青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『赤毛のハンラハンと葦間の風』 W.B.イェイツ

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アイルランド文芸復興運動の盟主W.B.イェイツ描くところの伝説的な放浪詩人、赤毛のハンラハンの物語と詩集『葦間の風』より十八篇の詩を選び一巻本とした袖珍本である。古風な見かけに相応しく、収められた物語も詩もおおどかで、古雅な趣きを伝えている。

古来アイルランドにおいては、言葉に力あるものと信じられてきた点で、「言霊の幸ふ国」と呼ばれてきた日本によく似ている。詩人が想うところを歌にして詠めば、賛美されたものは力が湧き起こり、呪われたものは病み衰えるとされる土地柄にあって、即興で詩をつくり、朗誦することのできる詩人は、他の誰にもまして価値ある存在であった。しかし、時移り、世俗の垢にまみれた今日のような時代にあっては、「詩を作るより田を作れ」と歌詠みは蔑まれ、疎んじられてきた。

アイルランドでも事態はさほどはちがわないようだが、落剥の身とはいえ、詩人の詩にはまだまだ力が残っているようだ。赤毛のハンラハンは、校舎とてない生け垣の縁を教壇とする学校で教鞭をとるしがない教師となった今も、歌うことで妖精を呼び出し、人を元気にさせたり、逆にまた人に呪いをかけたりすることができる。今しも学校を馘首になったハンラハン、小さな店の陳列窓を飾る魔法書を見つけ、外套を売り払った金で買い求めようと親爺を呼び出したところ。

キリスト教侵攻以来、太古の昔からケルトの地にいます神々、英雄は以前のように大地を闊歩することはなくなったが、キリスト教の神や悪魔と交雑することで命脈を保ち、人々は日々の暮らしの中で妖精の存在を信じ、ともに生きていた。吟唱詩人の末裔であるハンラハンもまた魔法使いの見習いくらいには見られており、すれちがう人が自分を見ると十字を切るので、いっそのことそれらしいものを身近において箔をつけようとの魂胆である。このあたり、さすがにオカルトの世界に参入していたイェイツ、採りあげる魔法書が『教皇ホノリウスの魔術指南書』ときては、悪魔学や幻想文学ファンにはたまらない。

怖いもの見たさで、魔法書に書いてある通り、コウモリの血で書いた魔法陣の中に立ち、毎夜召喚の術を試みると、日毎に妖精は実体化し、自分のそばを離れなくなる。ところがハンラハンが見てみたいのは妖精であって、人間の女なんかは願い下げ、とばかり邪険に扱ってしまう。頭にきた妖精は、どうせお前の目には宝石も塵にしか見えないのだろう、と呪いの言葉を発して消えてしまう。ハンラハンの放浪が始まる。昔なじみの女たちと楽しく暮らすこともあるが、放浪癖が災いしてその場を逃れるように旅に出ることのくりかえし。最後は物乞いの女に看取られて死んでしまう。

落ちぶれ果てた吟唱詩人の末裔、放浪詩人赤毛のハンラハンの唄入り一代記。大酒飲みで、素行が悪く、村人の鼻つまみ者で、悪口の歌を歌っては、棍棒で殴られたり、家に火をつけられたりという災難にあってばかりいるこの男が、いかにもアイルランド男の典型で、憎めない存在として完璧な出来映え。「ここもと御覧に供しまするは」という香具師の口上がぴったりきそうな、何ともいえない名調子で、読んでいるのが楽しくなる。全六話だが、なかにはダンテの地獄めぐりを描いたブレイクの絵にあるような幻想的な風景も登場し、短いながらも本格的な幻想文学の醍醐味を感じさせる。

『神秘の薔薇』の後半に収められた六話の「赤毛のハンラハン物語」は、改作魔のイェイツの手で全面改稿の憂き目に会い、初版はお払い箱となる。『神秘の薔薇』一巻は、すでに井村君江他の訳者の手になり邦訳が出ているのだが、そんな次第で「赤毛のハンラハン」の物語は陽の目を見ていなかった。コルム・トビーン、ウィリアム・トレヴァーアイルランドゆかりの作家の訳者でもある栩木伸明氏の手によって今回日本語に訳されたことは、まことにめでたい。併せて収められた詩集『葦間の風』抄も、赤毛のハンラハンと響きあう世界を持ち、共に味わうに相応しい。木々の間を、街の辻を吹く風にまじって、今も妖精が行き交うアイルランドの神秘を堪能されたい。