青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『アンダーワールドUSA』上・下 ジェイムズ・エルロイ

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<上・下二巻併せての評です>

現金輸送車襲撃事件から始まる。中に入っていたのは大量の現金とエメラルド。犯人の一人が裏切り、仲間の顔を焼いて身元を不明にするなど、計画的な犯行であることがわかる。ミステリなら犯人は誰で、金とエメラルドはどこに消えたのか、というのが全篇を引っ張ってゆくはずの謎に当たる。ところが、話は一気にその謎の解明には進まない。なぜなら、一話完結という形式ではあるものの、本作は『アメリカン・タブロイド』、『アメリカン・デス・トリップ』に続く《アンダーワールドUSA》三部作完結編でもあるからだ。

ジョン・F・ケネディロバート・ケネディマーティン・ルーサー・キングと、暗殺事件が続いたあの時代のアメリカの裏面史を描いた意欲作である。なにしろ、リチャード・ニクソンJ・エドガー・フーヴァー、ハワード・ヒューズといった政治家や大金持ちが実名でその醜悪な素顔をさらすばかりでなく、表立っては口にできないはずの政治の裏側に蔓延る汚いやり口を電話口でたっぷり披露している。

主たる舞台となるLAという場所が場所だけに、当時のハリウッド・スターも実名で登場し、スキャンダラスな素顔を見せている。女装趣味のジョン・ウェイン、女が好きなナタリー・ウッド等々、極め付きは同性愛趣味の刑事をひっかける役で何度も顔を出すサル・ミネオか。『理由なき反抗』では、ジェームズ・ディーンの相手役をつとめていたが、その後は鳴かず飛ばず。夜の街で男を漁るその姿は何だかやけにものがなしい。

三部作を引っ張る元ラスヴェガス市警刑事のウェイン・テッドロー・ジュニアとFBI捜査官ドワイト・ホリーの二枚看板に、今回新しく登場するのが駆け出しの私立探偵、クラッチ。二人に糞ガキ、覗き屋、と散々馬鹿にされながらも、執拗に食い下がる。この三人が物語を動かしてゆく。それにからんでくるのが、やり手の悪徳警官で発生当時から現金輸送車襲撃事件を追い続けているロサンゼルス市警強盗課刑事スコッティ・ベネット、と同性愛者であることを隠して事件を追いかけるロサンゼルス市警の黒人刑事マーシュ・ボーエン。

一巻が400ページ二段組というボリューム。それに、ロサンゼルス市警と私立探偵、ラスヴェガスの賭博関係者、黒人過激派組織、カジノ進出に関わるドミニカ共和国関係者、マフィア並びに犯罪者、合衆国政府及び連邦機関、と登場する人物、組織の相関図で紙面が一枚真っ黒になりそうなほど。いくら、現在形を駆使したエルロイならではの「電文体」できびきび書かれているにしても、場所は飛ぶし、人の出入りは激しいしで、話の筋を追うだけであっぷあっぷさせられる。

そこへもってきて、ウェインとホリーが愛する女がからんでくる。継母への愛ゆえに父親を殺したウェインには黒人殺しの汚名がつきまとう。ところが、殺人現場に居合わせたことで巻き添えを食わせてしまった黒人牧師の妻を一目見てから忘れられなくなる。ホリーは左翼の活動家カレンとその二人の娘を愛しながら、カレンの同志であるジョーンとも深い関係になってしまう。男の世界ではクールでハードな二人が、女を前にすると、どうにも愚図になってしまうところがエルロイ調。こういうところ、嫌いではない。

ミステリの本道を行く現金輸送車襲撃事件の謎を解くのは、なんと私立探偵のパシリをやらされていた糞ガキのクラッチである。ある意味この小説は、その出自や運命的な出会いによって裏街道を行くことを選ばねばならなかった男二人に魅かれながら反発するクラッチという貧しい生い立ちの青年の成長を描く、ビルドゥングスロマンという側面を併せ持っている。反面教師の二人は、シリーズ完結編に相応しく、英雄的な最期を遂げてしまうからだ。

その一方で、「運命の女(ファム・ファタル)」というべき、出会う男の誰もを骨抜きにしてしまうジョーンをはじめ、カレンもジョーンの愛人シーリアも、しぶとく生き残る。この時代、大統領選を代表とする表の世界を牛耳っているのは男たちだ。しかし、男たちの何とだらしないことか。金や権力への欲望にしがみつき、いっときの栄光や願望の成就は得られるものの、そんなものは長続きはしない。他人を道具にした報いは必ず自分に跳ね返ってくる。というより、それ以前に酒や麻薬が彼らの身も心も蝕んでいる。そうなる前に死んでいった二人の男が眩しく思えるほどに。

まだ現在のようなコンピュータが登場する前の時代、データは厖大な量の紙ファイルで貯め込まれている。それを盗み撮るのがミノックスという時代。盗聴も覗きも体を張っての仕事だった。ファイルの書き換えや改竄、削除という行動が何度もくり返し出てくる。これまでなら絵空事のように読んでいたところだが、なるほど、政治家を守るために下の者はこんなことを始終やらされているのだな、とあらためて再認識した。

ニクソン大統領が選挙で選ばれるまでの、反対陣営に対する妨害行為やネガティヴ・キャンペーン、カジノ誘致を目論む資産家たちとの関係など、一昔前のアメリカの裏側を描いているはずの小説が、今の日本の政治状況をそのまま描き出しているように読めてくる。なるほど、アメリカの大統領を日本の首相とするなら、差し詰めエドガー・フーヴァーは何某だな。こうやって犯罪を揉み消すのか、マスコミにのらないのは西も東も同じだな、などと切歯扼腕したり慨嘆したり。

ウェインもホリーも、けっして善人とはいえない人物だから、酷い死に様をさらすことになる。シニカルな構図だが、いくら巨悪と戦う目的があるにせよ、我が手を他人の血で染めた者にはそれなりの報いが用意されねばならない、というのはいかにもピューリタン的な発想といえる。しかし、ウェインやホリーが本当にしたかったことは厄介者扱いされていたクラッチに引き継がれる形で成就する。これは小説だからか。それともアメリカの話だからなのか。謎解きにあたる部分が平板すぎる印象を持つが、もともと普通のミステリを書く気などないだろう。圧巻の、というにはどこかさびしい悪のクロニクルではある。