青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『女ざかり』丸谷才一

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丸谷才一が亡くなった。ジェイムズ・ジョイスの訳者として、博識を洒落のめしたスタイルで軽妙に綴った数々のエッセイの書き手として、また日本における書評文化の担い手として、そして何より、『女ざかり』その他の長編小説の作者として八面六臂の活躍ぶり、まことに異能の人であった。『日本文学史早わかり』や『文章読本』など、文学評論の書き手として早くから注目していたが、風俗小説の名手として知ったのは、割合に遅かった気がする。あらためて『女ざかり』を手に取った。


新聞社の論説委員である弓子は、着任早々「妊娠中絶」の是非を問う論説文を書く羽目になる。家庭内のいざこざもあって気がくさくさしていた弓子の文章の論調は、男性優位の社会に対する非難の色濃いものとなってしまうが、それと時を同じくして弓子に事業部異動の声がかかる。裏に何かあると思った弓子は各方面の伝手を頼りに情報を集める。どうやら新社屋用の土地取得の件に弓子の処遇がかかっていて、その原因は例の論説文らしい。持てるコネを総動員して不当人事と戦う弓子と、彼女を助ける男たちの活躍を描いた小説。


丸谷の目論見を、弓子流に箇条書きにすれば、
1.新聞社という、知っているようで知らない特殊な場を基点に政治の舞台裏を描く。
2.新聞記者や大学教授とのインテリジェントな会話を通して日本に固有の文化を論じる。
3.妻のある男との恋愛を主題とした「姦通小説」を描く。
4.弓子の家を通して女系家族の人情や風体を描く。
5.論説文の書き方を具体例を用いて実践的に指南する。


1については、大手の新聞社で社屋用の土地の提供を国から受けていないのは一社しかない、とか論説委員の仕事ぶりの実際とか、選挙で票を買うのに使う茶封筒は選挙違反がバレるのを恐れて公示以前に別の地区で大量に仕入れるだとか、首相官邸の間取りだとか、相変わらず知らなくてもいいけど、知っていると面白い雑学がこれでもかというほど用意されていて、この手の逸話を小説の中にいくつも仕込んでいくその手並みは鮮やかなものである。


2について、日本という国はその心性的な基盤を近代以前のずっと古層に置いているのではないか。その一つが今も残るお中元やお歳暮といった贈答文化だという「贈与論」をはじめとして、なぜ政治家は「書」を揮毫するのかだとか、お得意の御霊信仰とか、日本人や日本文化についての、これは作家自身の持論あるいはエッセイ集などで論じたことのある興味深い見解をそのまま作中の人物の口を借りて思うがまま論じている。これは巧い手である。世間に対して何かいいたいことがあるとき、架空の登場人物の口を借りて云えば誰にも文句のつけようがない。だってフィクションなんだから。


3の「姦通小説」について言えば、『アンナ・カレーニナ』や『ボヴァリー夫人』をはじめ、西洋では「姦通」を主題にした小説は枚挙に暇がないが、日本に少ないのは「姦通」を描いた小説が禁じられていたからで、娼妓との関係ばかりを主題にする「花柳小説」が多いのは逃げである。漱石の『それから』は、「姦通」という主題に正面から踏み切った画期的な小説である、という丸谷が漱石のひそみに倣ったものと思われる。


4は、着物や装身具という目に鮮やかな彩りを文章中に取り入れられるばかりでなく、着物の種類や帯との組み合わせに、人物の階層や趣味のよしあしを通じて人間を描くことができる。5については『文章読本』の著者なのだから当然。


弓子と同期に論説委員になった浦野という元社会部記者の押しが強く自信過剰のわりにどこか憎めない性格がよく描けていて、上品とはとてもいえないが品が落ち過ぎない程度のユーモアを醸しだしている。恋敵であるはずの弓子の不倫相手が浦野を認めているところも二人の男の器量を高めている。そういう男たちが惚れるのだから弓子の値打ちがどれほどのものか、ということだろう。


文芸誌に連載するというのでなく、長い時間をかけて「書き下ろし」というかたちで世に出されてきた丸谷の長編小説。これからはいつまで待っても読むことができない。実にさびしい。