『レオナルドのユダ』レオ・ペルッツ
話は一四九八年三月のある日に始まる。ロンバルディア平原が驟雨に見舞われたこの日、ミラノ城にモーロことルドヴィーコ・マリア・スフォルツ公を訪れたのは、サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ・ドミニコ修道院長であった。院長は食堂の壁に描かれるはずの「最後の晩餐」がいっかな捗らぬことに業を煮やし、パトロンである公爵を前にレオナルドの釈明を求めに風雨を突いてはるばるやってきたのだった。
レオナルドの手がとまっているわけは、ユダの顔が見えてこないからだ。モデルにする男を探して、ミラノ中を訪ね歩くが、これだと思う顔にぶつからない。彼の考えによればユダがキリストを売った理由は、単なる欲望や妬み、悪意などではない。それは、キリストをあまりにも深く愛してしまうことをユダの誇りが許さなかったせいだ。「愛するものを裏切らざるを得ない誇り」、これこそユダの罪である。そんな罪を負った男がそうそう見つかるはずはなかった。
同じ頃旅商人のベーハイムは二つの理由でミラノを去りかねていた。ひとつは美しい娘ニッコーラに恋をしたから。もうひとつは父の貸した金を取り戻すことに失敗したからだ。彼は娘と逢瀬を重ねながら、金を返そうとしない男への意趣返しを考えていた。ニッコーラを通じて知り合ったマンチーノは金で危険な仕事を請合うことで知られていた。ベーハイムはマンチーノに声をかける。はじめは乗り気だったマンチーノだったが、襲う相手が金貸しのボッチェッタだと聞くと態度を変える。マンチーノもまたニッコーラを愛していた。ニッコーラは誰あろうボッチェッタの娘だったのだ。
借りた金は返さないが貸した金は取り立てる強欲で吝嗇なボッチェッタ。一夜の食事にありつくためには危険な仕事も断らない酒と女と詩を愛する酔いどれ詩人のマンチーノ。商品の売り買いで生計を立てている以上、帳尻の合わぬことには納得がいかない商人ベーハイム。それぞれの思惑がニッコーラを軸に絡み合う。
恋した相手が自分を愚弄した敵で血も涙もない金貸しの娘だったという、まるでシェイクスピア劇を思わせる芝居がかった筋立て。フランス王が耽々と狙うミラノ公国を舞台に、宮廷人やレオナルドら芸術家たちのサロンでの会話とマンチーノの詩で盛り上がる居酒屋の情景の対比。下宿屋や居酒屋で供されるワインや料理の薀蓄、と趣向を凝らしたペルッツの筆は読む者をして飽きさせることがない。史料を丹念に渉猟し、その時代を生きる歴史的人物としてレオナルドを中心にルドヴィーコ・イル・モーロやその愛妾ルクレツィアをはじめ多彩な人物を登場させ、活き活きと操って見せる。特に、ユダの顔が誰をモデルにしたものなのか、という由来譚の裏に名にし負う酔いどれ詩人の逸話を裏張りしてみせる超絶技巧には舌を巻いた。完成するまでに二十年の歳月をかけた、これはレオ・ペルッツの遺作である。