青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『ブラック・スクリーム』ジェフリー・ディーヴァー

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リンカーン・ライム、シリーズ第十三作。今回の相手はコンポーザー(作曲家)を名乗る犯罪者。特別に繊細な聴覚を持つが、統合失調症を病んでいる。脳内で音が異常に増殖する、ブラック・スクリームという症状が現れると、自分を制御できなくなる。チェロ用のガット弦で作った首吊り縄を被害者の首に巻き、時間をかけて首を絞めてゆく仕掛けを用いて、苦しむ様子を撮影した動画をネットに曝す。そして、被害者の呻き声をサンプリングして作曲し、バックに流すというのがその手口。

一人目の被害者がニュー・ヨークで誘拐される現場が少女によって目撃され、ライムたちが動き出す。現場に残された証拠から、ライムは監禁場所を割り出し、サックスが現場に急行し、すんでのところで被害者は辛くも助け出される。運よく逮捕を免れた犯人は、現場にパスポート用の写真を切り抜いた紙片を残していた。海外逃亡を企てたのだ。舞台は、イタリア、ナポリへと移る。

このシリーズには珍しく、主要な事件が海外で展開される。紛い物のトリュフの売人を追っていた森林警備隊の巡査エルコレは、逮捕を目前にして自分を呼ぶ声に気づく。誘拐事件の目撃者が警官を呼んでいたのだ。現場に残された首吊り縄のミニチュアといい、目を通していたニュー・ヨークの事件に酷似していた。指揮を執る国家警察警部ロッシにより捜査の一員に抜擢されたエルコレは、早速アメリカに連絡を取る。依頼した証拠物件とともにやってきたのがライムと介護士のトム、それにライムの婚約者アメリア・サックスだった。

シリーズ物の常として、ある程度続くと、何か新味を出す必要に迫られる。ライムとアメリアの結婚ネタや、新メンバーの投入だけでは興味をつなぎとめることが難しいと見たのか、今回は、なんと臨時チームの編成となった。国家警察ナポリ本部を捜査本部に、腕利きだが狷介な上席検事スピロや、有能な科学捜査官ベアトリーチェ、美人の遊撃隊巡査ダニエラ、と今回限りにしておくには惜しいメンバーの勢ぞろいだ。

首から上と右腕を除き全身麻痺のライムはいうところの安楽椅子探偵。現場に向かうのはサックス刑事だ。グリッド捜索で微細証拠を集めて帰り、それを分析して一覧表にまとめる。不案内なイタリアでサックスのバディを務めるのが、三十歳のエルコレ。国家警察か国家治安警察を目指していたが諸事情で断念した経緯がある。この事件で認められ、念願を果たすという野心を抱いている。果たしてそれはなるのか。

能力はあるがお人好しで思いつきをすぐ口に出してしまうエルコレは事あるごとにスピロの叱責を受ける。スピロは何故かライムたちを目の敵にする。ふだんならチーム・ワークを武器に事件の謎に迫るが、今回はこの難敵が立ちふさがる。かといってこのスピロ、ただの敵役ではない。ライムも認める高い捜査能力を持つ男だ。外部の者の協力を拒否するスピロの目をかいくぐり、サックスとエルコレは次々と起きる事件に立ち向かう。

部下思いの穏健な警部ロッシの陰の協力を得、科学捜査官のベアトリーチェの力を借り、エルコレに無理を強いてライムは捜査を進める。ところが、コンポーザーを追うライムたちに別の事件が降りかかる。留学中のアメリカ人学生が強姦事件の犯人として逮捕され、その嫌疑を晴らしてほしいというナポリ領事館からの依頼である。しかも、検察側の担当検事がスピロであることから、話がややこしくなる。この窮地をどうやって乗り越えるのか。

今回の舞台となるのが、ヨーロッパへの難民の玄関口であるイタリア南部に位置するナポリ。イタリアには有名なシチリアコーザ・ノストラだけではなく、ナポリを拠点とするカモッラ、カラブリアンドランゲタ、プーリア州のサクラ・コロナ・ウニタなどの犯罪組織が犇めいている。そこに今話題となっている難民問題が加わる。原題は<The Burial Hour>。本文では「生き埋めの危機」と訳されている。地滑りのように押し寄せる難民で、もともとの国民が生き埋めに会うような恐怖を味わうことを意味している。

難民問題という政治的な話題を絡ませることで、単なる犯罪捜査に留まらず、意外な展開が待ち受けていることもあり、いつもとは一味も二味も違った風合いに仕上がっている。おなじみのどんでん返しもちゃんと用意されているので心配はいらないが、アモーレ、カンターレ、マンジャーレの国イタリアらしく、各国料理の成分や蒸留酒の製法が事件解決のカギを握るなど、思ったよりマイルドな仕上げになっている。

ごりごりのミステリ・ファンはどうかしれないが、たまにはこういう変化球もあっていい。ライムがウィスキーではなくイタリアの蒸留酒グラッパにはまるなど、アレンジも効いている。風光明媚なヴォメロの丘や海に浮かぶ卵城、カモッラが根城にするスパッカ・ナポリなど、ナポリらしさが満喫できる。犯行現場となる地下通路の絞り込みなど見どころは多く、マッスル・カーではなく、ルノー・メガーヌを駆るサックスもまた一興だ。

無愛想な敵役に見えたスピロの意外な正体や、エルコレの国家警察入りの成否など、人間関係の機微にも興味は尽きない。事件が終わった後、ライムとサックスの結婚についてもあらましが仄めかされており、ファンなら読むしかない。ミステリは好きだが、あまり酸鼻を極めるものは苦手、という読者にお勧めできる後口のさわやかな一篇である。