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青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『鳩の翼』ヘンリー・ジェイムズ

さすがに時代がかっている。美しく賢いが、家柄や財産のない若い女が、おのれの財産であるところの美貌と知性をつかって、社交界の仲間入りを果たし、財産を手にした上で、やはり、美男子で人好きはするが財産のない青年と結婚するために、策略の限りを尽くして婚約者を資産家のアメリカ人女性に近づけるというストーリーである。

しかし、作者の考えではこちらが主筋ではなかった。もともとは、「人生を楽しむ豊かな能力を自覚しながら、若くして不治の病に犯され、この世界に魅惑されながら間もなく死ななければならない人」という着想を得て、作品にするため、長い間構想を練っていたという。伝記的事実から推し量れば、作者の従姉妹であるミニー・テンプルがモデルと考えられる。若くして死ななければならなかった従姉妹の死を悼んで、彼女の果たせなかったスイスやベニスといった避暑地の暮らし、なかでも男性との交際を芸術の舞台に移し変え成就させたかったのだろう。

だからだろうか、ブロンツィーノ描くところの「ルクレツィア・パンチャティキの肖像」そっくりと形容される若いアメリカ人女性ミリー・シールは、まるで王女のように皆から崇められ愛される。病のため顔色は悪く、さして美人でもないと、容貌だけはリアリズムだが、ミリーの登場するシーンは、薄幸の美女が愛する人を求めてさすらうロマンス物語の筆致で描かれる。特にロンドンの夏を厭い、大運河に面したベニスの宮殿を借り切っての避暑地の生活は豪奢としか言いようのない夢のような日々で、圧巻である。

そのミリーと対比的に描かれるのが冒頭に登場したケイト・クロイ。ミリーにあって、美しさでは決して引けをとらないケイトにないものは、富がもたらす自由である。新聞記者のマートン・デンシャーは、今のままのケイトと結婚したいと願うが、いかさま師の父と四人の子持ちの寡婦である姉を擁するケイトにとって、後見人である伯母のラウダー夫人の意見は無視できないものがあった。夫人は、甲斐性のないデンシャーではなく、貴族の称号を持つマーク卿との婚姻を足がかりに上流社会の仲間入りを画策していたのだ。デンシャーと結婚するためには、ミリーの遺産が必要だった。かくして、ケイトは婚約者をミリーに近づける。このケイトを取り巻く権謀術策の世界は、リアリズム小説の筆致で描かれる。

二人の女性の間で右往左往するばかりのデンシャーは、愛するケイトのため、ミリーに近づくが、遺産目当ての行動に良心がとがめる。果たして、三人の運命はどうなるのか。勝利の女神は、ミリーのロマンスの成就に微笑むのか。それとも、ケイトのリアリズムが勝利を収めるのか。決着は最後の最後まで明らかにされない。なかなか進展しない関係にやきもきしながら大部の小説を読まされてきた読者は、作者の用意した結末にあっと驚くのだろうか。さもありなん、と納得するのだろうか。ノヴェルとロマンスとの相克が見ものである。