青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『十二月の十日』ジョージ・ソーンダーズ

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アメリカ屈指の短篇小説の名手による四冊目の短篇集。作者は「作家志望の若者にもっとも文体を真似される作家」だそうな。この「若者に」というのが曲者で、一例を挙げれば、良識ある親なら子どもの目に触れさせたくないだろう言葉が、次から次へとポンポン繰り出される。ただ、使われ方に必然性があり、難癖をつけづらい。逆に、過剰なレトリックを駆使した華麗な文体模倣(「スパイダー・ヘッドからの逃走」「わが騎士道、轟沈せり」)もあって、作家志望の若者が真似したくなるのも分かる気がする。

「登場する人物は、ほぼ全員がダメな人たちだ。貧乏だったり、頭が悪かったり、変だったり、劣悪な環境下で暮らしていたり、さまざまな理由でダメでポンコツな人物たちが、物語を通じてますますダメになっていく」と、訳者あとがきにある。しかも彼らが住む世界では資本主義が暴力的なマシンと化し、人々を押しつぶしにかかる(「ホーム」)。人々はそこで、人間の尊厳を奪われ、とんでもなくひどい扱いを受けることになる。

一種のディストピア小説(「センブリカ・ガール日記」)なのだが、ソーンダーズには絶妙なギャグのセンスが備わっていて、言語を絶する状況下にある人物の苦境を追体験しながらも、ついつい笑いが止められない。脳内で暴走する妄想の数々や、どこから思いつくのか分からない突拍子もない商品名、それやこれやにニヤつきながら、地獄の底でのたうち回るダメ人間たちに送っても仕方のないエールを送る羽目になる。絶望的な話が多いが、作家の心境の変化によるのか、意外な結末に心癒されるものがあるのも確かだ。

人には人生のどこかで決断を迫られる時がある。そのとき、他人のために自分を捨てられるか、というテーマが何度も出てくる。隣家で少女が拉致されかけていたら人は何らかの行動を起こす。だが、親の躾けで自由な行動を禁じられている少年の場合はどうか。ナイフを持った男に飛びかかれば返り討ちになる危険がある。それは一人子の少年には許されないことだ。少年は事態の推移を想像し、彼我の成り行きを天秤にかけ、思案の果てに行動に打って出る。

ところが、少年の中に抑えつけられていた欲望が、爆発しそうなまでに膨らんでいた。自分を縛っていたものから解放されたことで暴走した欲望が過剰防衛の形をとって人を殺しかける。突然の危機が引き金となり暴発するのを自分では止められない。辛くも難を逃れた少女が決断を迫られる番だ。十五歳の誕生日を前に少女は自分のことをお姫様のように感じ妄想を膨らませていた。最善だと感じていた、自分と自分を取り巻くその世界が目の前で破綻しかけている。

人の心と体は自由なように思えるが実は自由ではない。体は心に縛られているし、どう思おうが夢ひとつままにならない。巻頭に置かれた「ビクトリー・ラン」は、自己が確立していない思春期の少年少女を襲う青天の霹靂を描いている。重い荷を引き受けざるを得なかった二人は結果的に新しい自分というものを背負い込む。自分の中に潜む暴力性や世界の持つ荒々しい手触りといったものを。しかし、それもまた、一つの成長の徴なのかもしれない。

掉尾を飾るのが表題作。妄想癖のあるいじめられっ子と、脳の中で進行する病のせいで家族に厄介をかけることを怖れる中年男の物語。二人が出会うのは冬の寒さに凍った湖だ。パジャマの上に羽織ったコートをベンチに置き、男は痩せた体を寒気に曝し、凍死しようと丘を上る。自殺では保険金が下りないのだ。脳内で地底人との戦いに躍起になっていた少年が対岸からそれを見て、助けようと凍った水面を突っ切ろうとする。ところが、案の定、氷が割れ水中に落ちる。丘の上からそれを見た男は、少年を助けようと氷の上に向かう。

「ビクトリー・ラン」と同じように二人の人物の脳内の妄想が同時進行でかわるがわる語られる。少年のそれは地底人と戦い、麗しの転校生の愛を射止める、いじめられっ子の日常から逃避するための昔ながらのおとぎ話だ。中年男のそれは自分の過去の回想と、脳内で勝手に聞こえる父親とその友人の話し声。男には継父がいた。素晴らしい父親だったが、脳内にできたものが大きくなるに従い、汚い言葉を吐き、家族に手を挙げるようになった。男は自分も同じ運命をなぞることを怖れている。だから死に急ぐのだ。

普遍的なテーマである「死と再生」の物語のスラップスティック版だ。水に落ちた少年が凍死するのを防ごうと、男は身に着けていたなけなしのパジャマとブーツを気絶している少年に着せる。そして、少年を支えながら歩き出す。途中で気がついた少年は走って逃げだす。パンツ一丁で寒さに凍える老人を見捨てて。死にかけているものが若い命を救うことで、命の尊さ、生きる喜びを再発見する。「生老病死」からは誰も逃れられない。惨めな最期をどう生きるかのシミュレーションとして滋味あふれる小品である。

短篇集は評価するのが難しい。内容にばらつきがあり、好みが分かれることもある。上に紹介した二篇は只々評者の個人的な好みで選んだ。文中に書名をあげた六篇の他に「棒切れ」「子犬」「訓告」「アル・ルーステン」の四篇を含む全十篇。ジョージ・ソーンダーズの独特の世界を味わうに充分な粒よりの短篇集である。原文のはじけっぷりを見事な日本語に移し替えた岸本佐知子の訳業にも触れなければならない。原文と読み比べてみたいものだ。