青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『つつましい英雄』 マリオ・バルガス=リョサ

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ノーベル賞受賞後に初めて書かれた小説だという。なんとなくのほほんとした気分が漂うのは、そのせいか。かつてのバルガス=リョサらしい緊張感が影をひそめ、よくできた小説世界のなかにおさまっている。同時進行する、場所も人物も異なる二つの物語が、章が替わるたびに交互に語られ、最後に一つの話に収斂するのは『楽園への道』で使った手法。複数の会話の同時進行や、一つの会話に別の会話を挿入するといった『ラ・カテドラルでの対話』に見られた技法。過去の作品で読者になじみのある人物の再登場など、読者サービスなのか、単なる遣いまわしなのか、いずれにせよ既視感が強い。

奇数章の主人公はペルー北西部にあるピウラで運送会社を営むフェリシト・ヤナケ。彼のところに、リスクを負いたくなければ月々五百ドル支払うようにという、署名代わりに蜘蛛の絵が書かれた脅迫状が舞い込む。フェリシトは「男はこの世で、誰にも踏みつけにされてはならない」という父親の言いつけを守り、脅しに屈することなく警察に届けるが、警察は本気にしない。そのうち、二通目、三通目が届き、ついにはフェリシトの愛人が誘拐される事件が起きる。

事件の捜査を担当するのが、『緑の家』以来リョサの作品に何度も顔を出す、ピウラ出身の警官リトゥーマ軍曹と、『誰がパロミノ・モレーロを殺したか』でもコンビを組んだ上司のシルバ大尉(以前は警部補だったが太った女に目がないところからみて同一人物と思われる)。このシルバ大尉、見かけによらず名探偵なのだが、それ以上に大事なのは、脅迫、誘拐事件という陰湿、険悪な物語に笑いの要素を与えるコメディ・リリーフ的な役割の方で、この人が出てくるとニンマリさせられる。

偶数章の主人公は保険会社のオーナー、イスマエル・カレーラ。年の離れたメイドのアルミダとの結婚式を挙げたばかりだ。イスマエルには双子の息子がいるが、これが揃いも揃ってろくでなし。父親の死で遺産が入るのを待っていたところを鳶に油揚げさらわれた格好で、父の結婚を無効にしようと裁判騒ぎを起こす。イスマエルの結婚の証人を務めた長年の友人で部下のリゴベルトは裁判に巻き込まれ、それが解決するまで退職金もおりず、念願のヨーロッパ旅行にも出かけられない始末。

このリゴベルト、『継母礼賛』、『ドン・リゴベルトの手帖』の主人公で、音楽・絵画・文学をこよなく愛する審美的人物。美貌の妻ルクレシアと、先妻の子フォンチートを溺愛している。友人の結婚が引き起こした騒動に加え、近頃息子のことで悩んでいた。自分と同年輩の男がフォンチートの行く先々に現れては話しかけてくるのだが、問題はこの男、フォンチートにしか見えず、他人には見えないという点だ。リゴベルトは、精神科医や友人の神父に息子と話をしてもらうが、どちらも何ら異常は見受けられないと保証する。

すべての騒動に共通するのは、家族、就中、父と子の問題であるということだ。男たちは社会的な成功者で人格者でもある。しかし、一夜の過ちで妊娠させた相手と結婚せざるを得なかったフェリシトは、妻と自分にちっとも似ていない金髪碧眼の長男を愛することができず、仕事一途に生きてきた。今は週に一度愛人と過ごすことを楽しみにしている。愛する妻を亡くしたイスマエルは、心臓発作で入院中、病室で話す息子たちの会話から、二人の子が父の死を望んでいることを聞いてしまう。その腹いせが病後の世話をしてくれたメイドとの結婚だった。

美しい妻と天使のような息子に恵まれ、誰もが羨むようなリゴベルトもまた、子どもから男になりつつあるフォンチートとの関係に頭を痛めていた。息子の前に現れるエディルベルト・トーレスというペルー人は、幼児性愛者なのか、それとも息子の見ている幻想なのか、悩みぬいたリゴベルトは、トーマス・マンの『ファウスト博士』を思い出し、息子の相手はもしかしたら悪魔なのではと、不可知論者らしからぬ考えまで抱く始末だ。

人物は既存の作品から借りてきながら、それらとは全く異なる作品世界の中で動き回らせることで、ひと味もふた味もちがうストーリーを作り出して見せるその手際にひとまずは拍手を送りたい。「反抗と暴力とメロドラマとセックスが小説の重要な要素である」という作家自身の言葉を引き合いに出すなら、たしかにどの要素も用意されてはいる。ただ、言わせてもらえれば、かつての作品に見られたような強度が「反抗、暴力、セックス」という要素において弱まり、残るメロドラマの要素ばかりが突出した作品のように見える。

こういう作品は駄目だというのではない。これはこれで上出来の小説である。ただ、一愛読者としては、次の機会にはマリオ・バルガス=リョサでなくては書けない、半端でない強度を持った、手応えのあるリアリズム小説を読ませて欲しい、と強く願うのみである。

個人的な感想になるが、パパはどうして資質として相応しい芸術家ではなく、芸術愛好家になったの、と質問されたリゴベルトが、「臆病だったからだ」と答えるところが胸に迫った。ヨーロッパに憧れながら、リマを離れなかったのも、徒に人と交わるのを厭い、書斎に閉じこもって絵画や音楽に耽溺するのも、その一言が説明してくれる。小説は怖い。これほど愉快な小説を読んでいて、胸抉られる気にさせられる。