青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『闇という名の娘』ラグナル・ヨナソン

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北欧ミステリは暗いというイメージがつきまとっていたが、これもやはり暗かった。常習犯である小児性愛者が車にはねられる事件から始まり、これがずっと後まで尾を引く。なにしろ、事件を担当する警部が、犯人が故意に轢いたことを認めているのに、うやむやに揉み消してしまうというのだから闇が深い。被害者の部屋から少年の写真が見つかったが、そのうちの一人が尋問中の母親の息子だったのだ。

主人公のフルダは定年間近の老警部。捜査手腕に定評はあるが、ガラスの天井に阻まれて、同期の男性の刑事が出世してゆくのを横目に、現場一筋でここまで来た。ところが、上司から二週間たったら後進に道を譲って退職せよと、突然告げられる。今担当している事件は、と聞かれ、上に書いたように捜査は終了しているにも拘らず、犯人が自首するまで待つ、と告げる。そして、その女性には逮捕はしないことを連絡し、知らぬ顔を決め込む。

残り二週間の仕事として上司に与えられたのが未解決事件。その中から、見つけてきたのがロシア難民の若い娘が溺死した事件だ。頭部に傷があったのに、事故扱いにされていた。担当した刑事が無能でやる気のないので有名な男だった。さっそく、エレーナという娘のいた収容所を訪れるためにシュコダを走らせる。シュコダなどという珍しい車が出てくるあたりがアイスランドの作家が書くミステリだ。

フルダ自身の生い立ちと現在つきあっている男との関係、被害者であるロシア娘と彼女を誘い出した男との事件当日の出来事が、入れ代わり、立ち代わり語られる形式をとっている。事件を追うことより、フルダという女性が、どんな過去を持ち、その過去により、どんな人間が形成されるに至ったか、ということの方が重要視されている気がする。冒頭に紹介したような、ちょっと考えられない行動を取るにはそれなりの理由がある、というわけだ。

どんな理由があろうと、許されないものは許されない。そう考える読者はきっと多いだろう。かくいう私だってその一人だ。法に携わる者が法を破っていては、この日本という国ならともかくも、ミステリの世界ではとてももたない。だからこそ、フルダがどんなふうに育ち、結婚し、娘を産み、愛娘に十三歳で自殺され、夫を五十二歳で亡くし、それからというもの、一人きりで暮らしてきた孤独な人生を読者に知ってもらう必要があるのだろう。

かといって、それだけでは、フルダのとった行為は到底容認できない。勿論、作者はそんなことはもとより承知だ。フルダは毎晩悪夢を見ている。それがどんな夢で、何故そんな夢を見るようになったか、それが、少しずつ読者に知らされてゆく。趣味の山歩きで知り合った、年上の元医師との食事の後の話の中で。互いに伴侶を亡くした者同士、老後を共に暮らすため、少しずつ互いの過去を知りあう必要があるからだ。

ロシア娘のパートは、少しずつ相手の態度に不信を抱くようになる娘に寄り添い、じわじわと迫りくる恐怖を、ヒッチコックの映画のようなタッチで、ごく短くストーリの節目節目に挿入される。男が誰なのかは一切はっきり書かれることがない。しかし、しっかり読んでさえいれば、この人物しかないと特定できるように書かれている。であるのに、初読時はいつものように読み急いで、つい読み飛ばし、まったくの別人を思い描きながら読まされた。

伏線の張り方、小出しにされる情報の提供の仕方が堂に入っている。さほど複雑な構造でもないのに、はじめに思い描いた犯人像は二転三転する。ミスディレクションが上手いのだ。事件を追う間に挟まれる、フルダとまわりの同僚との不和、友人のいない老女の孤独感、上司との軋轢、単独行動による捜査ミス、とフルダに襲い掛かる不幸の数々が、一気に犯人を追い詰めようとする読者の気持ちに水をさす。

見返しの裏に記される<主な登場人物>も、フルダと殺されたエレーナを除けば、たったの十人。そのうち警察関係者と、例のフルダの話し相手の友人を引けば、残りは六人にしぼられる。このリストに名がない人物を犯人にすることができない、というのはこの世界の掟だ。というより、最初からその男にしかこの犯行は起こせない。つまり、ミステリ上級者を犯人捜しの謎解きで満足させようとははなから作者も考えていない。

あっと驚くどんでん返しが最後の最後に仕掛けられている。この手があったか、とうならされた。それまで、述べてきた、いくら努力しても認められないことに対する不満、職場での孤立無援、仕事を終えた老女に襲い掛かる救いようのない孤独感、夜ごとの悪夢、恵まれなかった過去、これらを解決することは、フルダにとって、殺人事件の解決より、ずっと本質的な問題だったのだ。

解説は後で読むことにしているのだが、なんと、このフルダという女性刑事を扱った作品はシリーズ化されていて、これが三部作の最終巻だという。四十代、五十代のフルダの活躍を描いた作品が後二作あるというのだ。シリーズ物は、できたら順番に読みたいものだが、まだ邦訳がないらしい。これでもって全篇の終了、ということもあって、思い切った手が打てたのだな、と思った。アイスランドでは二作目の評判が高いらしい。邦訳が待たれる。