青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『掃除婦のための手引き書』ルシア・ベルリン

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作家は小説を書くために波乱万丈の人生を送ってきたわけではないし、過酷な人生を送った誰もがいい作家になって小説を書くわけでもない。ただ、ルシア・ベルリンに関していうなら、彼女がこんな人生を経験していなかったら、そして、魂というか、人間の内部にある根幹の抜き差しならない部分で、それを自分のこととしてしっかり受け止め、一度他人事のように突き放して観ることができなければ、こんな小説は書けなかった。自分と周りにいる人間を愛することをやめなかったことが、これらの小説を産んだのだとはいえると思う。

文は人なり」なんてことをいうと、また古いことをと笑われてしまうだろうが、文章を書くことが人間にしかできない技藝である以上、そこにはまちがいなく書き手の人柄というものがにじみ出る。ましてや、ルシア・ベルリンのように、小説の題材をほぼ実人生から選び取ってくるタイプの書き手ならなおさらだ。それにしても、何という人生だろう。転地先を地図上で探るだけで、指は南北アメリカ大陸間を上下左右に動き回る羽目になる。

アラスカ生まれで、父は鉱山技師。父の勤務地が変わると引っ越しが待っていた。幼少期はアメリカ西部のいくつかの鉱山町。父が出征中はエルパソの母の実家に、そこからチリで裕福な上流階級に変身、成人してからはメキシコ、アリゾナニューメキシコ、ニューヨーク、晩年はコロラド州ボールダー、そして最後はL.A。子どものころの心身両面にわたる悲惨な境遇、四人の子を育てる寡婦の日常、掃除婦、ER勤務、アルコール依存症、刑務所内での文章教室等々、普通人の何倍もの人生を生きている。

アメリカで刊行された同名の短篇集の中から訳者が選び抜いた二十四篇からなる短篇集。巻頭に置かれたのは「エンジェル・コインランドリー店」。「わたし」はそこで、いつも会う年寄りのインディアン、トニーに手を見つめられ、自分の手の実情を発見する。魅力的な女だが、小さい子を抱えて暮らしは楽ではない。それでも、ジョークを愛し、カーテンをコイン・ランドリーで染色するヴァイタリティーに溢れている。突き抜けたユーモアとニューメキシコ州アルバカーキの場末に漂う、誰でも受け入れ可能な風通しのいい世界観が、作家の個性を鮮やかに物語る。

突拍子もないジョークのセンスがインディアンのそれに似ていた母のこと、アル中のトニーに「トレーラーハウスでいっしょに横になって休まないか」と誘われるエロスの顕在、今の時制の中にひょっくり過去の話が混じり込んでくる、はじめて吸った煙草は、王子様が火をつけてくれた、という嘘のような本当の話。これから始まる短篇集の主要なテーマや語り口が、さりげなく配置された愛すべき佳品。この話が気に入る読者なら、最後まで読むに決まってる。さあ、どうだ、という訳者の意気込みが見える。

「ドクター、H.A.モイニハン」は「わたし」の祖父。邪険で偏屈で人を人とも思わない。誰からも嫌われているが義歯作りの技術には定評がある。エルパソ時代、先生を殴って退学になった「わたし」は、祖父の歯科医院で働くことに。自作の総入れ歯をはめるため、酒を飲んだ勢いで、今ある自分の歯を抜きかけた祖父は、痛みに耐えかね、後を「わたし」にゆだねる。ペンチで全部抜いてしまうと「わたし」は椅子のレバーをまちがえて「祖父はぐるぐる回転しながら血をあたりの床にふりまいた」。血止めにありったけのティーバッグを口に詰め込む「わたし」。

「毒々しい血まみれの首の上の白い骨。おそろしい化け物、黄色と黒のリプトンのタグをパレードの飾りみたいにぶらさげた生きたティーポット」というこのあたりの奇妙にねじくれたユーモア感覚は母譲りのものだろうか。「沈黙」で、酔っ払った祖父は揺り椅子に「わたしを押さえつけ、かんかんに焼けたストーブすれすれに椅子が激しく上下し、祖父のものがわたしのお尻を何度もついた」と書かれている。帰ってきたジョン叔父に助けられたが、酔っぱらった祖父による虐待を祖母は見て見ぬ振りをして止めなかった。妹のサリーが同じ目に遭ったとき、自分も止めなかったことを叔父に叱責されている。祖母が妹ばかりかわいがるのを嫉んでるんだろう、と。

このエルパソ時代のことは、よほど心に残っていたのだろう、この時代を書いたものは多い。妹のサリーと母の思い出も多く描かれている。矯正器具で体を締め付けられ、運動も遊びも友達のようにできなかった少女時代、「わたし」は、いつも人の遊びを傍でじっと見ている暗い少女だった。ただ一人の友だちがお隣のシリア人のホープだった。「もしもあの経験がなかったら、たぶん私は今ごろ神経症とアル中と情緒不安定だけでは済まなかっただろう。完全に壊れた人間になっていただろう」と書くほどに。そのホープともあることがきっかけで疎遠になってしまうのだが。

「掃除婦のための手引き書」は、いろんな家を受け持つ掃除婦が、うまくやっていくためのマニュアル書の形式で書かれている。はなっから、盗みを疑ってかかる主人に対抗するための手段や、その目をかすめて働く盗みの手口などを、シニカルかつユーモラスに紹介している。その一方で「みんな、わたしが自己憐憫と後悔に酔っていると言う。誰とも会おうとしない。笑うとき無意識に口を隠している」。恋人のターが死んだ事実があっけらかんとした掃除婦暮らしの裏に隠されている。

短い文章の中に、必要にして十二分なものだけが、これ以上はないほどに正確に、生き生きと、飛びっきりのリズムで書かれている。これだけの作家が今まで日本に紹介されていないのが不思議だったが、本国でも扱いは同じで、リディア・デイヴィスの文章が訳者の目に留まったころ、三冊の短篇集は絶版で古書扱いだったという。素晴らしい鉱脈を発見したら、鉱山は既に廃坑になっていたみたいな話だが、これをきっかけに他の作品も読めるようになるだろう。是非読んでみたいと思わされる。本作の出版は今年一番の収穫ではないか。