青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『われらのゲーム』ジョン・ル・カレ 村上博基 訳

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元英国情報部出身で、数々の名作を生みだし、スパイ小説というジャンルを確立したジョン・ル・カレが昨年十二月に亡くなった。つい最近『スパイはいまも謀略の地に』を読んで、その健在ぶりに目を見張ったばかりだったのに。もうこれで、彼の新作を読む機会は永久に失われたわけだ。その死を悼んで未読の一篇を探し出して読んだ。1996年刊行だからおよそ四半世紀も前の本だが、ル・カレの描く男たちの世界は今も色褪せることがない。

ティム・クランマーは元英国情報部工作指揮官(コントローラー)。冷戦が終わると、情報部はティムをリサイクル不可能な人員と見てお払い箱にした。ティムは四十七歳にして早々と退職し、叔父から相続したハニーブルック荘園(マナー)で葡萄を栽培し、ワインを醸造、地元の名士としてボランティア活動に精を出す暮らしに満足していた。何よりも歳の離れた愛人エマとの暮らしに夢中だったのだ。十月のある夜、そんなティムのところに二人の刑事が現れ、ラリー・ペティファーの行方を捜していると告げる。

ラリーとティムはパブリック・スクール、オックスフォードを通じて一緒だった。事あるごとに上級生に逆らってはいじめを受けていた三つ年下のラリーをティムはよく助けてやった。素行の悪さでウィンチェスター・コリッジを追われ、ヴェネティアで観光ガイドをやっていたところを新婚旅行中のティムに拾われる。問題行動を起こす割に、誰にも愛されるラリーに二重スパイの才能を見て取ったティムは、彼をオックスフォードに入れ、自分の手足となって働く工作員として何から何まで教え込んだ。ラリーはティムの自信作だった。

ティムが引退するとラリーも情報部を去り、バース大学で臨時雇いの講師となった。しかし、引退生活を楽しむティムとちがい、ラリーはおよそ冒険とは無縁の大学生活に飽き飽きしていた。離婚後、独身を謳歌していたはずのティムに女ができたことを聞きつけ、ティムが車でティムの家を訪れたのが事の起こりだ。二人の男と一人の女、それに車一台あれば映画が撮れる、と言ったのは誰だったか。エマはラリーに夢中になる。

大きく三つに分かれる。出だしは詐取事件への関与を疑われ、警察と情報部の両方で審問を受けるティムを描く。ティムは警察と情報部を相手にしらを切り続けるが、実はラリーとエマについて知るところがあり、読者にも情報を小出しにしている。何の前触れもなく突如として紛れ込む回想場面を通してそれが徐々にわかってくる。ティムは大きな世界の問題とは拘りを持たなかったが、小さな世界の方には大きく関わっていたのだ。内心の焦燥と異常自己抑制のきく外面の乖離がサスペンス・フルに描かれる。

ラリーには、チェチェーエフという元KGB工作指揮官と組んで、ロシア政府から巨額の金を詐取した嫌疑がかかっていた。確かにチェチェーエフは二重スパイであるラリーのソ連側コントローラーだった。二重スパイは、相手陣営にいるときには芝居ではなく本心から相手のために働かなければならない。そういう意味ではチェチェーエフはラリーの一番のお気に入りで、その人物に入れあげていたといってもいいくらいだ。

情報部はティムを共犯者扱いし、パスポートをとり上げて監視をつける。ティムは監視の目を搔い潜り、ラリーの行動の真の意味を暴こうとする。金で魂を売るような男ではないのだ。何よりもラリーの後を追って家を出たエマのことが心配だった。現役時代に培った伝手を頼り、少しずつ事の真相を暴いていくティムのスパイとしての実力が最も発揮される場面である。遂にエマとラリーの隠れ家を発見し、残されていた留守電の録音や燃え残りの手紙、メモその他を解読し、ティムは二人の行先を突き止める。

ティムにとってスパイ活動は頭と口を使って人を動かし敵と戦う、ある種のゲームだった。ただ、それは仕事であって、自分の全生命を賭してやることではなかった。だから、退職後は仕事に未練を残さなかった。することは他にいくらでもあるのだ。ラリーにとってスパイであることがすべてだった。ティムがそう仕向けたのだ。だから、辞めたら他に何かすることを見つけなければならなかった。ロシアという大国の横暴に抵抗しようというイングーシの戦いにそれを見つけたのだ。

幕引きの舞台は北カフカズ。チェチェンを挟んでロシア連邦と隣り合うイングーシの暮らす国だ。イスラム神秘主義を奉じるイングーシの人々は山に住む野蛮人扱いを受け、不当な差別を受けてきた。戦おうにも武力に圧倒的な差があり、無惨な目に遭ってきた。チェチェーエフはイングーシの出身だった。ラリーと共謀して奪った大金が、ロシアと戦うイングーシへの武器供与に使われたというなら、話は通じる。

何の疑問も抱かずにゲームのようにスパイをやってきた男が、無実の罪で国を追われて初めて、真の自分の姿を知る。ラリーにミドル・クラスであることを揶揄され、いっそその仮面をかぶり通そうとしていたことを。ラリーの青臭い演説を聞く耳を持たなかった。今に至る事態を予測できる記録をとりながら忘れていた。自分で自分を欺いていたのだ。操り人形のように動かしていたはずの相手は知らぬ間に自分の頭と胸を使って勝手に動き出していた。ティムはラリーの後を追って戦火のイングーシへと向かう。

ティムとラリーは陽画と陰画の関係にあたる。ティムがそれまで見ていた世界は、大国中心のパワー・バランスに則った華麗なゲームだった。しかし、ラリーが飛び込んだ世界は、人々の思いや命が簡単に奪い去られる苛烈で酷薄な戦場だ。時代がどれほど変わろうと、本当の世界はそういう場で満ち溢れている。見ようとしないから見えないだけだ。ル・カレの描くイングーシの人々の世界は峻厳ではあるが、限りなく美しい。執筆時の状況下では危険を理由に現地取材は許可されなかったと聞く。作家の想像力というものの凄さをあらためて思い知らされた気がした。