『淡い焔』ウラジーミル・ナボコフ
旧訳の『青白い炎』は筑摩書房世界文学全集で読んだことがある。例の三段組は読み難かったが、詩の部分は二段組で、上段に邦訳、下段に原文という形式は読み比べに都合がよかった。新訳は活字が大きく読みやすいが、英詩は巻末にまとめてあるので、註釈と照合するには使い勝手がよくない。詩の部分四十ページ分コピーするか、註釈者が勧めるようにもう一冊用意するといい。
というのも、この本は「まえがき」に続いてジョン・シェイドという詩人の九百九十九行に及ぶ四篇からなる長詩が記され、その後にチャールズ・キンボートによる註釈が記される構成になっている。キンボートはまず註釈を読んでから詩を読むように示唆しているが、いずれにせよひっきりなしに頁を繰ることを要求される。それというのも詩だけでなく、註釈を参照せよと命じる註釈が存在することもあって、頁を繰る手が止まらなくなるのだ。
『淡い焔』は、ナボコフがプーシキンの『エヴゲーニイ・オネーギン』の英訳に大量の註釈をつけて出版したことが執筆の契機となっている。厖大な注釈の中でナボコフは自分の考えを思う様披瀝しているが、おそらくそこに註釈者の自由を感じたのだろう。註釈者は、たった一行の詩に対して何ページもの註釈をつけることが可能なのだ。敷衍すれば牽強付会な解釈をすることすらできる。キンボートがやろうとしているのはつまるところそれである。
シェイドの詩「淡い焔」は、自分の人生、愛娘の死、愛する妻、死後の生に関する考察といった、いわば極めて個人的な主題が、英雄詩体二行連句(ヒロイック・カプレット)で弱強五歩格(アイアンピック・ペンタミター)の押韻を踏んで書かれている。一見すると、そこには註釈に出てくるようなキンボートの故国ゼンブラに関することなど書かれていないように思える。
ところが、ゼンブラからアメリカに亡命したキンボートは同じ大学に勤務し、以前から知る詩人シェイドの隣に住むこととなり、夕刻など一緒に付近を散歩するおり、詩人にゼンブラの話をしていた。詩人ははっきりとは書いていないが、ゼンブラやその王チャールズについてそれとなく仄めかしている詩行が多くあると思い込んでいる。
註釈は、はじめこそ註釈らしい体裁をとっているが、次第にゼンブラという王国に起きた政治的な紛争と、囚われた王の脱走劇、王の暗殺を命じられた刺客の追跡、といったストーリーが増殖してくる。しかも、シェイドが四篇の詩を完成するまでの日数と刺客の探索から暗殺に至る日数までがぴたりと符合する。もっとも、ひどい下痢に悩まされていた刺客はあろうことか急ぐあまりキンボートではなく後ろにいたシェイドを殺してしまう。
自らの素性を明かしていないが、誇大妄想でなければ、キンボートが国を追われたゼンブラの国王チャールズらしい。キンボートは夫の死で取り乱す未亡人を言いくるめ、詩の出版の権利を我が物とする。無論報酬はすべて妻のものになる約束で。かくして、輪ゴムで束ねた詩を清書した八十枚のインデックス・カードと別にクリプ留めされた草稿を手に入れ、「淡い焔」はキンボートの註釈をつけて出版されることになる。
ロリータやプニンといったナボコフの作品に登場する人物名がかくれんぼしたり、ポープやシェイクスピアの詩が引用されたり、ナボコフ自ら書き起こした四篇からなる長詩「淡い焔」は、言葉遊びを多用した、それだけで充分楽しめる押韻詩になっている。そこに、大量の註釈が付けられる。原稿を秘匿し、果たしてあるのかないのか定かでない草稿や加筆訂正箇所を自在に使うことで、キンボートの妄想は肥大し疾走する。
もちろん一つ一つの註釈はまず詩についての記述から始まる。しかし、すぐに逸脱をはじめ、アメリカに来てからのシェイドとの交際、さらに、ゼンブラ時代の思い出へと話はそれる。偏執病的パーソナリティの所有者チャールズ・キンボートの理想郷、ゼンブラの物語には、王の城から劇場の楽屋に通じる秘密の通路や少年愛、変装等、偏愛のギミックが惜しげもなく浪費される。
知っての通り、ナボコフはロシア革命で殺された政治家を父に持つ。その後ヨーロッパを経て最終的にアメリカに腰を据え、大学で文学を講じながら小説を書くことになる。故郷喪失者であるナボコフはアメリカという異郷にあって、少年時代を過ごしたロシアを強く懐かしんでいたにちがいない。キンボートのゼンブラに寄せる思いはナボコフが今は亡きロシアに寄せる思いが過剰に重ねられている。
しかも、ナボコフはアメリカで、英語で執筆するようになる。『エヴゲーニイ・オネーギン』でプーシキンの韻文を英訳する際、はじめは脚韻を踏むことを考えたが、文脈に沿って訳すことを優先する目的で後にそれを放棄している。シェイドの詩は、その時置き去りにされた情熱の照り返しではなかろうか。
「読書とは再読のことだ」というのはほかならぬナボコフの有名な言葉だが、『淡い焔』こそは、その再読を読者に強いる目的で著された最強の書物だろう。まえがき、「淡い焔」──四篇からなる詩、註釈、索引で構成されるこの書物は、註釈から詩、詩から索引へと、さながら枝から枝へと飛び移る連雀のごとく、読者を絶えず使嗾してやまない。