青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『書店主フィクリーのものがたり』 ガブリエル・ゼヴィン

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一日のうちに再読することができた。さすがはベストセラー。読みやすさは保証する。主人公を書店主に設定した点で、ジョン・ダニングのクリフ・ジェーンウェイ物やカルロス・ルイス・サフォンのバルセロナ四部作を思い出させる。アイランド・ブックスは店主フィクリーのこだわりで文学関係が在庫の中心。犯罪小説や文学的探偵小説についても話には出るが、ミステリ色は薄い。それでも、E・A・ポーの稀覯書『タマレ-ン』が主人公の店から消え、そのかわりのように女の子が店に置き去りにされていた件などが、解かれるべき謎としてストーリーを前に引っぱってゆく役目を果たしている。

A.J.フィクリーは、大学院でE・A・ポーを研究し、学位論文まで書き上げていたが、後に妻となるニックと恋に落ち、妻の実家のあるアリス島で書店を開くため引越してきた。だが、店が軌道に乗ったころ、ニックが交通事故死する。それからは店の経営にも身が入らず、緩慢な自殺にも似た酒浸りの毎日。そんなフィクリーを変えたのは、店に残されたマヤという二歳の女の子と暮らしはじめてからだ。島で一軒の本屋を舞台に、孤独な男が本を通じて人と出会い、やがて別れてゆくまでの数奇な一生を描く。

各章の扉に、エピグラフ代わりにフィクリーが愛する短篇の表題と短いコメントが置かれている。これは娘マヤが大きくなってから読むために、フィクリーが書き遺した手紙のようなものだ。その章を象徴するというほどの強い意味合いは持たないが、そのなかにある「きみは、ある人物のすべてを知るための質問を知っているね?あなたのいちばん好きな本はなんですか?」という言葉が示すように、フィクリーという人物がどんな人間かを知るための手がかりとなる。先の引用はフラナリー・オコナーの『善人はなかなかいない』についてのコメントから抜き出したもの。フィクリーも、その恋人のアメリアもこの本が好きだ、という。未読の読者は読んでみたくなるだろう。

ほかには、ロアルド・ダールが二篇『おとなしい凶器』『古本屋』、スコット・フィッツジェラルド『リッツくらい大きなダイアモンド』、マーク・トウェイン『ジム・スマイリーの跳び蛙』、アーウィン・ショー『夏服を着た女たち』、J.D.サリンジャー『バナナフィッシュ日和』、E・A・ポー『告げ口心臓』、レイモンド・カーヴァー『愛について語るときに我々の語ること』等々。短篇好きのフィクリーが選んだ作品のいくつかをすでに読んでいた読者なら、共感すること請け合いの憎い趣向だ。個人的に、『バナナフィッシュ日和』と『夏服を着た女たち』は大好きな作品なので、それだけでうれしくなってしまった。

子育ての経験もない男やもめと二歳の少女の新生活が始まる。それを見守るためには始終書店に出入りする必要がある。それまであまり本を読まなかった島の警察署長ランビアーズは、二人と話をするために犯罪小説からはじめ、次第に文学に近づいてゆき、ついには読書会を主催するまでになる。この人情味溢れる警官とか、義姉で妻の死後何くれとなく世話を焼いてくれる高校で演劇を教える教師イズメイ、出版社の営業担当として島を訪れ、次第に惹かれあうことになるアメリアといった脇を固める人物が、よく描かれている。ただの善人というのではない、陰影のある人物として生きている。そのほかの登場人物も、それぞれプロットに深く結びつく形で、小説の中でその人生をまっとうしている。

ニックと付き合わず、ちゃんと大学院を出ていたら今頃はアメリカ文学の博士号を得ていたはずのフィクリーが周りの人と交わす小説についての話が楽しい。バイトの少女モリーが読んでいるのはアリス・マンロー。マンローの新作はどう?、とフィクリーに聞かれたモリーが「人って、なんだかわかんないけど、ときどきすごく人間的になるみたい」というと、「思うに、そこがだいたいマンローのいわんとするところじゃないかな」と店主が答える。マンローも好きな作家だが、フィクリーもよく読んでいるらしい。もっとも、プルーストの『失われた時を求めて』は第一巻で挫折している。短篇好きの彼らしいところだ。ランビアーズと話すのは、ジェフリー・ディーヴァーリンカーン・ライムシリーズで、イズメイとはアーサー・ミラーの戯曲『るつぼ』というふうに、相手が替わるととり上げるジャンルがが変わるのだが、フィクりー自身は変わらない。冒頭に出てくる嫌いな本の羅列は読みどころだ。マヤと交わす話も、成長するにつけてとり上げる作品が変化してゆく。彼がコメントを残さなくてはならなかった理由も最後になるとわかるようになっている。

マヤがこの島に来た理由も、ポーの『タマレーン』が盗まれた理由も、最後に明かされる。とってつけたようにではなく、なるほどそうであったか、というふうに落ち着くべきところに収まるのは、やはり、よく練られたプロットによるのだろう。再読してみて、そのまま読み過ごしていた箇所にそれとなしに伏線が張られていたことを知り、あらためて作家の技量に気づかされた。今後が楽しみな作家の登場である。