青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『ストーンサークルの殺人』M・W・クレイヴン 東野さやか 訳

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イングランド北西部カンブリア州はなだらかな丘陵や山の多い地域。厳しい冬が過ぎ、春の日差しに露に濡れた芝とヘザーが輝いている。この地方独特の石壁の修復に一日を費やしたワシントン・ポーは天然石づくりの屋敷つきの小農場、ハードウィック・クロフトに珍客が来ていることに気づいた。国家犯罪対策庁(NCA)重大犯罪分析課(SCAS)刑事部長ステファニー・フリンだ。かつてのポーの部下だが、彼が停職処分を受けてから、今はその後を引き継いで警部になっている。

ポーが停職を食らった事情はこうだ。少女拉致事件が起き、SCASが容疑者を絞り込んだ。それが下院議員の補佐官だったため、上司は逮捕を認めず、議員はその理由を告げた上で側近を解雇した。監視されていることを知れば、犯人は拉致した少女に近づかず、放置された少女が死ぬ恐れがある。ところが、被害者は救出された。父親が容疑者を拷問し、娘の居所を突き止めたのだ。その後、怪我が原因で容疑者が死亡。ポーが被害者家族に渡した報告書の中に、容疑者の名を記したポーの私文書が混じっていたことが明らかになったのだ。

フリンが、誰も知らないポーの隠遁場所をわざわざ調べてやってきたのは理由がある。ポーが暮らすカンブリア州で、立て続けに連続殺人事件が起きたからだ。それも普通の殺し方ではない。ストーンサークルの真ん中に立てた金属の杭に、裸にした被害者をワイヤで縛りつけ、燃焼促進剤を塗って、生きたまま火をつけるという凄惨なもの。発泡スチロールを細かく砕いてガソリンの中に入れ、融けるところまで融かした薬剤を塗ると身体の脂肪まで燃えるので、後には炭化した遺骸しか残らない。おまけに局部が切り取られ、喉の奥に詰め込まれているという異様な手口だ。

NCAの部長でSCASの責任者であるヴァン・ジルは、カンブリア州警察にいたポーをSCASに誘った人物で、誰よりもその能力を買っていた。停職処分を解いて、ポーを現場に戻すためフリンを寄越したのだ。しかし、ポーは今の暮らしが気に入っていた。もともと、人を人とも思わないところがあり、上司とはいつも衝突していた。なまじ能力があるため、人と協調して動くことを嫌い、自分勝手に動くため、同僚の受けもよくはない。今さら警察に戻る気はさらさらなかった。ポーはフリンが持参した辞職願にサインして突っ返した。

ところが、話はそれでは済まなかった。書類はもう一通あり、それは「オズマン警告」と呼ばれる、誰かに重大な危険が差し迫っていることを警告する文書だった。自分が誰の標的になっているのか尋ねたポーに、フリンは現職警官になら話せると言い、署名したばかりの辞職願を差し出す。ポーは辞職願を破り、話を聞くことにした。フリンが見せてくれたのは連続殺人事件の三人目の被害者の写真だった。

被害者はカンブリア地方に住む裕福な六、七十歳代の老人男性に限られている。当初は地元警察が担当したが、連続殺人であることが明らかになり、SCASに協力の申し入れがあった。手がかりが皆無で、遺骸は断層撮影にかけられた。非常に薄い断面図を撮影することで、生前及び死後につけられた傷を割り出すことができるのだ。コンピュータと数学に天才的な頭脳を持つ分析官のティリーが、それを画像処理したところ、被害者の胸部につけられた多数の切り傷から、二つの単語が読み取れた。「ワシントン・ポー」と。

被害者の中に思い当たる人物もおらず、かつて自分が関わった事件との関係も考えられなかった。つまり、犯人がポーのことを知っていることになる。早速、捜査に加わることになったポーは、課で最も腕の立つ分析官を捜査に同行させたい、とフリンに申し出る。一番の凄腕はティリーだっが、彼女には少々問題があった。オックスフォード大学で最初の学位を受けたのが十六歳という早熟の天才は、世間に触れた経験がほとんどなく、極端な温室育ちだった。

上層部に疎まれ、同僚に嫌われている刑事と、頭脳は天才的ながら、他人との関係がうまく処理できず、いじめを受けて孤立している分析官がコンビを組み、犯人を追い詰めて行くという、けっこうありがちなパターンではある。言葉の裏にある意図が読めず、文字通りにしか受け止められない、また自分の思いをオブラートに包まず、言ってはならないことを平気で口に出すティリーの存在が、それぞれの思惑で閉塞的になりがちな場の空気を開放的に変える。同時に、ポーという理解者を得たことでティリーは急速に成長を遂げて行く。

いちいち上の者にお伺いを立てて動く普通の刑事と違ってポーは自分の思い通りに動く。横紙破りに腹を立てる者は多い。一方、相手の職業や権威によって態度を変えない、率直な態度を好む者もいる。今回は、趣味を同じくするバリスタや、暇を持て余した老人たちに気に入られ、民間人のネットワークがポーを助けてくれる。お世辞や嘘というものを言えないティリーの天真爛漫な会話や立ち居振る舞いが、それを後押ししてくれたのも間違いないところ。はみ出し者同士、最強バディの誕生である。

どんでん返しがもてはやされ、煩雑なミス・ディレクションを凝らした謎解きミステリが多い中で、本作は珍しくストレートな快作。作者との知恵比べに負け、悔しい思いをするのもミステリを読む楽しみの一つだが、あまりにあざといミス・ディレクションにはかえって興ざめになることも多い。フェアな叙述から、犯人の見当をつけ、真犯人に迫るというのも、クイーンの国名シリーズ以来のミステリの正統的な楽しみだろう。

カンブリア州という、人間の数より羊の数の方が多い地方を舞台にしていることもあって、カバーの折り返しにある「登場人物」の数も知れている。この中に犯人がいる、というのがミステリのお約束である。また、犯行の手口、被害者の年齢層、といった点も犯行動機を絞り込むのに有益な情報となる。本作では、提示された事実を論理的に読んでいくことで、かなり早い時点で犯人の目星がつく(はずだ)。

原題は<The Puppet Show>。「人形劇」のことだが、そのままでは、書店で児童書の棚に並べられそうだ。それで無難な『ストーンサークルの殺人』にしたのだろう。ただ、無邪気な原題には、かえって濃厚なミステリ臭が漂う。こちらを生かす手もあったのでは。主人公にはまだ語られていない部分が多い。ときに激しく暴力的な振舞いを見せるのも、過去に原因があるのかもしれない。ワーズワースビアトリクス・ポターで有名な湖水地方のある、カンブリア州は独特の風物で知られている。今後が楽しみなシリーズの登場である。