青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『繊細な真実』 ジョン・ル・カレ

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風采も人柄も問題はないが、思いやり溢れる優しい妻と、冷静沈着で親思いの娘のほかに、これといった能力、職歴は持ち合わせていない外務省職員キットは退職を目前に控えていた。人妻との火遊びがやめられない外交官トビーは三十代。持ち前の器量と上司の推挽もあって順調に出世街道を上っていた。本来出会うべくもない二人の男が、功を焦る閣外大臣の計画を機に、互いの人生を交差することになる。それは平凡な男二人にとって運命を狂わせる一大転機となるものだった。

イラク戦争が世間を騒がしていた頃。外務省職員のキットは、閣外大臣のファーガスン・クインに秘密任務を命じられる。ポールという変名でジブラルタルに赴き、アルカイダの中心人物を逮捕した後海上で待機する船に移送する、その現場に立会えというのだ。何が何やらよく分からないままに作戦は実行され、大成功だったとだけ知らされ帰途についた。

その少し前のロンドン。外交官でクインの秘書官を務めるトビーは迷っていた。クインは悪評高い軍需産業関係ロビイストのクリスピンと組んで、秘密裡に「岩」と呼ばれる場所で「囚人特例引渡し」を実行しようとしていた。クインの行動に疑問を感じたトビーが控室に仕込んだテープには、大臣と作戦に参加するポールとジェブの会話がはっきり録音されていたのだ。イラク戦争反対派の急先鋒、私淑するジャイルズが忘れてしまえと忠告するのも意外だった。五日後トビーはベイルートに飛ばされる。

三年後、退職し妻の相続したコーンウォルに住むキットの前にジェブが現われ、奇妙なメモを渡す。そこには、成功裡に終わったはずの作戦の陰で、ムスリムの母子が死んだ事実が記されていた。作戦成功の功で爵位まで得、悠々自適の引退生活を送っていたキットは混乱し、真実を知ろうと動き出す。当時の秘書官に一度会って話が聞きたい、との手紙がキットから届いたのはトビーがベイルートから帰って間もない頃だった。

東西冷戦下におけるスパイ合戦は、それなりにすっきりしていた。戦いの目的は国家のためであり、倒すべき相手は常に敵側だった。スパイ同士に暗黙のルールがあり、事は知的なゲームのように粛々と行われていた。ところが、冷戦が終了しても戦争はなくならなかった。軍需産業は営利を目的とし、国家の枠を超え、各国の官僚機構内部に巣食い、情報を売買することにまで手を伸ばした。外交や情報収集に携わる組織内部でも、私利私欲のために動く人間が頭を擡げ、そうでない一部の者は、自らの倫理観を頼りに内部の敵と戦わねばならなくなった。これはそういう腐敗した時代の堕落した英雄たちに楯突いた若い外交官の戦いの顛末である。

ごく普通の人間が、国家的大事件に巻き込まれた時、あなたならどうする、という問題提起。事は国家機密に関わるため、公にすれば自分が法に問われることになる。特定秘密保護法が施行されたばかりのこの国ならなおさら他人事とは思えない。ただ、そこはル・カレ。露骨な問題意識を表面に出すことなく、二人の人物の視点を切り換え、語りの順序を操作することで、シンプルなストーリーを興味深く語ってゆく。読者ははじめ戸惑うが、人物と共に関係者の証言を見聞きすることで、次第に事の真相に迫っていく。それと分からないように引かれた伏線が、後からそうだったのかと飲み込める。この展開はさすがだ。

トビーとキットの娘エミリーの二人が互いに魅かれてゆく様子も微笑ましい。いつも思うことだが、ル・カレ作品に登場する女性は、外見の美貌に頼ることなく、知的で意思がはっきり出せて、実に気持ちがいい。男の方はどうだろう。自分に対するジャイルズの感情に同性愛的なものがあったことを知ったトビーが見せる強い動揺といい、キットがコーンウォルの「無礼講の王」に紛する際、縦縞のブレザーにカンカン帽をかぶり、「完璧な『回想のブライズヘッド』ふうの装い」と自評するくだりといい、オックスブリッジ出身者が大半を占める英国の官僚世界に対する作家の目配せだろうか。

トニー・ブレア」、「ニュー・レイバー」、「ガーディアン」といった実在の政治家や新聞誌名が当然のように使われることで、人物の政治的指向が手にとるように分かる。日本では小説でも映画でも「民自党」や「毎朝新聞」に変えられることで、いちいち説明が必要になる。実名を出すことに何か法的な縛りでもあるのだろうか。それとも、ただ臆病なだけなのだろうか。表現の自由という点から見て、彼我の差に目がいくのだが。

新聞広告には「寒い国から帰ってきたスパイ」、「スマイリー三部作」と並ぶ傑作、とあったが、ル・カレの作にとどまらず、スパイ小説の代表作と呼ばれる四作に並ぶ小説を、いくらル・カレでも、そうそう書けるものではない。巧みなプロットと、語り口調のうまさは他の追随を許さないとしても、ル・カレの作品として特に傑出しているわけではない。それよりも、東西冷戦が終結して、これでもうスパイ小説も終わったと言われながら、次々と新しい対象や切り口を見つけ出しては、相変わらず健筆を揮う、その若々しさに敬意を表したい。