ウォルター・ウィザーズは元諜報員。CIAの人材調達係として、スウェーデンで働いてきた。旧家の出で、そつがなく人の気を逸らさない。控え目で自分の分の勘定は自分で持つので、誰からも好かれている。美男だが押しの強さはない、俳優で言えばレスリー・ハワードやフレッド・アステア、シャルル・ボワイエといったタイプ。服装の趣味がよく、一本のマッチで二本の煙草に火をつけることができる。一口でいうと、スタイリッシュなのだ。
ところが、彼がその人たらしの腕にものを言わせて籠絡し、西側のために働かせていたカモたちが始末されたり、評判を落としたりすることが相継ぐ。潜入スパイがいるらしい。自分のせいで拷問を受けたり、命を落としたりする人間が出たことで、悪夢を見るようになった、ちょうどその頃、ジャズ・シンガーで恋人のアンも、アルバムの録音でニューヨークに戻ることになった。ウォルターはカンパニーに辞職を願い出た。彼はニューヨークの情報会社に勤めることになる。
クリスマス・イブの日、ウォルターは社長から直々、パーティーでのボディガード役を命じられる。対象は次期大統領候補の上院議員ジョーゼフ・ケニーリー(ケネディがモデル)の妻マデリーン。ごついタイプでなくソフトなタイプがいいというので、彼にお鉢が回ってきたのだ。当時は冷戦時代、民主党推しで、ソヴィエトと戦う姿勢のケニーリーのことを彼は買っていた。パーティーに押しかけて来たビート詩人を体よく追い払ったことで、ケニーリー家のお覚えめでたくなったウォルターだったが、ケニーリーは食わせ者だった。
ジェイムズ・エルロイの『アメリカン・タブロイド』を読んだから、ジャック・ケネディの女好きはよく知っている。FBI長官のフーヴァーが、その秘密を暴露しようと暗躍していたことも。この夜もジョー・ケニーリーは浮気相手のスウェーデン女優マルタをパーティーに呼んでいた。ウォルター名義の部屋を使って密会しようとしていたのだ。ところが、その晩、マルタが死ぬ。自殺に見せかけた殺しであることをNYPDの警部が見抜き、ウォルターは容疑者にされてしまう。
二人の情事は誰かに盗聴されていた。ウォルターは、アンの不審な動きに目を留めて後をつけ、うまく立ちまわって録音テープを入手する。一九五八年はアメリカン・フットボールの歴史に残るジャイアンツ対コルツの試合があった年。ウィンズロウはこの試合をかなりの長さにわたって書いている。これがフットボールに興味のない日本人には長すぎると評判が悪い。しかし、その後、録音テープをめぐっていくつものグループが争奪戦を繰り広げる。ボールの奪い合いとテープの奪い合いは、どちらも知力と体力を尽くしたチームプレイだ。
しかも、コルツのオーナーは試合の勝ち負けではなく、六点差での勝利にこだわっている。それが賭けの勝敗を決めるのだ。この点も、グラウンドで必死に戦うプレイヤーを尻目に、観覧席にいるオーナーが選手を操っていることを仄めかしている。試合に大金を賭けているウォルターとケニーリー二人の姿が、その後の暗闘を象徴していると見れば、このシーンの意味が分かる。スタンドから試合を眺めるウォルターは、どうやら自分がまきこまれたゲームについても手がかりをつかんだようだ。
ジョン・ル・カレ風のスパイ活劇から、ニール・ケアリー風の探偵小説、その間にアーサー王と王妃グィネヴィア、それに騎士ランスロットに擬した、ケニーリー、マデリーン、ウォルターの三角関係を挟み、大晦日のニューヨークの街を舞台にしたド派手な追走劇を配したサービス満点のサスペンス。後味のいいのは、この時期のウィンズロウの持ち味。一途なまでに思い姫を守ろうとあらゆる手を尽くして力を揮うサー・ウォルターの姿が凛々しい。
何より、プロローグ「懐かしのストックホルム」に始まる、ジャズの名曲、演奏について触れた部分が多いのも、往年のジャズ・ファンにはうれしいところ。なにしろ、あの伝説の伯爵夫人までが登場し、ウォルターとアンに声をかけるのだ。ニューヨークの名店、お高くとまるのではなく、ステーキを食べるなら、本物のジャズを聴くなら、ここといった通好みのお勧めの店があれこれ並び、タイムマシンに乗って、一九五八年のマンハッタンを訪れたような気になれる。
『ユリシーズ』で、ジェイムズ・ジョイスはダブリンのとある一日を様々な文体で描いたが、『歓喜の島』でドン・ウィンズロウが描こうとしたのは、一九五八年のクリスマスから大晦日にかけてのニューヨーク。ロックフェラー・センター前に大きなクリスマス・ツリーが立ち、電飾が輝き、人々は愛する人たちにプレゼントを買うために、五番街をそぞろ歩く。クラブでは着飾った人々が、流れるジャズを聴きながら酒を楽しんでいる、そんな古きよき時代のマンハッタン島の姿が現出する。
主人公のウォルター・ウィザーズは、これが初出ではない。ニール・ケアリー・シリーズ第四作『ウォータースライドをのぼれ」で、時代に取り残されたアル中の名探偵として脇役で顔を見せている。お気に入りのキャラクターではあるが、初登場にして殺してしまっていた。一九五八年を舞台にした作品を構想していた作家は、彼の黄金時代をこの時代に持ってくれば、スタイリッシュで頭脳明晰なところが主人公にうってつけだと思ったという。
訳について一言。後藤由希子の訳は、東江一紀の名訳にも引けを取らない調子のいい訳に仕上がっている。ただし、人名に誤りがある。今回は一九五八年を謳いあげるために、ブロードウェイの名優たちのまねき上げが披露されている。その大事な場面で、あのドン・アメチーをドン・アミーチー。愛すべき名優イーライ・ウォラックを、エリ・ウォラックとしている。こういうところ、作家は愛を込めて書いている。訳者も心して訳すべきだ。