『第二次世界大戦1939-45』 上中下 アントニー・ビーヴァー
1939年ドイツ軍のポーランド侵攻から1945年原爆投下による日本の無条件降伏に至るまでの第二次世界大戦を編年体で書き綴ったノンフィクションの労作である。一冊約五百ページが三冊という量にまず圧倒されるが、よく知られる政治家や軍人にスポットをあて、映画にもなった作戦行動を実際その場にいた人が残した手紙や特派員の記事といった資料を駆使し、ドキュメントタッチで書かれているので、厖大な分量ではあるが、読物として読むぶんにはさほど苦痛ではない。
日本にかかわる部分から類推するに、これだけの量をついやしても実際の戦争のごく一部についてふれただけであることは分かる。それでも、北アメリカ、ヨーロッパ、ロシア、北アフリカ、アジア、オセアニアとほぼ世界中を巻き込んだ第二次世界大戦の規模の大きさと、そこで起きた人類史上かつて類を見ない惨劇と愚行について想いを寄せるには頼りになる書物だろう。
まず、戦記物が好きな人にはノルマンディー上陸戦争や、マーケット・ガーデン作戦といった映画にもなった有名な闘いを、政治家同士の駆け引きや功を焦る軍人同士の嫉妬や羨望といった心理を小説さながらの筆致でぐいぐい書いてゆく著者の手法に少なからず満足するのではないか。もっとも、人物の造型にかなり個人的な好き嫌いが目立つ。映画では英雄扱いされることの多いあのベレー帽の戦車乗り、モンティことモントゴメリー将軍が、大言壮語する割りに攻撃には慎重すぎるとくどいほどくさしているし、敵将である砂漠の狐ことロンメル将軍などは、ヒトラーの寵愛をいいことに作戦本部の思惑など端から無視して突っ走る、とんでもない自分勝手な人物になっている。
日本の戦争映画などを見ていると一応陛下の御裁可は仰ぐものの作戦は軍人が立てているように思うのだが、チャーチルなどはさかんに作戦に口出ししているし、スターリンもヒトラーも同じだ。ローズヴェルトは、どちらかといえば政治家らしく後の国際連合を考えて行動していて、実際の戦闘はアイゼンハワーに任しているように見える。もっとも、マッカーサーは戦時中大統領選の宣伝を盛んにやっているし、そのライバルであるアイクが戦後は大統領になるのだから、政治家と軍人の境界は曖昧である。スターリンもヒトラーも、その猜疑心の強さや自己陶酔のあまり現実感を失ってゆくところなど、人間性については否定的に描かれるが、人たらしの外交力や統率力など、戦争に際して必要とされる力は卓越している。日本では、およそ人心掌握の才もなければ指揮能力もなさそうな政治家が防衛論に口を挟むが、いざ戦争ということになったとき、果たして彼らにその役が務まるのだろうかと正直これを読んで心配になった。
著者が繰り返し注意喚起するのは、戦争がもたらす被害である。都市の消滅や兵器の破壊といった物的資源はもちろんのこと、大量虐殺、兵士による略奪、強姦、戦火によって奪われた食料の枯渇による飢餓、さらにはそこから起きる人肉食、と聞いてはいたが信じられないほどの行動が暴かれている。慰安婦や南京大虐殺といった日本軍の過去に異常に神経を尖らせている現政権であるが、世界的ベストセラーとなって全世界に翻訳されている本の中に、それがどうした、と思ってしまうほどの事実が記されていることを知っているのだろうか。
日本では大手マスコミは腰が引けてしまっていて、政府に都合の悪い内容の報道は口を閉ざしているし、テレビには日本礼賛の番組が目白押しである。まさかそれが多くの人にそのまま受けいれられているとは思わないし、思いたくもないが、バランスをとるために、たまにはこうした本を読んでみるのも悪くないのではないか。著者の姿勢は無論かなり英国よりである。ただ、次のような箇所には、公平な視点が感じられ、なるほどと思わせられる。
「アメリカの潜水艦部隊による海上輸送路の破壊は、絶大な効果を及ぼした。日本は護送船団システムの確立に着手したばかりだし、輸送船の数からして少なかった。それは主に、帝国海軍がもてる資源を主力艦の充実にあてることを好んだせいである。しかしその結果、東京の大本営に見放され孤立した日本軍部隊は、降伏することだけは許されないのである。そして、「現地調達」でひたすら頑張るよう求められた。それはつまり、補給も増援部隊もいっさい期待するなという意味である。日本軍の戦死者一七四万人のうち、一〇人に六人は病死もしくは餓死だったと推計されている。外国人に対する日本軍の戦争犯罪がどれほどの規模だったかはともかくとして、大本営の参謀たちは、まずは自国の兵士に対しおこなった犯罪行為によって、当然糾弾されるべきであろう。だがしかし、かれらのような体制順応型の社会では、それを敢えて問題視することは、想像を絶する事柄なのである。」(下)
蛇足ながら、訳者の苦労は察するに余りあるが、戦記物には普通なのか知らないが、軍事用語と思われる見慣れぬ漢語が続出するのには閉口した。もっとも、マニアにはそれがこたえられない、ということもあるのかもしれない、と分かってはいるのだが。