<上・下巻併せての評です>
その情景は私の目に焼きついている。通信衛星を使った日米間初のテレビ宇宙中継の実験放送中に飛び込んできたからだ。中学一年生だった。人気のヘア・スタイルをまねようと髪を伸ばし始めていたころだ。当時、ジョン・F ・ケネディ大統領は、その清新なイメージによって世界中で人気を集めていた。その大統領が白昼、衆人が環視する中で殺されたのだ。あの時の衝撃は忘れることはない。
実行犯としてリー・ハ-ヴェイ・オズワルドが逮捕されたが、二日後ジャック・ルビーによって殺されており、真相は闇に葬られたままだ。アメリカという国家の闇の部分を描くとしたらまさにうってつけの題材で、狂犬の異名を持つジェイムズ・エルロイが放っておくはずがない。『アメリカン・タブロイド』(上・下)は「暗黒のL.A.四部作」に続く「アンダーワールドUSA三部作」の第一作。舞台はL.Aからアメリカ全土に広がる。
大男のピート・ポンデュラントは素手で人を殴り殺し、手錠を引きちぎるという化け物である。労働界のボス、ジミー・ホッファ、大富豪のハワード・ヒューズという権力を後ろ盾に、殺しも請け負えば、副業の探偵業で不倫亭主を強請りもする、強面の便利屋だ。男を殴り殺した事件を担当したのが、当時FBIにいたケンパー・ボイドとウォード・J・リテル。今回はこの三人が章が変わるたびに語り手役を交代し、その視点から事件を、心中を語る。
ケンパー・ボイドは、FBI長官エドガー・フーヴァーにスパイとしての力量を買われ、形式上はFBIを辞職したことにし、労働組合の年金基金不正を暴くマクレラン委員会で働くことになる。委員会を率いるのはロバート・ケネディ。裕福な家に生まれたボイドだったが父の自殺で一家は没落。これを機会にケネディ家に近づき、失地回復を夢見る。野心家で、女にもて、服装やホテルには金を惜しまない高級志向の色男ながら、自在に訛りを操るなど、頭も切れ、腕も立つ。
ウォード・リテルは、盗聴などの汚れ仕事に長じるFBI特別捜査官。イエズス会出身で弁護士資格も持つ理想家肌で、ボビーに共感し近づこうとするが相手にされない。任務の上ではボイドには頭が上がらず、腕力ではピートを怖れている。小心で緊張をほぐすためについ酒に頼るところがある。しかし、いったんどん底まで落ちたことで、腹をくくり、マフィアの弁護士を引きうける。それ以降、リテルは一段と凄みを見せるようになる。
三人の悪党の眼から見たアメリカの裏面史である。表の世界を動かしているのは政治家だが、実際に動くのはその手足となって働く下っ端の連中である。上には上の思惑があるが、下には下の思案がある。政治家、金持ち連中は裏でマフィアとつながっているし、それを監視する立場のFBIは盗聴で得た情報を使い政治家やマフィアを牛耳ろうとする。当時キューバではカストロの勢いが増しており、麻薬とカジノの利権をめぐり、マフィアのボス連中はキューバ対策で頭を悩ませていた。
CIAは、反カストロの亡命キューバ人による部隊を作り、米軍とともにピッグス湾に侵攻する作戦を立てる。ピートとボイドは、上から密命を受け、キューバ人部隊を訓練することになる。その一方で彼らはそれとは別にカストロ暗殺を企て、狙撃手を募り、秘かに訓練を繰り返していた。その狙撃手が、カストロではなく、大統領暗殺に転用されることになろうとは、このとき二人は知る由もない。
南部の名門出身でイェール大卒のボイドはジャック・ケネディに自分を重ねていた。もし、父の死がなければ自分が大統領になっていたかもしれない、という思いである。しかし、ジャックは、ボイドなど眼中になかった。盗聴テープでそれを知り、傷ついたボイドは、自暴自棄のような作戦にピートを引き入れる。マフィアの麻薬を横取りすることに成功はするものの、二人はその後、報復怖れて疑心暗鬼に陥り、頭痛に悩まされ、それまで手を出さなかった薬に頼るようになる。
フーヴァーに失策を咎められ、FBIを追われたリテルは、マフィアのボスの一人に弁護士として雇われ、その後ハワード・ヒューズの下でも働くことになる。ピッグス湾事件が完全な失敗に終わり、カストロ暗殺の目も消えた。ピートとボイドは、麻薬強奪の件がばれ、マフィアに生殺与奪の権を握られてしまう。そんな二人に挽回策を見つけてきたのはリテルだった。二人の使命はジャックを殺すことだった。
「電文体」が影を潜めた硬質な文章から伝わってくるのは、男たちの悲しさだ。人の命などこれっぽっちも気に留めない男たちだが、何故か妙に心に残る。ジャックに追いつこうと、精一杯虚勢を張る見栄っ張りなボイド。同じカトリックとしてボビーの力になろうと身を粉にして働きながら一顧だにされないリテル。豪勢な部屋をあてがわれていても番犬にとっては犬小屋だと自嘲するピート。
三人の男は、危険の中に身を置いていないと、生きる実感が得られない、内的衝動を抱えている。エルロイ自身の衝動の反映だろう。ヒューズ、フーヴァーといった大物連は徹底的に戯画化される反面、自分一人の才覚で生きるしかない男たちは、意思も感情も知力もある等身大の人間として描かれている。ただ、組織を背負って生きてきた男たちは後ろ盾をなくすと脆い。自分の魂を売って組織を乗り換えた男だけが強かに生き残る、その非情さに胸蓋がれる。エルロイはチャンドラーが嫌いだそうだ。たしかに、チャンドラーにこんな男は書けない。シリーズは続く。