『ガルヴェイアスの犬』ジョゼ・ルイス・ペイショット
家の外にある便所でローザがビニール袋に自分の大便を落とす。ローザは袋の口を閉じて廊下の冷凍庫にそれをしまう。スカトロジー? いや違う。これには訳がある。ローザの夫は従弟の妻ジョアナと浮気をしているという噂がある。ローザは溜めておいた自分の大便を缶に集めて水で溶き、それを籠に入れるとジョアナが店を広げているところに行き、籠の缶に手を突っこむとその顔にどろどろの大便をぶっかける。驚いている顔にもう一度。その後はつかみ合いの喧嘩。二人とも留置場に入れられる。糞便で汚れたまま、壁の両端に離れて。
こんなすごい復讐劇、初めて読んだ。文字通り「糞喰らえ」ってやつだ。しかし、陰惨さがかけらもない。村の産婆に呪いをかける方法を教えてもらうが、呪いをかけられるのは夫の陽物だ。死人も出ない。二人とも髪は引きちぎられたが、それだけだ。見物客も臭かっただろうが、堪能したに違いない。しかも後日談がある。二人の女はその後、夫が仕事に出たすきを見つけて脚をからめあう仲になったというのだから、畏れ入るではないか。
こんなエピソードが次から次へと繰り出される、不思議な小説である。マジック・リアリズムめいてはいるが、雨は何年も降り続かない。せいぜい一週間だ。人が空を飛ぶが、オートバイ事故だ。一九八四年というから、さほど昔の話ではない。ロス五輪が開催された年である。それなのに、ここポルトガルの寒村では、電気の引かれていない家があり、欲しいものは、と聞かれた娘は「テレビ」と答えている。
ガルヴェイアスに「名のない物」が空から降ってくる。落ちた場所には、直径十二メートルの穴が開き、「名のない物」からは強い硫黄臭がする。それから七日七晩、強い雨が降り続くと、犬たちをのぞいて人々はそのことを忘れてしまう。しかし、その日から、村には硫黄臭が絶えず漂い続け、小麦の味を変え、パンを不味くしてしまう。ガルヴェイアスのあるアレンテージョ地方は穀倉地帯で、ポルトガルでは「パンのバスケット」と呼ばれている。呪いがかかったようなものだ。
主人公という特権的な立場に立つ者はいない。章がかわるたびに、一つの家なり、人なりに照明が当たり、その秘密や隠し事、他の家との確執、兄弟間の裏切り、復讐、喧嘩、和解といった出来事が語られる。面白いのは、あるエピソードにちょっと顔を出すだけの人や物が、別のエピソードの中では重要な役割を果たすという仕掛けを使っていることだ。
たとえば、ウサギ。冒頭で紹介したローザの息子が銃で撃ってきたウサギを五羽持ち帰る。ローザはそれを他所への届け物に使うのだが、亭主は四軒の届け先には納得がいくが、残りの一軒になぜウサギをやるのかが分からない。実はそのアデリナ・タマンコが、亭主の一物に呪いをかけるやり方を伝授してくれたのだ。話が進んだところで、ああ、あれはそういうことだったか、と納得する仕組み。つまりは伏線の回収なのだが、これが実に巧みでうならされる。
ウサギだけではない。オートバイ、銃、金の鎖といった小道具が、人の因果を操る呪物のように重要な役割を要所要所で果たす。それは人と人とをつなぐとともに、災いのたねともなる。たとえばウサギ狩りにも使われているオートバイは、村の若者が町に出かけるための必須アイテムだ。カタリノは路上レースで負けを知らず、ついには彼女をものにする。しかし、そのカタリノが兄とも慕うオートバイ修理工は、新婚の身で事故に遭ってしまう。
小さな村のことで、人々は互いをよく知っている。それでいながら、隠すべきことはしっかり隠している。そしてまた隠していても誰かには見られてもいる。「名のない物」が落ちたのを契機にして、箍が外れたようにそれが露わになる。中でも多いのは性に関わることだ。ブラジルから来たイザベラはパンを焼くのが本業だが、店は風俗店も兼ねている。若い妻を家に置き去りにしてカタリノはイザベラの店に通う。
イザベラがポルトガルに来たのはファティマかあさんの最後の頼みを聞いてやったからだ。ポルトガル生まれの老売春婦は、生まれ故郷に埋葬してほしいとイザベラに頼んで死んだ。棺桶と一緒に船に乗ってイザベラはガルヴェイアスにやってきた。そしてかあさんの家を継ぐことになった。そんなある晩、イザベラは村の医者マタ・フィゲイロの息子ペドロと車で夜のドライブに出た。
セニョール・ジョゼ・コルダトは、親子ほども年の離れた使用人のジュリアに焦がれ、自分の横で眠ってくれと懇願する。ジュリアには二十五にもなって遊び歩いているフネストという息子がいる。ジュリアのためを思ってセニョール・コルダトは懇意にしているマタ・フィゲイロ先生に仕事を紹介してもらう。収穫したコルク樹皮の見張り番だ。フネストは夜中にやってきた車に向かって威嚇射撃を行うが、朝になって警察に捕まる。撃たれたのはイザベラだった。
よかれと思ってしたことが、人を不幸にしもするが、逆に殺そうとまで恨んだ思いが和解を育むこともある。小さな村の錯綜した人間模様が複雑に絡みあい、一九八四年のガルヴェイアスに襲いかかる。「名のない物」の落下に始まる黙示録的な啓示は、どう果たされるのか。詩人で紀行文も書くという作家はシンプルで読みやすい文章で、ガルヴェイアスの住人の素朴な魂を紡ぎ出す。作家の故郷でもあるガルヴェイアスに行ってみたくなった。