青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『コスタグアナ秘史』 ファン・ガブリエル・バスケス

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フランスによる運河建設工事が破綻して混乱の極みにあるパナマ共和国。その北部にあってカリブ海に面した港町コロンからロンドンに逃れてきた男ホセ・アルタミラーノが語る物語。語りの中で時おり呼びかける可愛い盛りの娘エロイーサを独り故国に残して、何故男はイギリスに来なければならなかったのか。それには驚くべき理由があった。

秘史とついているから、南米かスペインあたりにある地名と思うだろうが、実はコスタグアナという国はない。ジョゼフ・コンラッドが南米を舞台にして書いた長編小説『ノストローモ』に出てくる架空の共和国である。そのモデルになっていると男が主張するのがパナマ共和国。男は、コンラッドが自分の物語を盗んで『ノストローモ』を書いた、というのだ。何故そんなことが言えるのか。その訳というのが一口では言えない複雑な話で、だからこそこんな小説が書かれたわけだ。

コロンビア人の作家といえば、『百年の孤独』を書いたガルシア=マルケスが有名だが、大風呂敷を広げたがるのは詩と演説を好むという国民性だろうか。ホセが語るパナマ運河にまつわる一族の小さな出来事と、何度も繰り返される革命と反乱に揺れるコロンビアとパナマの大きな出来事を聞いたコンラッドが、勝手に換骨奪胎して自分の小説にしてしまった。『ノストローモ』は、自分の話した内容とは似ても似つかない代物だ、とホセは言う。

それなら、自分で語ってみせるしかない。ホセはまず、自分の出自から語り始める。これがまたとんでもない話。ホセの父ミゲル・アルタミラーノは、反カトリック自由主義者として一世を風靡していたが、司祭とトラブルを起こして破門され、抗議に出かけた教会で人を殺す羽目に。時を同じくして起きたクーデターのお陰で殺人犯として告発は免れるものの、今度は叛乱軍から粛清されそうになる。

イギリス船に乗り込んだミゲルは停泊中のオンダという町で知り合った人妻アントニア・デ・ナルバエスと船上で一夜限りの愛を交わす。その後二人は二度と出会うことはなかった。年若い妻の腹の中の子が自分の種でないことを知った夫は銃で自殺。大きくなったホセは、自分の実の父について母から聞き、父を探す目的でコロンに向かう。

その昔自由主義者として新聞に健筆をふるっていた父だったが、運河建設事業のためにパナマを訪れたレセップスの知遇を受けたことをきっかけにパナマ運河についての提灯記事を新聞に書き続けることで、その見返りに住む所や食事その他の厚遇を得る御用記者となる。息子もまた父に連れられて現場を踏むうちにパナマ運河建設事業に深くはまり込んでしまう。

フランス主導のパナマ運河建設は洪水や地震という天災と風土病に見舞われ続け、フランス人技師の多くを失い、見込みを大幅に上回る費用をつぎ込んだ挙句、レセップスが自分の過ちを認め事業から撤退する。ただ、その陰で大規模な汚職が発見され、その主犯格が長年にわたり事態を歪曲した内容の記事を現地から報告し続けてきた新聞にあることが明らかになる。アルファベット順の記者名一覧の筆頭に挙がったのがミゲル・アルタミラーノだった。

引退したミゲルは町中の人間から後ろ指をさされる境遇となる。ホセは、父の友人だった死んだフランス人技師の妻シャルロットと暮らし、一人娘を得る。コロンの町は何度目かの戦争状態に陥っていたが、ホセは自分の家庭の幸せに酔っていた。だが、一人の脱走兵が放った弾がシャルロットの命を奪う。ホセは何故かシャルロットを失った悲しみを娘と共有しようとせず、エロイーサを一人残したたまま逃げるようにイギリスに渡るのだった。

時間軸に沿ってあらすじを書けばこういう話になる。ところが、話はそう簡単に進まない。いたるところに、語り手のドッペルゲンガーのように、若き日のジョゼフ・コンラッドが登場してくる。ホセとコンラッドはほぼ同い年で、船乗りであったポーランド出身の青年とホセは、何度か港町ですれ違っている。若い頃、真っ白な地図にあるアフリカ領コンゴを指さし、「ぼくここに行くよ」と宣言したコンラッドと同じように、ホセもまた運河建設中のパナマ地峡を指さしていたのだ。

訳者あとがきによると、ファン・ガブリエル・バスケスコンラッドの伝記を執筆している。その際に『ノストローモ』執筆中、現地をよく知らないコンラッドが、共和国元大統領の息子で、イギリス公使でもあった人物の手になる書物から知識を得ていた事実を知る。おそらく、それが本作を書こうと思った理由だろう。『パナマ秘史』ではなく、コンラッドが創り上げた架空の国家コスタグアナを表題にしたのも、コロンビア人作家として、コンラッドが奪ったコスタグアナ=パナマを奪還しよう、という思惑があってのことにちがいない。

果たして本作はコンラッドの長編小説として、ここのところ重要視されつつある『ノストローモ』を超えることができたのか?それは『ノストローモ』を読んでみなければ、何とも言えない。これを読んで読みたくなったのも確かだ。ただ、『ノストローモ』未読でも、この小説は面白い。絶えず蚊の攻撃に悩まされ、雨季の雨量がまるで洪水のようなパナマ地峡の気候風土や、自由派と保守派が交互に政権を奪い合うコロンビアという国家についてのポスト・コロニアル批評、と読ませどころに事欠かない。

読者をその気にさせておいて、それはまだ早いと迂回し脱線を繰り返すはぐらし方など、物語の造り手としてなかなかの曲者と見た。先輩作家であるガルシア=マルケスへの挨拶と見られる言及、『白鯨』の作者や女優サラ・ベルナールなどの現地訪問の史実を取り交ぜながら、ジョゼフ・コンラッドの評伝としても読める、巧みな構成にすっかり魅了された。ラテン・アメリカ文学の有望株として今後が期待される作家の輝かしい登場である。