青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『熊の皮』ジェイムズ・A・マクラフリン

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ライス・ムーアはターク山自然保護区の管理人。資産家が周辺の土地を買い集めて私有地とし、みだりに原生林に立ち入ることができないようにしている。しかし、私有地となる以前から住民は森に出入りし、熊猟を行っていた経緯があり、密猟が絶えなかった。ライスの前にいた管理人である女性生物学者サラは、密猟者を摘発したことを恨みに思う何者かによって暴行の上強姦された。ライスの雇い主はサラを治療させるとともに、後任としてライスを山に向かわせたのだった。

ライスにとっても、自然保護区は身を隠すには絶好の場所だった。ゲートに施錠すれば、私道を出入りすることはできない。もし、そこを突破されても山小屋まで来る間に迎え撃つ準備ができる。ライスは恋人を殺したカルテルの殺し屋を撃ち殺し、組織から追われる身だ。勤務地では。名を変え、人に交じることもめったにせず、山に籠っている。それでも、相手は必ず追ってくることは片時も忘れることはない。

そんな時、キノコを採取しに山に入った男から、熊の死骸を見つけたことを教えられる。熊は皮を剥がれ。頭と両手、両足首が切断されていた。調べてみると、中国で野生の熊が減少し、「熊の胆(い)」の材料として密猟されたアメリカグマの胆嚢と掌が、マフィアのルートを通じ大量に輸出されているらしい。ライスは山を下り、地元の無法者であるスティラー兄弟に探りを入れるが、確証は掴めない。

保護区の中には、管理人でも足を踏み入れることを禁じられている地区がある。自分の残した荷物を取りに山小屋を訪れたサラとライスは親しくなり、暗視カメラの取り付けのために森に入り、禁断の地に足を踏み入れてしまう。大古から誰も足を踏み入れることのなかった場所は、今では他の地域では見ることのできない稀少な生物の宝庫だった。それだけではない。ライスはそこで不思議な体験をする。森の自然と一体化したような、自分と森の生き物との間を隔てる壁がなくなったような奇妙な体験だった。

ライスはそれ以来、自作のギリースーツ(迷彩服)を身に纏い、夜な夜な森を徘徊するようになる。はじめは、ライスを警戒していた生き物たちも次第に奇妙な闖入者に対する警戒を解き、スーツをかぶって息をひそめるライスの前を堂々と歩きはじめるようになる。ある夜などは、密猟のあった場所に集まる熊たちの集会に誘われるような気がしたほどだ。ところが、そこにバイクに乗った密猟者が現れ、ライスは密猟者と格闘する羽目に。

ライスはかつて恋人とメキシコ国境を越えて荷を運ぶ運び屋をやっていた時、逮捕されて刑務所に入っていた。ライスはそこで同房の男から、生き延びるための知恵と技を伝授された。男は名うての殺し屋で、ライスはその眼鏡にかなったのだ。ところが、密猟者の方もただものではなく二人は取っ組み合いのはてに崖から転落。這う這うの体で小屋に帰ったライスは心配して訪れたサラの運転する車で病院に運ばれ、治療を受ける。

ライスは恋人を無残な手口で殺めた男を殺し、ライスに弟を殺された組織の殺し屋はライスをつけ狙う。サラは強姦した男たちへの復讐を願っている。物語を動かしているのは、それぞれの抱く復讐の思いである。密猟者との格闘が思わぬ騒ぎを生み、ライスの素性が外部に漏れるという事態が起きる。危機を察知しサラと二人で山を下りる準備をしているとき、討手が現れる。暗闇の中での死闘は息詰まる迫力。

追われる者と追う者の死闘を描くノワールであるのは勿論ながら、普通のノワールと異なり、ほとんどの舞台が山の中。それもチェロキー族の言い伝えで「あまたの異様(ことざま)の山」と呼ばれる神秘的な場所だ。どこからともなく現れるキノコ採りの片腕の男は、ライスを森の神秘的な世界へといざなう導き手のようでもあり、熊の化身のようでもある。一度人を殺す経験をしてから、自分の中にあるもう一人の暴力的な自分に対し、神経質になっているライスは不眠症を患い、起きている間も時間についての感覚が怪しく、長時間、意識を失っていることもあるらしい。

通常の時間軸から乖離した時間の中での出来事は、現実世界ではないファンタジーの世界の出来事のように感じられる。まるで、人間という迷惑な存在が我が物顔にのさばり出すようになる以前の大古の森の中に生きているような濃密な生命感覚が溢れている。人間に見られることで存在する「自然」などではなく、人間などが地上に登場する以前から存在する大文字の自然。すべてがその中にのみ込まれていて、大きな一体となっているそんな世界だ。

麻薬組織の殺し屋として充分にやっていけるだけの能力を持つ男として、ライスの行動は悪辣ともいえるほどスマート。その一方で、自然の中に分け入り、その一部として生きているときの自然児ぶりには、警察犬のジャーマン・シェパードですら、鼻をくっつけ、舐めに来るほど。この二面性が魅力的だ。チェロキー族と黒人の血が混じる熊猟師のボージャー、DEA相手に一歩も退かない保安官ウォーカー、ライスの力量を認めるミラ、老ヒッピーの資産家スター、といったライスをとりまく登場人物も魅力的に描き分けられている。

何故なのか知らないが、近頃、世間から一歩身を引いたところで隠者のように暮らす人々の物語を立て続けに読んでいるような気がする。『セロトニン』もそうだったし、『オーバーストーリー』でもその種の人物が重要な役割を果たしていた。自分で選ぶのだからもとより理由はあるのだろうが、それだけでないような気もする。ひとは我欲に任せて他の存在を軽んじる人間の世の中に倦んでいるのかもしれない。せめて本の中くらい、人間などの出てこない自然の摂理の中で呼吸したいと思うのかもしれない。