青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『女王ロアーナ、神秘の炎』ウンベルト・エーコ

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<上下巻併せての評>

歳をとってきた人間がやろうとすることの一つに「自分史」を書くというのがある。記憶力も衰えてきて、思い出すことができるうちにまとめておきたくなるのだろう。特に遺しておくような値打ち物の過去もなければ、日記をつける習慣もないので、これまで考えもしなかったが、エーコが書いたのを読んでいたら、これの日本版が読んでみたくなった。というのは、本作『女王ロアーナ、神秘の炎』は限りなくエーコの自分史に近い。それもただの自分史ではない。

少年時代に読んだ本やコミック、目にしたポスター、ラジオから聞こえてきた音楽などを通して、当時の自分を思い出す試みである。しかも、それは自分一人にとどまることなく、同じ時代を生きた人の記憶とも重なる。エーコが列挙するマンガや物語の中には、アメリカのコミックやディズニーのアニメなども含まれるので、それらは分かるものの、イタリアのものはほとんど分からない。同じ国の読者ならどんなに楽しいことだろう。しかも、贅沢なことに大量の原色図版つきである。

自分史などに興味が持てないでいるのは、他人の名前は忘れてしまっていても自分についての記憶はまだ確かだからだ。もし、それも覚束なくなってきたら、必死になって思い出そうとするだろう。現に口に出そうとして出てこない人の名前は一日中出てくるまで気になって仕方がない。当時の世の中の出来事とその頃出回っていた読み物や流行の音楽を、自分の個人史と結びつけることで、ありありと目の前に光景が浮かんでくる。日本版があれば、という所以である。

ミラノ古書店を営むヤンボこと、ジャンバッティスタ・ボドーニは、目を覚ますと病院にいて医師の質問を受けていた。口はきけ、眼も見えるし、百科事典的な記憶には何の問題もないのに、自分の名前も、顔も一切合切記憶から消えていた。事故のせいで脳の一部に損傷を受け、自動的に行動することを助ける潜在記憶には問題がないのに、もう一つの意識的に思い出すための顕在記憶の中のエピソード記憶と呼ばれる、自分を自分につなぎ留めておく記憶がすっぽり抜け落ちてしまったのだ。

彼にはパオラという心理学者の妻がいて、彼が子どもの頃暮らしていたソラーラに行ってみることを勧める。そこには、祖父が遺してくれた大きな館があり、子どもの頃にヤンボは、そこに住んでいたからだ。当時は第二次世界大戦中でミラノは空襲が激しく、両親はヤンボを疎開させていた。ところが、結婚してからヤンボはソラーラに行くことも館で暮らすことも嫌がっていた。そこには何らかの理由があるにちがいない。記憶が戻らないのも何かそこに起因しているのでは、というのが優しく聡明な妻の見立てであった。

古書店の仕事の方はシビッラという美しい娘が彼の代わりをつとめていた。親友のジャンニが娘のことで揶揄うようなことを言ったので、ヤンボは自分とシビッラの間には何かあるのではと疑心暗鬼にとらわれる。しかも街角で出会った老婦人から、かつての情事をにおわせるような言葉を掛けられる。この辺の艶笑譚的なくすぐりはいかにもエーコらしくて、愉快。何にも覚えていない男の自意識の暴走は止めようがない。

妻と子はミラノに残してソラーラで暮らし始めたヤンボは祖父の書斎を覗いて本がないのに驚く。聞けば、屋根裏部屋にあるという。そこには祖父が蒐集した大量の新聞や書籍があった。ヤンボはそれから毎日、屋根裏部屋に通い詰め、飽かずにそれらを読み漁るのだった。屋根裏部屋、秘密の扉、封じられた礼拝堂、というゴシック小説めいた筋立てが読者の心をそそる。記憶の底から表面に気泡のように立ち上ってくるいくつかの名前や歌。それらの手がかりを求めてヤンボの探究は続く。

幼少期にソラーラで何が起きたのか、どうしてそれを思い出したくなかったのか。霧に関する文章をいくつも集め出したのはそもそも何を理由としていたのか。下巻に入ると、第二次世界大戦下のソラーラは決して安全な田舎とはいえなかったことが明らかになってくる。村にはドイツ軍がシェパードを連れて脱走したコサック兵を捜索にやってくる。彼らを逃がし、パルチザンのもとへ届けるためにヤンボは手助けを頼まれる。

頭がよくて行動力もあるヤンボの活躍とその後の展開が時代状況と絡み合い大きな重みをもって迫ってくる。トーマス・マンの『魔の山』に登場するセテムブリーニとナフタを一人にしたようなグラニョーラという人物がヤンボに、神は邪悪だと説くあたりは『魔の山』や『カラマーゾフの兄弟』を彷彿させる。少年だからといって戦争は免罪符をくれるわけではない。その時代を生きた者でなければ書けない真実が、そこにある。

『女王ロアーナ、神秘の炎』の主題になっているのは記憶である。次第に明らかになってゆく少年時代のヤンボの生活だが、その中でリラという少女の顔だけが思い出せない。初恋の少女で、その後転校して会えずじまいになっている。ソラーラでの出来事がタナトスを主題にしているとすれば、リラに関する挿話の主題はずばりエロスだろう。ソラーラで一度は死んだヤンボの魂が再生するきっかけとなったのがリラである。人を喜ばせ、人に好かれる今のヤンボはリラによって命の火がともされたのだ。

自分史とはいっても、少年時代が中心で、尻切れトンボの感じがしないでもないが、ムッソリーニと黒シャツ党の跋扈する時代のイタリアを生きた一人の多感で読書好きの少年の瑞々しい思春期をイタリアらしい明るい色彩と音楽、それにそこだけフォントを変えて記される様々な小説から引用された名文句の数々。これはプルーストだな、とかランボーときたか、というふうに分かるものを見つけてはにやりとする愉しみがある。ユイスマンスの『さかしま』のように贔屓の作品への言及は何よりうれしい。本好きのために書かれたような小説だ。誰か書けるうちに日本版を書いてくれないだろうか?