青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『パーフェクト・スパイ』ジョン・ル・カレ

たいていの小説は読み飽きて、手を出す気にもなれなくなったすれっからしの本読みが最後に手を出すのがスパイ小説。それもジョン・ル・カレの書くそれ。そんな気がしていた。主義主張や理想をふりかざして世の中を変革しようとしたり、どこまでも真理や真実を追究してみたりしたのも遠い過去の出来事となり、いつのまにか凡庸な日常が、それなくしてはままならぬがごとく、まるで水や空気のように身の回りを包んでいる、そんな毎日に不都合も不具合も特に感じなくなった男たちが手にとる読み物といえばル・カレくらいしか思いつかない。

だから、気軽に読みはじめたはずだったが、どっこいそうは問屋がおろさなかった。読み終えたあと、いささか胸にこみ上げるものがあった。いい歳をした男がスパイ小説を読んで身につまされるとは。いや、歳をとったからなのだろう。小説の出来のよさなら年齢にかかわらず分かる者には分かる。登場人物のもらす感慨が想像でなく実感できるには、やはりそれなりの時間が必要なのだ。しかし、それだけではない。ル・カレの作品の中でも、これは特別という気がする。

ある外交官がひとり息子にのこす回顧録という体裁をとった小説、とひとまずはいえるかと思う。ル・カレが書くのだから主人公の外交官という身分は当然のことながら偽装で、会社(ファーム)と呼ばれる英国情報部のスパイである。叙述の方法は例によって例のごとく入り組んでいる。とりあえず、小説はスーツにブラック・タイをしめ、手にはブリーフ・ケースとハロッズのグリーンのバッグをさげたハンサムで長身、英国上流階級の威厳を身に備えた五十過ぎの男が英国南デヴォン州の海岸町にあるミス・ダバーの下宿屋を訪ねるところから幕を開ける。父の葬式のため任地のウィーンからロンドンに飛んだマグナス・ピムは、式後妻の待つウィーンには戻らず、誰も知らない隠れ家にやってきた。父の死により長い間の確執も解け、身軽になったピムはここで念願の回想録にとりかかるつもりだ。

一方、行き先も告げずに消えたピムをさがして「会社」は大騒ぎになっている。連絡関係にある米国情報部内に以前からくすぶる、ピム二重スパイ説を真っ向から否定していた上司ジャック・ブラザーフッドは苦境に立つ。彼はピムの家族や関係者を尋ねて失踪の真意を探る。手がかりとなるのは、ピムが電話やメモに残した言葉だ。失踪直後の電話で同僚にファイルの有無を確認したオーストリア時代に何があったのか。「会社」から持ち出した機密書類廃棄箱(バーンボックス)の中身は。ウェントワースやポピーとはいったい何なのか。

現在時から過去への回想視点で語られる主人公の人生の軌跡の中に、一時間ほど前の出来事や、何年も前の異国の出来事の回想が入り込む。しかも、回想の推移につれ、息子トムへの語りかけであったものが、そのつど上司のジャックや、妻のメアリーへのそれにとってかわられる。そればかりではない。視点人物すら、ジャックやメアリー、米国情報部員レダラー、とくるくる入れ替わる。ジャックが追いかけるウェントワースやポピーといった人名の謎を解く鍵は文庫版の下巻にならないと出てこない。ル・カレ独特のしかけだ。ル・カレの小説は難しいという評を生む原因のひとつだが、そうやって小出しにされ、時間の前後関係を無視して提示された情報が伏線となり、類い稀なサスペンス効果を生む。

舞台となっているのは、戦前、戦中、戦後の英国、オーストリア、スイス、チェコそしてアメリカ。繁栄のあとの衰退をよそ目に英国上流社会に巣食うスノッブ達の遺産にたかる行状や堕ちてゆく貴族階級の頽廃的な生活のありさまをル・カレはシニカルに見つめる。一方で主人公ピムの愛する素朴なチェコの民衆が見せるボヘミア気質の裏には繰り返される大国の支配にさらされた結果、裏切りや密告、拷問が日常と化した過酷な社会体制がある。ピムは開けっぴろげで陽気なアメリカ社会に惹かれながらも、型や枠というもののないアメリカの流儀にはなじめない。暗号のコードブックにグリンメルスハウゼンの『阿呆物語』の古本をもってくる昔気質のスパイには、情報活動までコンピュータで計量化されたアメリカが象徴する新時代は合わないのだ。

この作品がル・カレの数あるスパイ小説の中でも特別だというのは人間の描き方だ。ジョージ・スマイリーに代表される、これまでの主人公には、卓越したスパイ技術とともに誰にも愛される人物像というものが備わっていた。それが読者をして読む悦びにひたらせていた。本作の主人公もたしかに多くの人に愛される。しかし、それらの人の口の端に上るピムの人物像はかなしい。最初の妻ベリンダの言葉。「あの人をこしらえたのは、あなたじゃないの。ジャック。あなたにいわれたら、なんでもする人だったわ。なれといわれた人間になり、結婚しろといわれた相手と結婚し、別れろといわれた相手と別れ」。愛人のケイトの言葉。<「彼は貝殻よ」と、ケイトがいった。「彼のなかにもぐり込んだヤドカリをさがせばいいのよ。彼について真実をさがしたってだめよ。あたしたちが彼に分けあたえた部分だけが真実よ」>云々。本作の主人公は、どうやら読者にあまり好かれそうな人物ではない。

ピムの父リックは名うての詐欺師で、幼少時からピムはその嘘で固めた人生の一隅で生きることを余儀なくされてきた。父や友人に愛されたくてついつい、つかなくてもいい嘘をつき、人の関心を得るため、口からでまかせをいう癖を身につけたピムは、いわば生まれついての「パーフェクト・スパイ」だった。この「自分というものを持たない」男の一生が作品の主題であることはいうまでもない。ちなみに父が詐欺師であったこと、ベルン大学、オクスフォード大学卒業後情報部入りという履歴は作家その人と重なる。自伝的色彩の濃い小説といっていいだろう。

ひとつの時代ひとつの場所をピムは文字通り懸命に生きる。相手に好かれよう、相手を幸せにしようとして。そのひたむきさに嘘はない。ただ、任地が変わり、相手にする人が変われば、過去はまるでなかったことのように忘れ去るのも事実。日和見主義者の卑怯なふるまいを戒めた寓話『鳥とけものの戦い』に出てくる蝙蝠のように、その場その場の相手に合わせて自分を作り上げてみせる人物を人は愛さない。

三人称で書きはじめられた物語がいつのまにか一人称で語りかけてくる。それは小説の中で、夫の創作メモを盗み見たメアリーの言葉として文章中にも登場している。つまり、いま読者が読んでいる小説が登場人物が執筆中の小説であるという「メタ小説」になっているわけで、どこまでも凝ったつくりになっている。完成度の高さはいうまでもないが、小説が完成に近づけば近づくほど、主人公の人間像が完璧なまでに空虚な存在に近づいていくという徹底的にシニカルな小説で、読者を選ぶ。主人公の正直な告白に共感を覚えながら、その索漠として空虚な人生の深淵をともに覗くことのできる人こそ読者にふさわしい。