『直筆商の哀しみ』 ゼイディー・スミス
アレックスは二十七歳。職業は直筆商。直筆商という言葉は訳者による造語で、原題は“The Autograph Man”。日本でいうサインは英語ではオートグラフ。飴売りのことをキャンディー・マンというように、オートグラフを売買する人をオートグラフ・マンという。有名人が写真等に直筆したサインを売買する職業を指す。いちいちカタカナ表記するのも煩わしいということだろうが、見慣れない新造語が頻発するのも落ち着かない。日本でそういう商売をする人は、自分たちのことを何と呼んでいるのだろう。
アレックスの父は医師で名はリ=ジン。名前から分かるように中国人で、十二歳のアレックスをプロレス見物に連れて行った日に亡くなった。アレックスの本名はアレックス=リ・タンデム。本人は中国人を自称するものの、母がユダヤ人であるアレックスは、小さい頃からユダヤ人学校に通い、ユダヤ系社会にどっぷりと浸かってしまっている。ユダヤ人は母系制社会なのだ。
幼なじみの一人はラヴィになり、親友のアダムはカバラに夢中、その妹のエスターとは十年越しの恋人関係というユダヤ的な人脈に囲まれていながら、アレックス自身は神を感じることができず、どちらかといえば禅に傾倒している。病気のときはチャイナタウンにある中国人医師を頼り、処方された煎じ薬を魔法瓶に詰めて仕事に行くほど。もうすぐ父が死んで十五年。ユダヤ教では大事な儀式があり、アレックスは息子として出席を請われているが、死んだ父は中国人で、ユダヤ人ではない。この辺のアイデンティティの持つ複雑さが、主題になっている。
プロローグでアレックスとオートグラフの出会いが描かれる。プロレス会場で偶然出会ったユダヤ人少年ジョーゼフがコレクションするだけでなくそれで儲けていることを知ったのだ。皮肉なことに癌で死期が近づいていた父は会場で倒れ、その後死亡する。アレックスが一生の仕事とすることになるオートグラフと出会った日に父が死ぬ。これは偶然だろうか。
アレックスは仕事としてオートグラフを売買するが、少年時代から憧れていたキティーという女優のものだけは特別で、今でもサインをねだる手紙を書き続けている。何にでもサインしたジンジャー・ロジャースとは違い、キティーのそれは希少で価値が高いのだ。オークションに出かけない日は、アダムとドラッグでトリップ。オークションの日は仕事仲間とバーで酒浸り。エスターを愛していながら、他の女の子にもちょっかいを出す、といういい加減な毎日を送るアレックス。
そんなアレックスのところに何年も無視され続けていた憧れのキティーからサインが送られてくる。ちょうど、ニューヨークで行われるオークションに出かける予定であったアレックスは、ペース・メーカーを交換するための手術で入院中のエスターを英国に残したまま一人アメリカに飛ぶ。ハニーという同業の美女と共に雪のニューヨークをキティーの居所を探して歩くアレックス。そこに待っていたのはとんでもない秘密だった。エピローグ。一皮向けたアレックスは、儀式に向かうのだった。
大人になりきれない直筆商のナーヴァスな心情とドン・キホーテ的な思い切った行動を、ロンドン近郊のさえない町と大都市であるニューヨークを舞台にコミカルかつペーソスたっぷりに描いたゼイディー・スミス、長篇第二作。キュートでポップな文体にのせて、どこまでも優しく愛情溢れる友人たちが、悩めるアレックスのために手を差し伸べる、ウザいようでいて、本当はありがたい友情と愛情がいっぱいのハート・ウォーミングな物語。疲れたなと感じる日々には元気がもらえそうな一冊。550ページは長いようにも思うが、軽いノリでビートの効いた文章は、映画ネタや濃いキャラクター満載で飽きさせない。
ひとつ気になったのは、ニューヨークで行なわれるオークションの客寄せに広島に原爆を落としたパイロットのサイン会を持ってくる感覚だ。他の部分にも黄色い日本人に対する差別感が散見される。チャンドラーを読んでいても日本人に対する蔑視が気になることがあるが、ゼイディー・スミスのように若い作家であっても英国に住んでいるとそういう感情を共有するようになるのだろうか。悪ふざけが過ぎた表現と見るのが妥当なのだろうが、笑って読み過ごす気にはなれない。落語の「蒟蒻問答」をそのままキリスト教とユダヤ教の教理問答とした挿話や、漱石で有名な「父母未生以前本来の面目」という禅の公案をさらりと持ち出すところなど、よくリサーチされていて、随所に鋭い知性ととびっきりのセンスを感じさせる作家だけに、余計気になる。