青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『オラクル・ナイト』ポール・オースター

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アントワーヌ・ガランがオリジナルの『千一夜物語』に滑り込ませた『アラジンと魔法のランプ』は、舞台が中国になっていた。『オラクル・ナイト』で「魔法のランプ」にあたるのが、主人公がニュー・ヨークの街を散歩中「ペーパー・パレス」という見かけない文房具屋で見つけるポルトガル製の青いノートである。店主の名がM・R・チャンという中国人というのが象徴的だ。西洋人にとってはオリエントは魔法の国なのだ。

同じ青いノートは主人公の友人であり著名な作家であるジョンも使っている。ジョンは、そのノートの危険性については熟知しているようで、主人公に使い方に気をつけるよう注意を促している。どうやらそのノート、ランプの精よろしく、ご主人様の命令を実現する使命を帯びているらしいのだ。

主人公のシドニー・オアは作家。少し前に大怪我をして九死に一生を得たばかりで、現在は病み上がり。仕事を休止して毎日街を散歩しながら社会復帰を目指しているところ。その散歩の途中で青いノートに出会ったシドは、何故かたまらず欲しくなり、早速買って帰る。それまで、全然書く気が起きなかったシドは、青いノートを前にすると俄然創作意欲がわいてきて、この前ジョンに話を聞いたフリットクラフトの話を書いてみようと思いノートにペンを走らせるのだった。ダシール・ハメット作『マルタの鷹』第七章に登場するその挿話は、一人の男が危険な事故から一命をとりとめたことで、世の無常を感じ、すべてを放り出して別の街に行き新しい暮らしを始めるというものだった。

物語は、シドが現実生活を送るニュー・ヨークと、物語内物語であるニック・ボウエンの向かうカンザスの話が交互に語られ、それに語り手が施す詳細な註、さらにはシドがエージェントに依頼されたH・G・ウェルズ作『タイム・マシン』の映画脚本といった、オースターならではの複数の物語が錯綜する構造になっている。シドが執筆中の物語の主人公ニックは編集者という設定で、そこに送られてくる小説原稿の題名が『オラクル・ナイト』であり、当然、その物語も物語内物語として機能している。

物語内物語という構造は、『カンタベリー物語』や『デカメロン』、『千一夜物語』などに用いられている古典的な技法だが、オースター偏愛の物語技法である。どうやら、ポスト・モダンの仮装をかなぐり捨て、本来のストーリー・テラーとして生きることを選んだらしいオースターは臆面もなく、『千一夜物語』を借用して、ニュー・ヨーク版『アラジンと魔法のランプ』を書こうとしている。

シドが青いノートに物語を書いている間、彼の姿は部屋から消え、外部の物音も彼に耳には聞こえないという設定が、ノートが「ジン」の役割を果たしていることを示している。指輪の精やランプの精とともにアラジンは中国を遥か離れエジプトに飛んでゆく。それと同じように、シドは物語の世界に存在しているのであって、現実界には存在していないのだ。作家オースターに似て、シドもまた自分の周囲をモデルに物語を創作する。ヒロインは妻グレースにそっくりだし、ニックの部屋はジョンのそれを借りている。つまり、現実界想像界がシャムの双生児のように一部を共有しており、その接合部分から、それぞれの因子が相互に流入しだすのだ。シドの書く物語が現実を歪め、現実に起きていることが、想像界に反映する。

作中ジョンがシドに話す。 「言葉は現実なんだ。人間に属すものすべてが現実であって、私たちは時に物事が起きる前からそれがわかっていたりする。かならずしもその自覚はなくてもね。人は現在に生きているが、未来はあらゆる瞬間、人のなかにあるんだ。書くというのも実はそういうことかもしれないよ。過去の出来事を記録するのではなく、未来に物事をおこらせることなのかもしれない」

作家が書く言葉は、ただの作り話として消費されるだけでなく、時には現実をも変える危険性すら持ち得ることがあるという、考えてみれば相当に重い主題をアラビアン・ナイト風のお伽話めいた設定にのせて読者に送り出すあたりが、如何にもオースター。心憎いばかりである。アラビアン・ナイト風であるのは、中国人の営む文房具店で見つけた青いノートだけではない。

青いノートに書かれるシドの物語に登場するエドの歴史保存局、鉄道線路脇の地下の広大な書庫へ通じる入り口がそれだ。地面に穿たれた入り口を隠す四角い板でできた跳ね上げ戸、梯子を伝って下りる地下の宝物庫というのは、アラジンの世界そのものである。もっとも、そこに蓄えられたものは、ホロコーストで消された無数の人々の住所や名前を含む世界各地の電話帳なのだが。この地下の書庫は不思議なことにグレースの夢にも出てくる。夢の中では電話帳ではなくシドの著書が書棚を埋め尽くし、ニックが閉じ込められる核シェルター用の貧相な小部屋がペルシャ絨毯が敷き詰められ、絹の枕や繻子の布団に囲まれた寝室になっている。夫と妻の無意識の相違が同じ装置を別の世界に換えてしまっていることが分かる。

物語は、シドが青いノートを引き裂いてゴミ箱に捨てることで、唐突に終わる。グレースの言葉でいうなら「いろんなことが入れ替わり立ち替わり出てくる、むちゃくちゃでぐじゃぐじゃのマラソンみたいな」物語は悪夢から覚めたような終末を迎える。ミステリ仕立ての作品であれば、一応合理的な解決が提示されるが、ノートは書きかけのまま廃棄されたのだから、真っ暗なシェルターに閉じ込められたニックは放置されたままだ。割り切れない思いを抱く読者もいることだろう。悪い夢を見たと思うしかない。ポルトガル関連でフェルナンド・ペソアの名が出てくる。最愛の作家の一人と書かれていてうれしくなった。