青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『数字を一つ思い浮かべろ』ジョン・ヴァードン

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デイヴ・ガーニーは四十七歳。いくつもの難事件を解決してきた超有名な刑事だが、今はニューヨーク警察を退職し、デラウェア近郊の牧草地に十九世紀に建てられた農館で暮らしている。事件解決以外に興味を持たない夫と二つ違いの妻マデリンとの間にはすき間風が吹いていて、それは近頃ではどんどん強くなってきていた。早期に退職したのはそれも原因の一つだった。

どんな資産があれば、ただの元刑事がそんな優雅な引退生活を送れるのだろう、と素朴な疑問がわくのだが、ともかくそんな元刑事のところに事件は突然舞い込んでくる。大学時代の友人に送られてきた奇妙な手紙の一件だ。手紙には「数字を一つ思い浮かべろ」と書かれていた。友人は658という数字を思い浮かべた。同封の小さな封筒を開けるとその中に入っていた紙には、658と記されていた。なぜ差出人は前もって知ることができたのか、というのが謎だ。

クラブのショーの一つに読心術というのがある。それと同じ手口だが、サクラを使えない手紙で、どうしてそれができたのか。しかも、手紙には続きがあり、なにやら復讐めいた匂いすら漂う。今は成功者だが、かつて酒浸りだったことのある友人は当時のことを覚えておらず、恐怖を感じてガーニーを頼ってきたのだ。初めは警察に知らせろと言っていたガーニーだが、その友人が殺される。

被害者は割れたガラス瓶で喉を何度も刺されて死んでいた。しかし、不可解なのは雪の上に残された犯人の足跡だった。現場から規則的に続いた足跡が途中で消えていたのだ。何という古典的なトリックだろう。近頃とんとお目にかかれないべたな足跡消失ネタである。読心術に雪上に残る足跡。古き良き探偵小説の読みすぎだろう、とツッコミの一つも入れたくなるところだが、それでいてこの小説けっこう読ませる。

ガーニーは地方検事の要請で、捜査に協力することに。すると、間を置かず、ブロンクスでもウィチャーリでも殺人事件が起きる。被害者は一様に喉を指されているのだ。しかも、現場にはしりとり遊びのように殺人の行われた地名を示す何かが残されていた。もっとも、そのことに気づくのはガーニーではなく、彼の妻であるマデリンなのだが。そう、このガーニーという凄腕の元刑事、前評判は高いくせにひらめきという点では妻にかなわない。

それというのも、何かというと自分の過去や現在の家庭内の問題にばかり頭を悩ませているからだ。実は父親に疎まれていた過去を持ち、今は前妻との間にできた子とは疎遠で、マデリンとの間に生まれた子は事故で失くしている。妻との間に溝が生まれたのはその事故がきっかけだった。ガーニーは子どもの死以来、家庭を顧みなくなっていた。自分が眼を離した間に息子が交通事故に遭えば、自分を責めるのは当たり前だと思うが、妻の眼から見るとまるで自分を罰しているように見える。

謎解き物の本格ミステリのように見えるが、評判の割にはガーニーの捜査にキレはない。むしろ、口は悪いが腕は立つディックもふくめ、妻のマデリンや捜査本部のチームに属する冷静沈着な女性巡査部長ウィッグや同じく女性心理学者のレヴェッカに助けられている。むしろ、刑事でもないのに長時間車を運転して現場に向かい、現場を仕切る刑事に煙たがられるガーニーの姿は、どちらかというとハードボイルド小説の探偵のようだ。

シリーズ化を考えているらしいが、数字のトリックはまだしも、消えた足跡の方はあまりにも時代がかっている。謎解きならよほど目新しいものを持ってくる必要がある。他の人気シリーズとの差異化を図るなら、ニューヨークという大都会ではなく、キャッツキル渓谷という山間地を舞台にしている点はポイントになる。もう一つ、アームチェア・ディテクティブ役を振られているマデリンとのコンビを強化し、今後も二人三脚でやっていくことを強く勧めたい。