『獄中シェイクスピア劇団』マーガレット・アトウッド 鴻巣友季子 訳
劇場で見たことはないが、ピーター・グリーナウェイ監督、ジョン・ギールグッド主演の『プロスペローの本』という映画を観たことがある。『テンペスト』は復讐劇。魔法を究めることに執心し、政務を疎かにしたことにより、弟に大公位を簒奪され、三歳の娘ミランダとともに島流しにあったミラノ大公プロスペローが、十二年後、偶然近くを通りかかった船を魔法の力で難破させ、かつて自分を陥れたナポリ王や弟アントーニオに復讐を果たすという、シェイクスピア最後の戯曲だ。
『獄中シェイクスピア劇団』は、シェイクスピアの作品を現代作家が語り直すという趣向の「語りなおしシェイクスピア」シリーズ第一作。今回の作者は『侍女の物語』『誓願』等で有名な、あのマーガレット・アトウッド。この組み合わせで面白くないはずがないと期待しつつ読んだが、巻を措く能わず、の言葉通り一気に読み終えた。ラップあり、ダンスあり、罵倒語たっぷり、というミュージカル版『テンペスト』。期待は裏切られなかった。
ミラノ大公の座を追われたプロスペロー役を、カナダの田舎町マカシュウェグで行われる演劇フェスティバルの舞台芸術監督を務めるフェリックス・フィリップスという演劇人にすることで、アトウッドはシェイクスピアお得意の「劇中劇」という「入れ子構造」を使い『テンペスト』に更なる一捻りを加えている。劇作りに忙しい自分の代わりに資金集めやスポンサーの接待役を他人任せにしたつけが回り、ある日突然フェリックスは監督の座を追われる。部下のトニーがその後釜に座るという段取りである。
とりあえずの住まいとして見つけたのがマカシュウェグ近郊の廃道の突き当りにある丘の斜面を掘って建てられた『テンペスト』劇中の土牢そっくりの小屋。失意のフェリックスはそこで隠遁生活に入る。妻は産褥死、娘のミランダは三歳で死んだ。芝居にかまけて看取ってやれなかったことを後悔しているフェリックスは今でも傍にミランダがいる気がして、始終話しかけている。死んだ子の相手をしている間に九年が経ち、遂には娘の声まで聞こえ出す始末。フェリックスはこのままではいけないと社会復帰を考える。
そんな時、近くにある「フレッチャー矯正所」という刑務所内で文学を教えていた教師が急死、後任を急募中であることを知る。デュークという変名で採用されると、早速、講座をそれまでの「ライ麦畑」からシェイクスピアに変え、最後には受刑者たちによる演劇を披露する。それが受け、受講希望者も年々増え常連も出てくる。『リチャード三世』や『マクベス』の評判は上々で、瞬く間に三年が経ち、四年目の今年、「フレッチャー矯正所」に大臣が訪問するという知らせが届く。今では民族遺産大臣にまで出世した、あのトニーだ。一緒に来るのが当時後ろで糸を引いていたサルで、今は法務大臣になっている。
ようやく復讐の時が来た。今年の演目は、監督を解雇された年にやるはずだった『テンペスト』に決めた。ところが、問題が持ち上がる。大事なエアリエルとミランダ役に一人として手が挙がらない。大気の精エアリエルを妖精(フェアリー)だと信じる受刑者たちは、そんな役を演じたら後でどうなるか分かったもんじゃない(フェアリーには同性愛者の女性役という意味がある)と言う。また女の役でもマクベス夫人ならかまわないが、十五歳の可憐な少女役は、同じ理由で誰もやりたがらない。
獄中劇という趣向がここで生きてくる。エアリエルは妖精ではなくエイリアンのようなものだと言いくるめたが、ミランダの方はなすすべがなく、以前候補として挙がっていた女優アン=マリーに連絡し、快諾をもらう。こうして、劇の練習が始まる。キャスティングに始まり、それぞれの役柄の理解、舞台や衣装の製作、振付け、音楽や映像の準備(なにしろ獄中ということで、実際に観客は入れないで録画したものを見せる)と実際の劇ができていくまでが受刑者たちとの会話を通して生き生きと描かれる。
個性の強い役者が揃っている。ハッカーもいれば、元軍人の強盗、詐欺師、麻薬組織の一員、会計士、人種もアイルランド系、東インド系、スカンジナヴィア系、ヴェトナム難民の家系、WASP、ネイティブ・カナディアン、中国系、アフリカ系カナダ人、と色とりどり。受刑者とは言っても、シリアルキラーや小児性愛者はいない。それでも男ばかりの中に女優が入ってゆくのだから、フェリックスは心配するがアン=マリーはなかなかの強者で、すぐにチームの中に入り込み、かえって受刑者たちの強力な助っ人となる。
手ぐすね引いて待ち受けるフェリックスたちのところへトニーとサルたち一行がやってくる。ちょっとした薬を仕込んだ果物とジンジャーエールが用意され、それに手をつけた者は眠りこみ、暗転の中でミランダの相手役、ナポリ王子ファーディナンド役にあたるサルの息子は拉致される。トニーがこれ幸いとサルと党首争いが進行中のセバートにサル追い落としの計略を聞かせるところを録音し、それをネタにフェリックスは復讐を果たすというのが語りなおしの『テンペスト』。ネタばらしのようだが、そもそも種は初めから割れている。
それよりも、受刑者たちが最後にチームで話し合ったそれぞれの役の解釈を披露するとともに、その後の展開を語るところが、いかにも「語りなおし」という趣向にふさわしい。かつて独りよがりで、誰の意見も聞こうとせず、一人で悦に入っていた独裁者フェリックスが、受刑者たちの独特の解釈に百点満点を与え、演劇はチームプレイであることをあらためて理解し直してゆくところなど、胸が熱くなる。
ラップで聴かせるシェイクスピアという発想がぶっ飛んでいるが、『テンペスト』はもともと音楽劇として構想されているので、現代風の語り直しとなれば、ラップもあり、か。ラップといえば韻(ライム)を踏むのが知られている。「バン、バン、キャリバン/獣あつかい、ひどいじゃん!」。原文は読んでいないが、訳者も、かなり苦心したことだろう。原作を知らないからという、心配はご無用。そういう読者のために、作者による<オリジナル・ストーリー>が巻末に付されている。やみつきになりそうなシリーズの登場である。