青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『修道院回想録』ジョゼ・サラマーゴ 谷口伊兵衛/ジョバンニ・ピアッザ訳

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一七一三年、ポルトガルジョアン五世は、首都リスボンの西、マフラの地に宮殿、修道院、大聖堂からなる壮大な伽藍を建設しはじめる。事の始まりは、修道院を建てれば世継ぎが生まれるという、一フランシスコ会士の言葉だった。予言通り王妃が懐妊すると、王は約束を果たすため、五万人という人員と、巨額の建設費を注ぎ込んで大事業に乗り出す。

はじめは小規模な修道院を寄進するはずだったが、サン・ピエトロ大聖堂のレプリカを所持していた王は、イタリア人技師に、サン・ピエトロ級の規模にするよう命じる。ピラミッド建設が一大公共事業だったことは衆知の事実。ことはマフラでも同じで、大工や石工として大勢の職人が働く場を得たが、それと同時に死者の数は千三百人にも及んだ。一七三〇年には王自らが参列し大聖堂の献堂式が荘厳に挙行される。小説が扱うのはその頃のことだ。

七太陽という異名を持つバルタザル・マテウスは、マフラ生まれの軍人。戦争で左手首から先を失い、軍を解雇されて帰郷の途に就く。バルタザルは、旅の途中リスボンに立ち寄り、ロッシオで行われる公開処刑を見物した。火刑は闘牛とともに庶民の娯楽であった。彼はそこで、終生の伴侶となるブリムンダ、それに、仕事の依頼者となる、バルトロメウ・ローレンソ神父と出会う。この後、三人は三位一体となり秘密の仕事に取り掛かることになる。

ブリムンダはユダヤ教からキリスト教に改宗したユダヤ人の血を引く。宗教裁判で多くの人々が異端や魔女であるとされ、火炙りや磔、鞭打ち、追放の刑に処せられていた時代。ユダヤ教イスラム教信者は、特に目をつけられていた。ブリムンダは、幻視や啓示を大っぴらに語った罪で、鞭打ちの後、八年間アンゴラ公国に追放される母親を見送りに来ていた。実はブリムンダにも人体や地中を透視する秘められた力があった。

バルトロメウ・ローレンソ神父は実在の人物。ブラジルはバイヤのベレン神学校で僧職を学び、一七〇八年にポルトガルに移住。一七〇九年にジョアン五世に飛行機械を発明したことを報告、サン・ジョルジェ城の丘から軽飛行機を飛ばし「飛ぶ人」と呼ばれた。モンゴルフィエ兄弟がフランスで飛行実験をする七十五年も前のことだ。バルタザルとブリムンダは、神父の飛行機械の製作とテストに協力し、偉業を成し遂げることになるはずだった。

バルトロメウ・ローレンソ神父の大鳥(パッサローラ)の話は史実だが、それが空を飛ぶ仕組みは、サラマーゴの創作だ。ローレンソの理論では、空を飛ぶためにはエーテルを貯える必要がある。エーテルとは人間の「意欲」だという。魂は死んでから体を離れるが、意欲は生きている内に抜け出るもので、体の中が透視できるブリムンダなら、暗い雲のように見える意欲を集めることができるのだ。ブリムンダに渡されたガラス容器にはエーテルを引き寄せるための琥珀が入れてあった。空を飛ぶためには二千人分の意欲が必要だった。

バルタザルにはパッサローラを組み立てる仕事が待っていた。彼には失くした手首の代わりとなる金属と革で作られた留め金があった。それを使って、板材や籐の細枝、帆布、鉄や銅のコイルで大鳥を組み立てるのだ。材料は王から神父が借り受けた公爵の領地内にある馬車小屋の中に集められていた。三人はそこに泊まりこんで機械を作り始める。その間、マフラでは大聖堂建設が進行中。だが、人力と牛だけが頼りでは礎石となる大きな石を運ぶのも大変で、死者は数知れず、バルタザルの家族からも死者が出る。

サラマーゴの語りは、飛行機械と大聖堂の話を主題としながらも、謝肉祭の賑わいを長々と披歴したり、王の行列の賑々しい様を描写したり、神学論議を交わしたりと逸脱を繰り返し、一筋縄ではいかない。そんな中に当時音楽教師として王に雇われていたドメニコ・スカルラッティが登場する。スカルラッティは宮殿でローレンソと知り合い、大鳥作りの秘密を知る四人目の仲間となる。彼は、死に瀕している大勢の黒死病患者から意欲を集めに行ったせいで衰弱したブリムンダの病を癒すために何時間もハープシコードを弾いてくれる。

当時、人が空を飛ぶというのは魔術に類する技であり、いくら王の庇護があったとしても宗教裁判にかけられる惧れがあった。自分の身に嫌疑がかかったことを知ったローレンソは慌てて飛行機械を隠してある小屋に戻り、それに乗って逃げようとする。つかまれば、二人も同罪である。三人はパッサローラに飛び乗るとガラス瓶にかけてあった覆いを剥がす。するとエーテルは日を浴び、たちまち大鳥は羽ばたき、空に舞い上がる。この空を飛ぶ大鳥からの俯瞰の視線で描かれるリスボン風景が圧巻。

しかし、日が暮れかかると大鳥は降下し始める。バルタザルとブリムンダが何処とも知れない丘陵に機械を着地させると、神父は頭を抱えて走って逃げだす。二人がマフラに戻った時、修道院を建設中の職人たちは、空の高みを飛ぶ精霊の姿を目にした話でもちきりだった。神父の行方は杳として知れず、バルタザルが時々修理も兼ねて様子を見に行くのだが、大鳥は周りを蔽う草木に紛れ、朽ち果てていくようだった。そんなある日、機械を見に行ったバルタザルが帰ってこなかった。ブリムンダは夫を尋ね、国中を巡る旅に出る。

複数の史実を生かしつつ、実在の人物と架空の人物を絡ませることで、宗教裁判と黒死病、大聖堂建設という国家的規模の厄災に見舞われた当時の人々の姿を剔抉し、それにもめげず愛を貫き通す一組の男女の姿を描くことで、ポルトガル一国の歴史を超え、蒙昧の歴史の闇に飲み込まれまいとする、人の叡智と行動の尊さを、独特の語りで生き生きと描く。全知の話者の語りに身をゆだねる心地よさを一度でも知ってしまうと、その世界から抜け出るのが苦痛で、いつまででも何度でも読んでいたくなる。ジョゼ・サラマーゴは、誰にも真似のできない世界を創出することができる、数少ない作家の一人である。