『カーペンターズ・ゴシック』ウィリアム・ギャディス
二〇一九年に日本翻訳大賞を受賞した『JR』は、ウィリアム・ギャディスの第二作。本書は『JR』に次ぐ第三作である。国書刊行会から新刊が出たばかりだが、こちらは二〇〇〇年に本の友社から出されたもので、訳者による記念すべき最初の小説の翻訳である。『JR』にも多用されていた、電話相手に向けての一方的な応答、と主客の会話だけでひとつの小説を書く。しかも、舞台は一軒の家の敷地内に限る、という超絶技巧を駆使している。
古典演劇の規則である「三一致の法則」を意識しているのだろう。「時の単一、場の単一、筋の単一」のうち「場の単一」を順守している。読者はまるで主人公に乗り移った霊にでもなったかのように「カーペンター・ゴシック」様式の古めかしい家の中に閉じ込められる。家はマッキャンドレスという地質学者のもので、離婚した妻の趣味で集めた家具で埋め尽くされている。その家を借りているのが主人公エリザベス・ブースと夫のポールだ。
エリザベスの父親は鉱山王だった。次々と事業拡大を図った挙句、贈賄の罪でスキャンダルにまみれて死んだ。遺産は信託会社が管理し、その中から一部が定期的に生活費としてエリザベスと弟のビリーに送られてくる。夫のポールは、義父の金の運び屋として贈賄にも関与している。メディア・コンサルタントを自称し、次々と新しい事業を企てるもののうまくやり遂げられた試しがない。ヴェトナムの英雄という触れ込みも怪しいもので要はただのヒモだ。妻に電話番をさせ、自分は外を飛び歩いてばかりいる。
遺産を信託財産とした父をビリーは憎んでおり、金が役員たちに好きなように使われることに腹を立てている。義兄をばかにしていて、留守をねらっては姉に金をたかりに来る。典型的な道楽息子で、まともに働こうとせず、カルマがどうのこうのと口にしながら、姉の家に来ては義兄の悪態をつき、姉を閉口させている。エリザベスの目には、金をせびりに来ることや、互いを憎んでいること、汚い言葉を吐く点で、ビリーとポールは瓜二つに見える。
そこに、登場してくるのがマッキャンドレス。アフリカの金鉱を調査したことが原因で、CIAや国税庁に追われる身。重要な資料を家に隠していて、時折り確認に訪れる。小説を書こうとしているエリザベスは、元教師で百科事典や教科書作りに携わったマッキャンドレスが気に入り、一夜をともにする。翌朝やってきたビリーの口から借主の出自を知ったマッキャンドレスは、ころりと態度を変え、ビリー相手に、ポールの組んでいるユード牧師がどんな人物かを滔々と弁じ始める。
科学者であるマッキャンドレスが許せないのは、アメリカ人の無知蒙昧だ。進化論を認めず、すべての生き物は神によって同時に創り出されたと信じる人々が多くの州で多数派を占めている。宗教団体に後押しされた政治家が教科書を改悪して子どもたちの頭に虚偽を刷り込むのは日本だけの話とは限らない。キリスト教に名を借りて、イスラム教徒やマルクス主義を目の敵にし、自分たちの運動に協力的な政治家を当選させるために金をばらまいている。ポールは彼らに踊らされている、とマッキャンドレスは話す。
よくピンチョンと比較されるウィリアム・ギャディスだが、偏執狂的な世界を股にかけた陰謀が企てられたり、要人の乗った飛行機がミサイルによって撃墜されたり、聖書やシェイクスピアをはじめ、文学的な言及の多いところなど、相通じるものがある。ただし、時と場所と筋が絞り込まれた本作はピンチョンのように拡散することはなく、最後は一点に収斂される。ポールとマッキャンドレスという、全く異なる世界に属する二人が関係していた人々が、故意か偶然か、重なり縺れあって地球規模の謀略が明らかになる結末は圧巻だ。
すべてがアイロニーの色で染め上げられている。季節は十月の終わり、ニューヨーク近郊の丘陵地帯は、落葉樹が黄や赤の葉を落とし、カーペンター・ゴシックの美しい家のポーチからエリザベスが眺める一帯の美しさは喩えようがない。然るに、冒頭からノバトは無惨に殺され、家を訪れる人間は一様に自分勝手で罵詈雑言を発し、人をなじり、世間を憎み、人を見下し、自分の方がいかに優位に立っているかを騒ぎ立てる。酒を飲み、詰まった便器に小便を撒き散らし、煙草の煙で部屋中をいっぱいにするという有様。
そんな中で、執拗にかかってくる電話や怪しげな訪問客の相手をし続けるエリザベスだけが善良であるように見える。しかし、何不自由なく育てられたエリザベスは自分の手では料理すら満足にできない。医者に通ってばかりで、以前は父、その死後は夫の支配から脱することができない。親友の顔が見たくてたまらないのに、弟やマッキャンドレスから一緒に家を出ようと誘われても、立ち去る勇気が持てないまま、何故かこの家に縛りつけられている。
「カーペンター・ゴシック」というのは建築用語で、ゴシック建築を模した尖頭アーチや急勾配の切妻屋根に小塔を配した北米の木造家屋のこと。ヨーロッパのゴシック建築のように豪壮な石造りではなく、大工(カーペンター)によって建てられた木造りの教会や個人住宅が主だ。堅固な石に対して材質が木であること、外部だけ似せて内部は無視されていること、大量生産品を多用していることなどから、アメリカ文化に対する強いアイロニーが感じられる。
隣家の老人の儀式めいた振る舞いや、不審火、ハロウィンの仮装をした少年グループの嫌がらせ等々、エリザベスが独りでいるときに味わう不穏な空気が、タイトル通りゴシック・ロマンスを強く感じさせる。それまで電話や葉書きでしか音信のなかった親友のエディーが最後にちらっと姿を見せるところなど、舞台の幕が下りても謎は解けない。メモに記された図形や矢印など曖昧模糊とした暗示には事欠かない。一度読んだだけでは到底全貌を知ることは不可能だ。再読、三読を強いられる作品であることは覚悟して読む必要がある。