『笹まくら』 丸谷才一
プロ野球の監督が選手にくらわすビンタに旧軍の悪弊を見て嫌悪の情をもらす骨がらみの軍隊嫌いである丸谷の根っこがあらわに出た代表作の一つ。
「オリンピック道路」という言葉が文中にあるから舞台は1964年ごろの東京。「文学部の全学生に神道概論が必須科目になっているような」大学の庶務課長補佐浜田庄吉は、理事の後押しもあって若い妻をもらい、課長への昇進を待つばかりだった。そんなある日「昔の恋人で、しかも命の恩人である女」の死を告げる黒枠の葉書が届く。庄吉は二十年前、正確には昭和十五年の秋から昭和二十年の秋まで、杉浦健次という偽名で全国を逃げ回っていた。旅先で出会ったその女は、徴兵忌避者である庄吉を終戦の日まで実家にかくまってくれていたのだ。
忘れようとしても忘れられない過去が、不意に平凡な日常生活の中に裂け目のようにあらわれる。徴兵忌避者という過去は、戦争が終わった今となっては誇ってもいいくらいのものなのに、庄吉は学校荒らしや貼り紙の指名手配犯のほうに自分の姿を重ねてしまう。彼は依然として逃げ続けている。いったい何から逃げようとしているのだろうか。
現在時の独白に過去の回想が突然侵入してくる。「意識の流れ」の「内的独白」の手法を駆使して、庄吉と健次の、戦後二十年たった今の暮らしと戦時中の逃亡生活が、交互に描き出される。一見平和な毎日だが、徴兵忌避者という過去は彼の経歴にまとわりついて放れない。学校荒らしを捕まえようとしなかった一事をもって「蒋介石やルーズベルトをこわがった奴が、泥棒をこわがるのは、当たり前でしょう」と陰口をたたかれる。
平凡であれかしと願い、目立たぬように大学の事務員として暮らす現在の生活と、同じように世間の目を懼れながらも、好きな機械いじりの技能を活かした時計・ラジオの修繕や同宿者に教わった「砂絵描き」で、全国津々浦々の祭礼を渡り歩くテキ屋暮らしのある意味自由気儘な暮らしが対比的に描かれる。息が詰まるのは一見平和を装う現在で、官憲を恐れていたはずの戦時中のほうが、したたかであったのはどうしてだろう。
一言で言えば戦争中の毎日は自分の思想信条と命を懸けた本物の「生」であるのに対し、戦後のそれは本来の自分を見失った偽の「生」であるからだ。それが証拠に、失職しそうになった彼を襲う妻の不祥事が明らかになったとき庄吉の心は何故か晴れやかになっている。
「彼らには彼らの、共通の運命がある。その共通性が、彼らの運命をいたわってくれるだろう。祝福してくれるだろう。そしてぼくにはぼくの・・・孤独な運命がある。ぼくはその孤独な運命を生きてゆくしかない。おれは自由な反逆者なのだ。」
引用した文章は、徴兵忌避者となった日の独白で小説の最後の部分を占める。体制に反逆していた者が、終戦によって、突っ張っていた壁が勝手に崩れてしまったことにより、生きる方途を見失う。二十年後、皮肉にも人生の危機といってよい状況が出来することにより、本来の自己を取り戻す。
表題の「笹まくら」だが、『俊成卿女家集』所収の越部禅尼の歌「これもまたかりそめ伏しのささ枕一夜の夢の契りばかりに」から採られている。「刈り、節、笹」という竹尽くしの技巧を凝らした恋歌だが、庄吉は「笹まくら」の一語に笹を揺らす音に不安な旅を連想すると学内の知人にもらす。それが最後には次のような独白に変化する。
「国家に対し、社会に対し、体制に対し、いちど反抗した者は最後までその反抗をつづけるしかない。引き返すことは許されぬ。いつまでも、いつまでも、危険な旅の旅人であるしかない。そう、危険な旅、不安な旅、笹まくら。」
「脛に傷持ちゃ、笹の葉避ける」という文句がある。世間並みの家庭を守ろうとするあまり、過去から目をそらし、忘れていた本来の自分、「自由な反逆者」であった自分を取り戻した主人公は、現在の生活が「これもまたかりそめ」と知ったのだろう。一つの歌語が一人の男の二様の人生を彩る。見事としか言いようのないタイトルではないか。