『高い窓』 レイモンド・チャンドラー
村上春樹の訳すチャンドラーも、これでもう五作目。さすがに、村上版マーロウも板について、今回の作品では全く違和感がない。これからは、このマーロウが定本になっていくのだろうな、などと少し感慨に耽りながら読み終わった。何度も映画化され、他の作家によって続篇まで書かれた『ロング・グッドバイ』や、『さよなら、愛しい人』などと比べると、自作の中短篇から、いいとこ取りして作られていないぶん、シンプルでストレートな仕上がりとなっている。そのぶん、脇筋の印象深い登場人物に引きずりまわされて痛い目にあったり、警察でいたぶられたり、といったチャンドラーらしさが足りないような気がするのは致し方ない。
いつもと同じように、マーロウが依頼主の住む豪邸を訪ねるところからはじまる。ハチドリが謳い、揚羽蝶が紫陽花に眠ったようにとまる夏のパサデナ。裕福な未亡人エリザベス・マードックの依頼は、義理の娘の行方を捜してほしいというものだった。失踪の陰にはブラッシャー・ダブルーンという稀少な金貨の盗難が絡んでいた。息子は溺愛しているが、他人には傲岸不遜な夫人に好感は持てなかったが、息子に好意を寄せているらしい秘書の不幸そうな様子が気になった。仕事にかかったマーロウを待ち受けていたのは、またもや複数の死体だった。
一人は落ち合うはずのアパートで頭を撃ち抜かれ、もう一人は店で死んでいた。探偵が動き出すと死人が出るのは、捜査によって何かが明るみに出るのを嫌がる人物がいることを示す。怪しいのは、失踪した妻の友人の夫か。それとも夫の留守に現われる愛人の方か。その愛人が落とした歯科技工士の請求書が意味する物は何か。やたら煙草を吸いたがる男たちの落とす灰や吸殻、燃え残った燐寸の軸は事件を解決する糸口に結びつくのか。ハードボイルドでありながら、読者に犯人を見つけるための手がかりを残す、正統的なミステリの手法を重視した論理的な展開を見せる。
マーロウが口にする気の利いた科白は相変わらず。さらに見るべきは、老刑事の葉巻を扱う儀式めいた手順に潜む真の恐ろしさ。エレベーター番の老人の思いもかけぬ人間観察力。客の罵声に見事に耐えた若いバーテンダーがつい見せてしまう素顔。金貨の保管先に選んだユダヤ人の質屋の主人との息の合ったやりとり、といつもながらのことではあるが、ほんの少ししか登場しない人々の人間味溢れる傍役ぶりには、チャンドラーが市井の無名の人間に寄せる愛情と信頼が感じられ、味わい深い。
それにもまして心に残るのは、馬を繋ぐ輪っかを足元につけた黒人少年像の扱いだ。マーロウはミセス・マードックの屋敷を訪れるたび乗馬服姿で鞭を持って立つ少年に話しかける。ふだんは、人を見れば減らず口を叩き、相手を怒らせてばかりいるマーロウが、このときばかりは、まるで生きている人間より心許せる相手ででもあるかのように親身に語りかけるのだ。金持ちの家に雇われているというだけで人を人とも思わぬような応対をする横柄な使用人たちとの対比が何ともいえず小気味よい。
清水俊二、田中小実昌両氏の訳と比較していないので、新旧訳の比較は後日を待ちたい。はじめて村上訳のマーロウが登場したとき、賛否が分かれたのを記憶している。旧訳になれたファンには、訳の良し悪しより、逐語訳に対する違和感が強かったのではないか。以前、原文と比較して新旧訳を読み比べ、原文の持つリズムやドライブ感に舌を巻いた覚えがある。会話部分の台詞回しは名調子なのだが、人物の容姿、服装や家具調度、建築様式などを必要以上とも思えるほど丁寧に描写するチャンドラーの文章は、忠実に訳せば訳すほど日本語としては冗漫に感じられ、所謂ハードボイルド調とは異質なものとなる。チャンドラー自身はハードボイルド小説を書いているという意識はなかったのだろうが、ジャンルで本を選ぶ向きにはチャンドラーもまた、その一人と受けとめられていたにちがいない。『高い窓』は、ハードボイルド的要素が比較的少なく感じられる分、村上訳も受け入れられやすいのではないだろうか。ダークブルーの地に建物のシルエット、黒白の文字を効果的に配した装丁は、これまでの村上訳チャンドラーの中で最も作品の雰囲気を伝えている。