青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『この道の先に、いつもの赤毛』アン・タイラー 小川高義 訳

イカ・モーティマーのような男は、何を考えて生きているのかわからない。一人暮らしで、付き合いが少なく、その日常は石に刻んだように決まりきっている。

これが書き出し。そのあと、彼のルーティンの紹介が続く。毎朝七時十五分からのランニング、十時か十時半になると、車の屋根に<テック・ハーミット>(ハーミットとは隠者のこと)と書かれたマグネット式の表示板をとりつけ、パソコンの面倒を見る仕事に出かける。午後は通路の掃除やゴミ出しなど、管理人を兼ねているアパートの雑用だ。住んでいるのは半地下で細目を開けたような三つの窓から外光が入る。

仕事上で出会う客とのやり取りや、つきあっている女友だちとの関係、女系家族の末弟としての家族上の儀礼的な付き合いをのぞけば、主人公に関わりをもつ人間はいなさそうだ。大学でコンピュータ工学を学んだ後、友人とIT関係の会社を立ち上げる。初めこそうまくいってたものの諸事情により挫折し、今に至る。かといって、くさっているわけでもなく、まあまあ毎日をなんとなくやり過ごしている四十過ぎの男。

派手なところはまったくない。可もなく不可もなし、という中年男の日々が、淡々と描かれる。こういう生き方を歯がゆいと思う人にはまったく向いていない小説である。しかし、成績を上げろ、とせっつく上司もいなければ、仕事もできないくせにいらぬことばかりやってはこちらに尻拭いをさせる部下もいない。よくあるパソコンの問題を解決する仕事もほぼ毎日あるし、管理人としての手当ては雀の涙だが、アパートの店賃は無料だ。共感する読者もいることだろう。

料理もすれば、月曜日はモップ掛け、木曜日はキッチン周りの掃除と曜日を決めて家事全般に手を抜かない。これでは結婚を急ぐ気になれなくても無理はない。過去につきあった女性も何人かいたが、関係が深まるとアラが目につくようになり、それが原因で別れてきた。今つきあっているのは小学校教師のキャスで、彼より少し年下の三十代後半の女性。一緒に夕飯を食べてどちらかの家に泊まる関係だ。彼としてはこれ以上進めようとは思っていない。

ある日、一人の若者が家を訪れる。名前はブリンクといい、マイカの大学時代の恋人だったローナの息子だという。夏休みでもないのに何をしに来たのかという疑問はあるが、一晩泊めてやることにした。ブリンクはマイカが自分の本当の父親ではないか、と尋ねる。義理の父親よりもマイカの方が、ウマが合いそうだとも。しかし、ローナとはそういう関係ではなかった。そうなる前に他の男とキスをしてるところを見て、別れたのだ。

変わり映えのしない毎日に突然亀裂が走る。それも自分の息子を名乗る若者の登場だ。マイカはそれまでの平穏な日々に隙間風のようなものが入り込んできたのを感じる。そんなとき、キャスとの関係にひびが入る。無断で飼っていた猫が原因で部屋を追い出されそうになり、マイカに相談したところ、彼は本気で相手にしなかった。しかも、当てにしていたマイカの家の空き部屋に、先手を打つようにブリンクを泊めたことが、きっかけだった。

前半ののほほんとしたマイカがどことなく肯定的に感じられたとしたら、後半はそれが逆転する。マイカ・モーティマーは、他者との間に距離を置くことで自分を守ってきた。最小限の付き合いだけを許し、それも間に金を介在させることで、互いの関係性にあえて距離を置く。ルーティンを守ると言えば聞こえはいいが、それなくしては生活というものが成り立たないのでやむなくそうしているだけだ。独り居の生活で、何らかの約束事を作らなかったら、自堕落なものになってしまう。それを恐れるからのルーティンだ。

一見自由に思える一人暮らしだが、気力体力十分な間は何とかしのげても、いつかはうまくやっていけなくなる時が来る。同じアパートの住人にもその実例がある。ブリンクの出現で、それまで目にしてはいたが、気にしていなかった自分の将来の姿が見えてくる。散らかりっ放しの姉の家で食事した際、マイカのルーティンはお笑い種にされ、別れ話が出たと聞いた家族はキャスと撚りを戻すよう説得する。実の弟よりキャスの方に価値を認めている。

イカ甲殻類だ。自分というものを硬い殻の中に入れ、他人にはそれに触れさせない。たしかに、そうしていれば自分は傷つかないだろうし、他人との間に距離を保てば相手を傷つけることもない。願ったりかなったりだ。ところが、息子の身を案じてマイカの家を訪ねたローナは、マイカの独りよがりで勝手な決めつけをなじる。キスした相手とは何でもなかったのに、彼は一度こうだと思い込むと、相手の言い分に耳を貸さなかった、と。

必要以上、人との関わりをもたないで長くやってくれば、自己理解は独善的なものとなり、自分を作るうえでの可塑性は失われる。マイカは愛したり愛されたりする人が傍にいない、キャスのいう「つらい心を抱えた人」になりつつあった。ワイルドの「わがままな大男」を思い出させる「小さな男の子」の登場をきっかけに変化が現れる。末尾近くの「おれが間違えたのは、ただ一つ、完璧を期そうとしたことだ」というマイカの心の中の叫びが痛い。

完璧を期す、などというのは人間にできることではない。人間は間違えるものだ。どうしようもなく、何度も間違えては、以前の間違いを認め、修正を重ねては別の方向に舵を取り、少しずつ正しい方角を目指すしかないのだ。原題は<Redhead by the side of the Road>。ここでいう<Redhead>は、実は道端の消火栓のことである。眼が悪くなってきたマイカにはいつもそれが赤毛の人のように見えることをいう。マイカの老化と思い込みの激しさを揶揄するタイトルになっている。表紙カバーのイラストも味があって好い。