『エスカルゴ兄弟』 津原泰水
新聞の日曜版にある書評欄で見つけた。ふだんはあまり日本の小説を読まないので、どんな小説を書く人なのかも知らなかった。読んでみる気になったのは、作品のモチーフがエスカルゴと伊勢うどん、という点にあった。実は、エスカルゴの養殖については隣の市のことなので前から知っていた。三重県という極めて地味な地方都市でエスカルゴの養殖なんか手掛ける奇特な人がいるなんて、という程度の認識でしかなく、興味はあったが、現地を訪ねることもしなかった。
エスカルゴ自体は好物で、パリでも食べたし、英国女王御用達の鳥羽のホテルでもいただいたことがある。まさか、あれも全く別物のアフリカ・マイマイだったのだろうか?本物のエスカルゴを養殖している松阪市と鳥羽市は伊勢を挿んで隣同士だから、鳥羽の某有名ホテルで供されるエスカルゴは松阪由来のものと信じたいのだが、小説を読んでいると、ほとんどの日本人が食べているエスカルゴは本当のエスカルゴではないということになる。
もう一つの伊勢うどんのほうだが、これは郷土のソウルフードで、小さい頃はあれが「うどん」というものだと思っていた。浪人時代、京都の町で立ち食いうどんを食べに入り、出てきたつゆの薄さに驚いた。まちがってそばつゆを入れたのではないか、と本気で訊こうとしたくらいだ。
小説の中では、卵の黄身をのせて食べる食べ方が何度も出てくる。今は知らないが、伊勢うどんといえば、子どもの頃から、ごく少量のたまり醤油主体のたれをからませた上に小口切りにした青葱と一味をふりかけ、うどんがたれの色に染まるまでかき混ぜてから食べるものと決まっている。卵の黄身でカルボナーラ状にした伊勢うどんなど気味悪くて食べられない。
主人公が讃岐うどんを商う店の次男坊で、伊勢うどん店の娘と恋に落ちるというロミオとジュリエットをパクった設定。腰の強い讃岐うどんを愛する一族と茹ですぎたように腰のない伊勢うどん命の一族の互いに相容れないうどん愛の悲劇を描いている。全国区となった讃岐うどんに対するに、伊勢うどんのほうは、遷宮とサミットで少しは知られるに至ったが、まだまだ全国的にはローカルな食べ物である。その意味で、郷土食を宣伝してくれる小説をちょっと推してみたく評など書いている次第。
今、人気のアニメが売れるべき要素を全部詰め込んでいるだけ、という評価が玄人筋から出されているが、この小説にもそんなところがある。就職難の時代、やっともぐりこんだ職場が出版社で、仕事が編集業というのは、マンガ原作でテレビ化された『重版出来』や『地味にスゴイ!』を思い出させる。
それがすぐリストラされ、社長が送り込んだ次の就職先がモツ煮込みが売りの吉祥寺にある立ち飲み屋。ところが、マスターの事情で写真家の長男が後を継ぎエスカルゴ専門のフレンチレストランに模様替え。調理師免許を持つ主人公にはうってつけの職場だと料理通の社長は考えたらしい。
物分かりはよいが適当すぎる上司、スパイラル(螺旋)に固執する変人写真家、といった男たちに、味は分かるが料理を作ることはできない女店員、写真家の妹で高身長の女子高生、酒豪の伊勢うどん店の娘、といった女たちがからんで、ストーリーは軽快に展開する。
ちょっと昔の音楽にイージー・リスニングというジャンルがあったが、あの毒にも薬にもならない聴き心地のいい音楽に似て、読んでいて楽しいが、特に後に何も残らないイージー・リーディングな読み物である。
料理が主題なので、いろいろ美味そうな料理が出てくるのがご愛敬だ。油揚げを斜めにカットした中にチーズを挿んで弱火で焼いたチーズキツネという酒肴は、ちょっといけそうで作ってみたくなった。しかし、伊勢うどんにエスカルゴを併せたウドネスカルゴはいただけない。ましてや、スパイラル好きの店主の気を引こうとグルグルに巻いて出すなど狂気の沙汰だ。
軽妙な会話のノリを楽しんでいるうちに、あっという間に読み終えてしまう。ちょっと重いものが続いた時など、口直しに手に取るにふさわしい一冊といったところだろうか。深夜に読むと食テロと化すので要注意。