青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

書評

『11月に去りし者』ルー・バーニー

フランク・ギドリーはニュー・オリンズを牛耳るマフィアのボス、カルロス・マルチェロの組織の幹部。一九六三年、カルロス・マルチェロとくれば、ケネディ暗殺事件がからんでくる。ジェイムズ・エルロイの「アンダーワールドU.S.Aシリーズ」でお馴染みの名前…

『オーバーストーリー』リチャード・パワーズ

まず、ジャケットが出色。巨木の根元に陽が指している写真の上にゴールドで大きく書かれた原語のタイトルがまるで洋書のよう。角度を変えるとタイトル文字だけが浮かび上がる。最近目にした本の中では最高の出来である。表紙、背、裏表紙を広げるとカリフォ…

『昏き目の暗殺者』マーガレット・アトウッド

『昏き目の暗殺者』という表題は、作中に登場する二十五歳で夭折したローラ・チェイスの死後出版による小説のタイトルである。小説の中で売れない物書きの男が女にお話をせがまれて頭の中の小説を話して聞かせる。ウィアード・テイルズのような、扇情的な表…

『タタール人の砂漠』ディーノ・ブッツァーティ

長い間、小競り合いと呼べるほどの戦闘すらなかった隣国と境を接する辺境の砦に新任の将校が赴任する。時を同じくし、今まで微妙な均衡の上に成り立っていた両国間の戦争と平和のバランスにかすかな亀裂が生じ、それがやがて運命的な悲劇を招き寄せることに…

『セロトニン』ミシェル・ウエルベック

私事ながら、読書を除けば趣味というものがない。昔はいろんなことに手を出したが、今は何もする気になれない。猫と暮らすようになってからは、あまり外へも出かけなくなった。仕事以外に人とのつきあいがなく、退職後は年に二度、夏と冬に学生時代の友人と…

『わたしのいるところ』ジュンパ・ラヒリ

わたしたちが通りすぎるだけでない場所などあるだろうか? まごついて、迷って、戸惑って、混乱して、孤立して、うろたえて、途方にくれて、自分を見失って、無一文で、呆然として(傍点四七字)。これらのよく似た表現のなかに、わたしは自分の居場所を見つ…

『レス』アンドリュー・ショーン・グリア

『レス』というのは主人公の名前である。最近では珍しくなったが、『デイヴィッド・コパフィールド』しかり、『トム・ジョウンズ』しかり、長篇小説の表題に主人公の名前をつけるのは常套手段だった。原題は<LESS>。これが「(量・程度が)より少ない」と…

『カーペンターズ・ゴシック』ウィリアム・ギャディス

二〇一九年に日本翻訳大賞を受賞した『JR』は、ウィリアム・ギャディスの第二作。本書は『JR』に次ぐ第三作である。国書刊行会から新刊が出たばかりだが、こちらは二〇〇〇年に本の友社から出されたもので、訳者による記念すべき最初の小説の翻訳である。『J…

『シルトの岸辺』ジュリアン・グラック

皆川博子著『辺境図書館』で興味を持ち、読んでみた。忽ち後悔した。なぜもっと早く読もうとしなかったのか、と。第二次世界大戦が終わって間もない頃に書かれた小説でありながら、まったく古さを感じさせない。原作がそれだけ優れているのだろうが、安藤元…

『パリンプセスト』キャサリン・M・ヴァレンテ

「訳者あとがき」も「解説」もないのは原作者の意図だろうか。冒頭から、いきなり隷書体めいたフォントで「十六番通りと神聖文字通りの角で、ひとつの工場が歌い、溜息をつく」と書き出されたら、慣れない読者は本を投げ出さないだろうか。ここはひとまずざ…

『モンスーン』ピョン・ヘヨン

久しぶりに「不条理」という言葉を思い出した。「観光バスに乗られますか?」など、ほとんどベケットだ。何が入っているのか分からない袋を運ぶように会社から命じられたKとSの二人は、袋をトランクに入れ、タクシーでターミナルに向かう。上司からはD市行き…

『マンハッタン・ビーチ』ジェニファー・イーガン

第二次世界大戦下のニューヨーク。エディ・ケリガンは一時、デューセンバーグを乗り回すほど、羽振りを利かせていたが、株の大暴落があってからは、すっかり落ち目に。今は養護院仲間で港湾労働組合委員長のダネレンに雇われ、裏金の運び屋稼業で辛うじて家…

『カルカッタの殺人』アビール・ムカジー

時は一九一九年。舞台は英領インド、カルカッタ(今のコルカタ)。スコットランドヤードの敏腕刑事だったウィンダムはインド帝国警察の警部として赴任して間がない。第一次世界大戦従軍中、父と弟、それに結婚して間もない新妻を失った。過酷な戦闘で自分一…

『短編画廊』ローレンス・ブロック他

エドワード・ホッパーという画家がいる。現代アメリカの具象絵画を代表する作家で、いかにもアメリカらしい大都会の一室や田舎の建物を明度差のある色彩で描きあげた作品群には、昼間の明るい陽光の中にあってさえ、深い孤独が感じられる。アメリカに行った…

『掃除婦のための手引き書』ルシア・ベルリン

作家は小説を書くために波乱万丈の人生を送ってきたわけではないし、過酷な人生を送った誰もがいい作家になって小説を書くわけでもない。ただ、ルシア・ベルリンに関していうなら、彼女がこんな人生を経験していなかったら、そして、魂というか、人間の内部…

『ある一生』ローベルト・ゼーターラー

読ませようという気があるのか、と言いたくなるタイトル。原題が<Ein ganzes Leben>だから、直訳だ。すべてが、ここに集約されている。削りに削りまくった、飾り気とか色気とか、そういうものが一切ない、必要最小限度のもので成立している長篇小説。長さ…

『ヒッキーヒッキーシェイク』津原泰水

タイトルがどっかで聞いたことがあると思って口ずさんだら、曲調を覚えていた。カバー・イラストにあるのと同じ型のベースを持ったマッシュルーム・カットのポール・マッカートニーが『ヒッピー・ヒッピー・シェイク』と歌っていた。「ヒッキー」が引きこも…

『方形の円』ギョルゲ・ササルマン

古い地球儀の極の方に「テラ・インコグニタ」と記された土地がある。誰も足を踏み入れた者がいないため、地名は勿論、地勢も植生も何が棲んでいるのかも分からない、未知なる領域のことである。誰も知らない土地、世に忘れられた世界のことを書いたものには…

『七つの殺人に関する簡潔な記録』マーロン・ジェイムズ

おちょくってるのか。簡潔な記録だと。A5版七百ページ二段組。厚さ五センチ。重さ一キログラム超。まさに凶器レヴェル。放ったらかしにしてあった妻の実家の庭の草刈りをした後で手にしたら、手首が震えて床に落としそうになった。『JR』以来、厚手の本を読…

『イタリアン・シューズ』へニング・マンケル

スウェーデンの冬は寒い。海まで凍りついてしまう。毎朝、島の入り江に張った氷を斧で叩き割って穴を開け、その中につかるのが「私」の日課だ。寒さと孤独と闘う、と本人はいうが、自分に課した懲罰のような行為だ。元医師のフレドリックは六十六歳。昔はス…

『ウェルギリウスの死』ヘルマン・ブロッホ

大学時代、同じゼミにいた友人が、岩波文庫版の『アエネーイス』について話すのを傍で聞いたことがある。ギリシアを代表する詩人、ホメーロスの代表作が『イーリアス』、『オデュッセイア』だとすると、ローマでそれにあたるのが、神々の血を引く英雄アエネ…

『海の乙女の惜しみなさ』デニス・ジョンソン

表題作「海の乙女の惜しみなさ」を筆頭に「アイダホのスターライト」、「首絞めボブ」、「墓に対する勝利」、「ドッペルゲンガー、ポルターガイスト」の五篇からなる短篇集。「私、俺、僕」と作品によって異なる人称に訳されてはいるが、英語ならすべて<I>…

『路地裏の子供たち』スチュアート・ダイベック

古い日本映画を見るのが好きだ。外国映画も好きだが、出てくる風景に見覚えがない。日本の映画なら別に名作でなくても、背景になっているちょっとした風景が、まるで記憶の中にある少年時代のそれと重なって見える。ごくふつうのどこにでもある田舎町の何で…

『翼ある歴史-図書館島異聞』ソフィア・サマター

前作『図書館島』をすでに読んでいたとしても、本作を読むのにあまり役には立たないかもしれない。聞きなれない名前が矢継ぎ早に登場し、あらかじめ何の情報も知らされていない人物が突然行動を起こす。あれよあれよという間に、事態は戦闘状態に入ってゆく…

『ピュリティ』ジョナサン・フランゼン

記憶が定かでないのだが、すべての小説は探偵小説であるという意味の言葉をどこかで読んだ覚えがある。すべてかどうかは知らないが、たしかに面白い小説に探偵小説的興趣があるのはまちがいない。ページターナーと称される作品には、読者の前に必ず何らかの…

『夜のアポロン』皆川博子

76年から96年までに発表されてはいるものの、単行本未収録であった短篇を集めたものである。著者自身は原稿も掲載誌も残しておらず、編者が当時の掲載誌を捜し集めたという。初出は「小説宝石」をはじめとする小説誌で、今では廃刊になっているものもあ…

『飛族』村田喜代子

タイトルを目にしたときは中国の少数民族の話かと思った。まさか、イカロスでもあるまいに、人が空を飛ぶ話になるとは思わなかった。イカロスは羽根をつけて飛ぶのだから、それとはちがう。この小説では人が鳥に変身する。空を自由に飛びたいなどという、ロ…

『ニックス』ネイサン・ヒル

私小説というわけでもないのに、作家が主人公の小説というのがけっこう多い気がする。やはり、自分のことを書くのが作家の基本なんだろうか。読者の方は、別に作家志望とかでもないだろうに、やっぱり作家が主人公の小説が好きなんだろうか。よくわからない…

『みかんとひよどり』近藤史恵

陽のあたる縁側に、何度綿を打ち直してもすぐにぺたんとなってしまう縞木綿の座布団を敷いて、その上に座る一人の老女。庭の奥には亡夫が丹精した蜜柑の木に木守めいて残る黄金色の果実に一羽の鵯がきて止まり、さかんに実をついばんでいる。手にした湯飲み…

『ハバナ零年』カルラ・スアレス

電話を発明したのは誰か、ときかれたら、たとえあなたが図書館で『発明発見物語』を読んでいてもいなくてもグラハム・ベル、と答えられる。「電話のベル」と覚えやすいからだ。ところが実際はそうではないらしい。イタリア人のアントニオ・メウッチなる人物…