一緒に暮らすことになるのは、兄の独特の「靴ひも」の結び方が、父親のそれと全く同じだったことがきっかけだった。兄の語る昔の話で、父と母の秘密を知り、猫の名前の真の意味が明らかになる。最後になって、それまで曲がりなりにも成立していた「家庭」が一気にちゃぶ台返しされる。

幼い頃に父親に捨てられた娘が親をどう思うか。それよりは少し年端のいった兄の方は両親の関係をどう見て育ってきたのか。子どもの目に映る親の姿を、ここまであけすけに聞かされるのは、親としては辛いものがある。ここまでひどい父親ではなかったと思いたいが、仕事にかかりきりで、夏の旅行のときくらいしか、まる一日一緒につきあったことがない。夫婦喧嘩をするところも見られている。どんな思いで育ってきたのか、知りたいようにも思うが、本音を知るのは怖い。そういう意味で「怖いもの見たさ」の心理をうまく衝いた「家庭小説」。問題のない人生を生きている人にはお勧めしない。脛に傷持つ人は、覚悟して読まれたい。