青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『オールドレンズの神のもとで』堀江敏幸

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三部構成で十八篇、第一部は、地方の町に暮らす市井の人の身辺小説めいた地味めな作品が並ぶ。第二部には一篇だけ外国を舞台にした作品がまじっているが、日本を舞台にしたものは一部とそう大きくは変わらない。ただ、少しずつ物語的な要素が強くなっている。そして第三部になると一気にその気配が強くなり、掉尾を飾る表題作はSF的設定の濃いディストピア小説となっている。

全篇から一つ選ぶなら第一部に入っている「果樹園」だろう。二匹の犬を連れて散歩中の私が出会う景色や人々をスケッチしているだけの作品だが、滋味にあふれ、生きることに対する前向きな姿勢が読む者にじわじわ効いてくる、そんな作品である。事故で頭痛と脚に痺れが残る「私」は、心ならずも実家に帰っている。そんなとき姉がリハビリにいい、とアルバイトを見つけてくる。犬の散歩係だ。

飼い主が足を痛めて散歩ができない。健康が回復するまで犬の散歩をお願いできないか、というチラシにはオクラとレタスという名の二匹の犬の画が添えられていた。委細面談というので、出かけた飼い主の安水夫妻にというより、オクラのことを気遣うレタスに認められたようで「私」は採用される。二匹の個性の異なる犬と散歩するうちに「私」は少しずつ犬と会話ができるようになる。

動物と暮らしている人になら分かってもらえると思うが、毎日いっしょにいると会話ができるようになる(気がする)。人との会話には本心はあまり出さず、当たり障りのないことを話す。動物相手には本音で話す。すると相手も本音でつきあってくれる。本心を偽ることのない会話は心地いい。「私」は安水氏と話すうち、それまで少し距離を置いていた父との関係が修正されていくようになる。

他郷で手がけた仕事がうまくいきかけていた時に思わぬ事故に遭い、実家の厄介になり日を送らざるを得なかった「私」は、頭痛や足に力が入らないこと、自立できないでいることに焦りや蟠りを感じていた。二匹との散歩の途中で出会う人々や安水氏との会話を通して、鬱屈して閉じていた「私」の心と体はゆっくり解きほぐされ、新しい事態を受け入れてゆく心構えのようなものが芽生えてきている。恢復の予感のようなものが仄見える終わり方だ。

二部なら「徳さんのこと」か。地元にはない進学校に通うため、子どものいない叔父夫婦の家に下宿している佐知は、日曜の朝になると原付でやってくる徳さんの話を聞かされる。足を挫いているので、二階の自分の部屋に帰るのが難しいからだ。徳さんは地域のあれこれに顔を出し、冠婚葬祭にはまめに金を出す。そうしておけば見返りがあるというのだ。

近頃頻繁に顔を出すのは、叔父夫婦と誰かとの間に立ってまとめたい話あるようなのは「判をついたっていい」という口癖から察しが付くが、詳しい話は知らない。その回りくどい話が、夫妻に子どものいないこと、と自分に関わりがあることが次第に明らかになるという、まあ日本の田舎にならどこにでも転がっていそうな話。がさつだが憎めない徳さんと、柄本明の顔が重なるともういけない。話し声まであの声に聞こえてくる。

第三部から一篇となると普通なら表題作は外せない。この国の近未来には、色というものが存在しない。誰かが失くしてしまったらしい。ある一族の少年の頭には四角い穴が開いていてふだんは蓋をかぶせている。一生に一度頭蓋内圧が高まると蓋を外すのだが、ピンホールカメラの原理で内壁に倒立画像が浮かぶ。この話はそのとき目にしたものの記録である。次々と繰り出される画像が珍しく落ち着きがなく、そのくせ終末観が色濃い。この作家にこのような預言的な物語を書かせる今の時代の在り様が気になる。

個人的には堀江敏幸版「遠野物語」のような「あの辺り」の方を推したい。新聞記者の「私」は古刹での取材を済ませて帰る彦治郎さんを車に乗せている。その彦次郎さんが汽車から漏れる明りの方を指さして「あの辺りに、よく出る」と言う。隧道工事に雇われていた工夫が寝泊まりしていた小屋が土砂崩れに呑まれたのだという。「使ってはいけない人たちを使っていたから、表沙汰にはできなかった」。埋められた無縁仏が迷っているのだと。

八十二歳の彦治郎さんは郷土史家で、このあたりのことに詳しい。昔は狐がよく出たので、悪さをされないように油揚げをお供えした。ここらあたりで油揚げの入った糟汁を作るのは、その余りなのだ。幽霊列車も走るが、運転手はどうも狐らしい、とか、少し前までは、日本中のどこにでもあったような話ばかりだ。

以前『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』という本を面白く読んだ。実は祖母から、祖父が狐に化かされて、竹藪のあたりを一晩中歩き回って夜が明けたという話を聴かされたことがある。竹藪を通る道は丘の上に新設された中学への近道に当たるので、帰りが遅くなって、おまけに小雨の降る晩など、ひとりで歩くのは心細かった。ただ、あの当時でさえ狐に化かされた話はもう誰もしていなかった。「使ってはいけない人たち」というのがどういう人たちだったのか、一つ一つの話に心を揺さぶられるものがある。