青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『死はすぐそばに』アンソニー・ホロヴィッツ 山田 蘭 訳

ホーソーン・シリーズ第五作。第一作はTVのロケ現場にいるアンソニーのところにホーソーンが現れ、自分のことを本に書かないかと持ちかけるところから始まっている。作家自身が狂言回し役を務め、現場での体験をリアルタイムで書くことで、作家の日常とミステリの非日常が混ざりあう。その混ざり具合が絶妙なのだ。ところが、今回はのっけから多数の登場人物がそれぞれの視点でてんでに語りだし、いつまでたってもアンソニーが出てこない。それもそのはず。本作は、めぼしい事件が起きず、新作が書けなくて弱った作家がホーソーンに過去の事件を聞いて書いたもの。当時ホーソーンが組んでいたのは、ジョン・ダドリーという男だった。

 

舞台はテムズ河近くのリヴァービュー・クロースという昔の王族の屋敷跡。再開発を担当した建築家の目論見は、昔の英国の村のような光景の再現。伝統的な煉瓦を多用し、オランダ切妻の屋根に上げ下げ窓、花壇や低木を組み合わせ、大都市近郊であることを忘れさせようというのだ。電動門扉が閉まったら関係者以外立ち入ることのできない文字通りの囲い地(クロース)。今はそこに、リヴァービュー館、庭師の小屋、厩舎、井戸の家、切妻の家、森の家、と呼ばれる六軒が建つ。他の街区と隔絶されていることもあり、住民の結束は固かった。ジャイルズ・ケンワージーがリヴァービュー館に越してくるまでは。

 

長年にわたる顔なじみの共同体に新顔が混じることで生じる軋轢。よくある話だ。医者の夫婦が二組、妻に先立たれた元弁護士、年老いた女性二人組、盛りの過ぎたチェスプレイヤーとその妻といった顔ぶれの中に、場違いな金融業者が金にものを言わせて乗り込めば、近隣住民の反感を買うのは必定。客を招いてのパーティーに忙しい両親は、子どもたちが静かな環境を壊しても知らぬふり。これでは早晩何かが起きても不思議はない。が、まさか、ジャイルズ・ケンワージークロスボウで射殺されるとは、誰も思わなかった。

 

担当の警視は、難事件の解決で定評のある元警部の探偵、ホーソーンの助けを借りることにした。しかし、関係者の聞き込みも終わらぬうちに第二の死者が出る。歯医者のブラウン、クロスボウの持ち主だ。鍵がかかった車庫の中の鍵がかかった車中でのガス中毒死。おまけに遺書まであった。ブラウンの妻は病気で窓からの眺めを唯一の慰めとしていた。その美しい庭を壊してプールを作ろうとするケンワージーを彼は憎んでいた。覚悟の自殺か。警視は事件は解決したと判断。しかし、ホーソーンは納得できなかった。住人たちが何かを隠して口を閉ざしていることは明らかだ。彼は調査を続けることにする。

 

昔の英国の田舎にあるような地内で起きる殺人。クローズド・サークル、密室、死者に恨みを抱く一群の人々とくれば、アガサ・クリスティを思い出さずにいられない。大好きな作家へのオマージュだろう。ホーソーンの活躍を書きながら、ダドリーに出番を奪われたアンソニーは活躍の余地を見つける。それは別の謎を解くことだった。ホーソーンとダドリーとの間に何があって、二人は袂を分かったのか。それでなくともホーソーンの過去は謎に包まれている。その謎を解き明かすのがシリーズを通じてのアンソニーの仕事である。本作は五年の歳月を隔てた二人の探偵の腕比べになっている。なんと太っ腹な、一粒で二度美味しい、どこかのキャラメルみたいだ。

 

ホーソーンが小出しにして届けてくる当時の捜査資料をもとに、アンソニーが原稿を書き進めるのだが、一部書き終えるたびにホーソーンが検閲するという取り決めになっている。五年前の謎解きが一時中断したところで、アンソニーが顔を出す仕掛け。ホーソーンとの掛け合いや独自の謎解きの合間に、アンソニーのミステリ論議が混じる。キャラメルについてくるおまけのようなものだ。今回は、E・A・ポオやJ・D・カーを引き合いに密室の謎を論じているが、彼は近年になって最高の密室ミステリは日本から生まれていると考えるようになったといい、島田荘司の『斜め屋敷の犯罪』、横溝正史の『本陣殺人事件』の二作を取りあげているのも、日本人としてはうれしいところ。

 

ホーソーンが漏らす謎解きのヒントを自分で書きながら、書いている本人が真犯人にたどりつけない。それどころか窮地に陥っては相棒に助けられてばかり、というのがシリーズの持ち味。高名な作家が道化役を演じているところがいいのだが、本作におけるダドリーはホーソーンとの相性も完璧で、どうしてこのコンビが解消したのか、と誰でも思う。その謎を解くのがアンソニー。今回のアンソニーは奥さんに何か言われたのか、最後のどんでん返しなど、かっこよすぎる。これはこれで悪くはないが、シリーズ物としては、従来のボケ味も捨てがたい。これまでのアンソニーを恋しく思うのは私ひとりではあるまい。

狼の幸せ パウロ・コニェッティ 飯田 亮介 訳

ミラノ生まれの作家、パオロ・コニェッティは子どもの頃から夏になると一九〇〇メートル級の山地にあるホテルを拠点にして登山や山歩きを楽しんできた。三十歳を過ぎた今も、モンテ・ローザ山麓にあるフォンターネという村に小屋を借り、その土地で目にした自然と生き物の様子やそこに生きる人々の飾らない暮らしぶりをノートに書き留めては創作の糧にしてきた。デビュー作『帰れない山』以来、作家本人を思わせる一人の男の目を通して、山で生きる厳しさと愉しさを描いてきたが、今回は四人の男女の視点を借り、山で生きる男と女の関係に迫っている。

小説はフォンターナ・フレッダのほぼ一年を扱っている。四季の移ろいとそこに暮らす人々の暮らしぶり、狼をはじめ、鳥や動物の生きるための工夫にも事欠かない。

ミラノに住む作家ファウストは四十歳。結婚まで考えていた十年来のパートナーと別れ、人生をやり直すため、フォンターナ・フレッダに戻ってきた。部屋を借り、山道を歩き薪を拾い、九月、十月、十一月と自由の喜びと孤独の悲しみをかみしめながら暮らしてきたが、切り詰めた暮らしにも限度があった。ミラノに帰れば仕事の伝手はあったが、別れた女性との間に残された種々の問題解決に時間を取られることは確実だった。

彼は村でたった一つの社交場である『バベットの晩餐会』というレストランの経営者バベットに自分が苦境にあることを打ち明けた。彼女は料理ができるならコックとして店で働けばいいと言う。こうしてクリスマスの季節も、フライパンを振ることになったファウストはその店で住み込みで働くシルヴィアという若い娘と出会う。彼女もまたよそ者で、何かから逃げるようにここに来ていた。二人が愛し合うようになるのはある意味で必然的だった。

フォンターナ・フレッダにはスキー・ゲレンデもあった。一年の三か月間、山男たちはリフトの切符売り、圧雪車の運転手や救助隊員に姿を変える。サントルソもその一人だ。仕事終わりにはバベットの晩餐会に集まってはグラッパを飲んで皆でわいわいやるのが常だった。話好きの山男と、自分の知らないことを聞くのが好きな新米コックはすぐに仲良くなる。

中篇小説といっていい本作は三十六プラス一章で構成されている。小説のなかにも出てくる北斎の『富岳三十六景』になぞらえてのことだ。ファウストの視点が中心だが、シルヴィア、バベット、サントルソの視点で語られる章も多い。視点が変わることで山に対する思いも人に対する思いも人それぞれであることがよく分かる。それぞれの人物にはそれぞれの人生があって、それが今の自分につながっている。一篇の小説を読みながら、四人の人物を主人公にした四篇の短篇小説を読んでいるような気になった。

 

『教皇ハドリアヌス七世』コルヴォー男爵 大野露井 訳

今年の翻訳大賞はこれで決まりだ。もう何年も前に『コルヴォー男爵を探して』(A・J・A・シモンズ、河村錠一郎訳)を読み、「これが今まで本邦初訳であったのがちょっと信じられない。稀覯本に限らず、奇書、珍書に目がない読者なら何を措いても読まねばならない一冊」と書いたことがある。そのコルヴォー男爵こと、フレデリック・ロルフの代表作『教皇ハドリアヌス七世』の本邦初訳である。

待つこと久し。待ちわび、待ちあぐね、ついには老齢のせいもあって、待っていたことさえ忘れ果ててしまった今ごろになって訳出されるとは。生きていてよかった、というと大げさに過ぎるが、期待を裏切らない出来映えである。ギリシャ語、ラテン語はおろか、多言語を素材に独自に作り出した造語まで駆使し、時代がかった擬古文やら、教皇庁ならではの格式ばった言い回しやら、或は打って変わったべらんめえ口調まで、作者の言葉遊びを日本語に置き換える作業を、訳者は多分苦労しつつも愉しんで翻訳されたにちがいない。読んでいて何度にんまりさせられたことか。

持ち重りする大冊ではあるが、小説としてはそれほど込み入った話ではない。司祭になりたいと願う青年が、周囲にその機会を阻まれ、何年にもわたって貧乏暮らしにあえいでいたところ、ある日突然教会側から謝罪と賠償を申し出られてそれを受ける(ここまでが序章)。話はそこからとんとん拍子に進む。念願の司祭となったジョージは枢機卿のお伴をしてコンクラーベが開かれている最中のローマに赴くが、本人の知らぬところで話はついており、あろうことか、到着早々ジョージは新教皇に選出されてしまうのだ。

およそ信じられない話の運びである。ところが、そこからが面白い。ハドリアヌス七世を名乗ることになったジョージは、ためらうことなく、長きにわたって思案し続けてきた教会の改革に乗り出す。旧弊な老人たちに支配されていたカトリックの総本山のトップに立つことで至上の権力を握った新教皇は、自分の目に適った連中を周囲に置くことで足場を固め、矢継ぎ早に改革を推し進める。彼は自分のために動いたのではない。当時、ロシアは革命の渦中にあり、世界中がその成り行きを見守っていた。俗界と距離を置くのではなく、新聞を通じて教皇の考えを広く大衆に知らせ、世界中のキリスト者に愛の力を訴え始めたのだ。

ところが、若く人好きのする教皇の人気が高まるにつれ、それを妬む者や、足元をすくって旨い汁を吸おうと考える輩が現れる。貧しい暮らしをしていた時分のジョージによこしまな恋心を抱いた未亡人と社会主義者のジャーナリストが、根も葉もない新教皇のスキャンダルを騒ぎ立てることとなり、それに乗じて教皇の行き過ぎた改革を苦い思いで見ていた守旧派が勢いづく。ハドリアヌスは退位を迫る守旧派とどう対峙していくのか、果たしてその顛末は、というのがおおよそのあらましである。

一般人には想像もつかないカトリック教会や神学校の内部の暗闘、桎梏。またローマカトリックの中枢であるバチカンの内幕など、その資金力から権力構造、イタリアやドイツといった周りを取り巻く世俗の国家権力との力関係等々を、中に足を踏み入れたこともない素人が、あれよあれよと言う間に最高権力者でなければ不可能な権力を行使するのを横目で見ていられる愉快さと言ったらない。才能こそあれ、一介の物書きでしかなかった青年のどこにこれほどの力が隠されていたのか、と周囲の者も恐れるほどの抜群の力量は神からの賜り物なのか。

ここらあたりで内幕をばらしてしまおう。実はこれ、コルヴォー男爵ことフレデリック・ロルフの自伝小説と言っても過言ではない。ロルフは英国国教会からカトリックに宗旨替えし、司祭を目指していたが、周囲の不興を買い、神学校を追い出されてしまう。その後も当初の志を失わず、絵や写真の才能を活かして生活費を捻出し、後には小説を書いたりもするが鳴かず飛ばず。そのあたりのことは序章に詳しい。このノンシャランとした序章と最後に告白されるジョージの本心との対比が凄まじい。屋根裏部屋で猫と暮らす平穏な日々の裏にどれほどの懊悩が隠されていたのか、クライマックスのジョージの独白と比べられたい。

しかし、いくら待っていても小説のように迎えが来るわけもなく、抜群の才能を誇りながらも世間に認められない芸術家の苦悩と自恃を創作の形で世に問うたのが『教皇ハドリアヌス七世』であった。自分の現状を写し取ったのが序章なら、もし自分が本来あるべき姿で人の前に立ったなら、こうもしたい、ああもできるはず、といった空想、妄想が勢いよく迸る形で体をなしたのが第一章から第二十三章までの部分である。特に、自分が落剥してからの周囲の連中の掌を返したような態度によほどはらわたが煮えくり返ったのだろう。作中にぶつけられた恨みつらみ、自己憐憫の何たる激しさよ。

ネガとポジ、陰画と陽画という比喩を使えば、この小説がポジで陽画なのだが、作家の実の姿はネガであり、陰画のままで終わっている。ではなぜそういうことになったのか。シモンズの本が出て、再評価の声が高まりを見せながらも今に至るまで邦訳が出なかったあたりにその答えがあるのだろう。人は一人で生きているようで実はそうではない。同じ時代を生きている多くの人々と共に生きているのだ。若い頃はそんなことは考えもしない。己が才を恃み、他を顧みることはない。ロルフにもその幣があった。時が移り、作品を客観的に評価してもらえる時代を待たねばならなかった。今なら、この小説の面白さは受け入れられるのではないか。多くの人に読んでもらいたい、と作者に代わって切に願うところである。

『夜のサーカス』エリン・モーゲンスターン 宇佐川晶子訳

十九世紀末から二十世紀初頭にかけて、ロンドンを拠点として世界各地を飛びまわるサーカスがあった。<ル・シルク・デ・レーヴ>は普通のサーカスではない。日没から夜明けまでしか開かない<夜のサーカス>なのだ。まだまだ都市近郊に野原や空き地があった時代。予告もなしに、そのサーカスはいきなりやってくる。昨日まで何もなかったところが鉄柵で囲まれ、柵沿いに伸びる遊歩道の向こうに、白と黒の縞柄で統一された高さも広さも様々なテントの群れが忽然と姿を現す。

シーリアは魔術師プロスぺロことヘクター・ボーウェンの娘。はじめて会った五歳の時以来、父から厳しいレッスンを受けて大きくなった。ヘクターとその師アレキサンダーは長年にわたり「挑戦」と称するゲームを行ってきた。弟子同士を駒(プレイヤー)として用い、技を競い合うのだ。娘に自分の血が流れていることを知ったヘクターは、シーリアを「挑戦」の駒に使うことを決める。受けて立つアレキサンダーは孤児院から、後にマルコと名乗るようになる一人の少年を譲り受ける。

修行を終えた二人の弟子の闘いの場に選ばれたのが<ル・シルク・デ・レーヴ>だ。魔術師プロスぺロを高く買う、金持ちの興行師チャンドレッシュ・ルフェーブルが持てる資金とプライドをかけ、超一流の人材をかき集め、金に糸目をつけずにつくり上げた<夢のサ-カス>。十七歳になったシーリアはそのオーディションに合格し、奇術師として採用される。マルコはアレキサンダーの紹介でルフェーブルの秘書を務めることになる。

プロスぺロとアレキサンダーは奇術師ではなく本物の魔法使いだった。魔法使いの血を引くシーリアは、幼いころからカッとなると手も触れずに周りの家具や茶碗をよく壊し、母に「悪魔の子」と呼ばれていた。シーリアは衝動を制御することと、壊したものを元に戻す技法を学ぶ必要があった。ヘクターは娘の才能を磨くため、父というより指導者として娘に厳しく接した。その甲斐あってシーリアはどんな場所でも即座に観客を驚かせる奇術を見せることができた。

オーディションで初めてシーリアの奇術を見たマルコは、彼女が自分の相手だと知り、その技術の高さに打ちのめされる。マルコには魔法使いの血は流れていない。アレキサンダーは昔気質の魔法使いで、教えることができなければ、どんな手法も価値はない、と考えていた。彼は弟子に多くの本を読ませ、世界各地を連れ回して本物の美術や建築物に触れさせ、世界のありようを学ばせた。マルコは身につけた技法を記号や護符という形で常に革綴じの本に書きつけることで魔法を構成する。マルコは他人の頭や心の中に入り込み、それを操るのも得意だった。

シーリアは自分の相手を知らない。その点ではマルコが有利だが、興行師の秘書としてロンドンに住んでいたので、サーカスとともに移動することができない。サーカスがどこにいてもつながっていられる工夫が必要だった。マルコと暮らしていたイゾベルが占い師としてサーカスに入り、中の様子を手紙で知らせることにした。マルコはサーカスの中庭の中央でいつも燃えている篝火に魔法をかけ、サーカスを遠くから操作できるようにした。

こうして始まった二人の「挑戦」だが、自分とは異なる技法を使う相手の繰り出す魔法のかかった出し物に、二人とも激しく魅せられ、ついには合作にまで手を出す始末。ふたりの指導者にとってはこれは誤算だった。ある激しい雨の夜、シーリアは傘の下にいる自分が全然濡れていないことに気づく。追いかけてきたマルコに、それは僕の傘だと告げられ、初めて自分の相手が誰かを知る。サーカスがロンドンにいるとき、ルフェーブルは親しい人々を<真夜中の晩餐>に招待する。サーカスでは好敵手だが、サーカスを離れればただの男と女。二人が惹かれあうのに時間はかからなかった。

問題は、どちらかがこれ以上続けられなくなった時点で勝負がつくというゲームのルールにふたりが縛られていることだ。相手が死ぬまで勝負は続く。ふたりとも、何も知らない子ども時代に指導者の指環で呪縛をかけられていて勝手にゲームを降りることはできない。師の意向に逆らうと途端に全身に激痛が走るのだ。シーリアは魔法を使ってサーカス全体を支え、動かしていたが、もう限界だった。また、マルコが篝火にかけた魔法が関係者の人生に影響を与え、サーカスには綻びが生じてきていた。ふたりはどうやってサーカスとそこで生きる人々を守ることができるのか。

シェイクスピアの『テンペスト』、『ハムレット』、『ロミオとジュリエット』を下敷きにし、サーカスを舞台に、魔法使いの弟子たちが命がけの愛を紡ぐ物語。魔法でできた摩訶不思議な出し物が細部に至るまで詳細に描かれており、読んでいてわくわくする。また、サーカス内に漂うキャラメルの香りにはじまり、晩餐で供される凝りに凝ったコース料理に至るまで、五感を刺戟してやまない多彩な表現に魅了された。まるで魔法にかけられたような読み心地だ。新作の『地下図書館の海』も図書館好きにはたまらないが、どちらか選べと言われたら、個人的にはレトロスペクティヴなデビュー作のほうを選ぶ。

この物語は、シーリアを軸とした魔法のかかったサーカスの物語と、マサチューセッツ州コンコードに住む少年ベイリーの成長物語という二つの物語で構成されている。主軸はシーリアの物語であり、ベイリーは偶然その物語に入り込んでしまう闖入者という格好になっている。事を分かりにくくしているのは、シーリアの物語の流れに割り込むように挿まれるベイリーの物語が少し先の未来になっていることだ。よく練られたプロットだが、読者は混乱するかもしれない。そのために章のタイトルに続いて、シーリアとベイリーの物語にはそれぞれの時間と場所が記されている。そこさえ気をつければ問題はない。

『夕霧花園』 タン・トゥアンエン 宮崎一郎訳

テオ・ユンリンはマラヤ連邦裁判所判事を定年まで二年残して辞職した。誰にも言わなかったが、少し前から突発的に言葉の意味が理解できなくなる事態が生じていたからだ。優秀だが厳しいことで知られる判事だった。彼女には封印した過去がある。十九歳の時、日本軍がマラヤを強襲し、三歳年上の姉と共に強制収容所に入れられた。手袋で隠された左手の小指と薬指は、二本の鶏足を盗んだ代償として切断されていた。

彼女は生きて出られたが、姉のユンホンは生きて収容所を出ることはなかった。彼女は姉を見捨て、ひとり逃げのびた自分を認めることができなかった。日本軍に対する怒りと姉に対する負い目を封じ込めるため、硬い鎧のような自我を纏って生きてきたのだ。失語症の発症は自分のアイデンティティの危機を意味していた。彼女は封印していた過去と再び向き合うため、長い間背を向けていた「夕霧」を訪れることにした。

「夕霧」はアリトモという「天皇の庭師」だった男が作った日本庭園である。少女時代、家族で日本に旅行した際、姉のユンホンは京都で目にした日本庭園に魅せられた。苛酷な収容所での現実から逃避する場所として姉妹は頭の中に庭を作った。空腹も屈辱も架空の庭に逃げ込むことで辛うじて耐えた。戦争は終わったが、収容所のあった場所は秘密にされていたため、姉の遺体はどこにあるのかさえ分からなかった。

姉の代わりに庭を造ることを思いついたユンリンは、キャメロン高原で茶園を営む知人の紹介で、初めて「夕霧」を訪れた。二十八歳になっていた。アリトモは戦争で荒らされた「夕霧」の修復で手一杯だと依頼を断ったが、ここで仕事を手伝えば、庭の作り方を学ぶことができる、と言った。日本人に弟子入りすることに抵抗を覚えたが「夕霧」という庭の持つ魅力には勝てなかった。雨季が来るまでの半年間、人夫たちに混じって力仕事をすることにした。

アリトモが英訳した『作庭記』を読み、日々庭づくりに精進することで、彼女は庭の持つ深い意味を知る。また、毎朝弓を引くアリトモの姿に求道者の姿を見、自分も弓を習うようになる。それはただの武術ではなく、呼吸法を習得する術であり。無の境地を知るためのよすがであった。二人でいる時間が長くなるとともにわだかまりは薄れ、ユンリンとアリトモの間には師弟の距離を越えた感情が生まれはじめていた。雨季を迎えてもユンリンは「夕霧」にとどまった。そんなとき、日課の散歩に出かけたままアリトモは姿を消してしまう。

ユンリンが長い間捨てて顧みなかった「夕霧」を再訪することにしたのは、ヨシカワという歴史学者が浮世絵師でもあったアリトモの本を書きたいので、彼の遺した木版画を見せてほしいと言ってきたからだ。アリトモは生前「夕霧」内に建つ私邸や自作の著作権をユンリンに遺贈していた。ヨシカワからの手紙には先端に幾筋もの溝が刻まれた細い棒が同封されていた。その棒に興味を引かれ、ユンリンはヨシカワに会うことにした。この棒もそうだが、いくつもの伏線が張られて、回収されるのを待っている。ただひとつ回収されることがないのは消えたアリトモについての謎だ。

アリトモが戦後もマラヤに残っていたのは、そこを離れることができなかったからだ、という説がある。天皇の命令で近くの山に埋められた「山下財宝」を見張っているのだと。アリトモはただの噂話だと言って相手にしなかったが、ユンリンは収容所で「金の百合」のことを耳にしている。そういう秘密組織が東南アジア各地で金銀財宝を略奪し、海上ルートで日本に運ぼうとしたが、形勢悪化により断念し一時的に埋めて後で掘り出そうとした。だが、戦争に負けて果たせず、結果的に財宝は埋められたままだという。

ある日、一人の尼僧が「夕霧」を訪ねてきた。かつてアリトモと訪ねた高い山中にある「雲の寺」で会ったことがあるという。従軍慰安婦をしていたせいで、家郷に入れられず「雲の寺」を頼ったのだ。「雲の寺」にはそういう境遇の人が何人もいた。今ではユンリンも姉が自分といっしょに逃げなかった理由を知っている。何もなかったふりをして家族のもとに帰ることはできなかったのだ。なにより、妹が知っている。後ろを振り返らず、前を向いて逃げろ、と言った姉の言葉が耳に残る。

庭は生きている。人が手をかけなければ草は伸び、枝葉が繁り、作者の意図した形が失われてしまう。庭師は、死後自らその作品を守ることができない。庭作りの技術と思想は絶えず受け継がれていかなければならないのだ。アリトモが姿を消したとき、捨てられたと思ったユンリンは深く傷ついた。そして過去を封印し、クアラルンプールに戻った。しかし「夕霧」は傷つきながらも生きていた。傷は癒されねばならない。修復が済んだら「夕霧」を一般に公開しよう。アリトモの木版画も展示し、東屋の傍にユンホンの生涯を記した銘板も立てよう。自分もいつか死ぬ。「夕霧」を託せる庭師を育てなければならない。ユンリンにはまだすべきことがたくさんあった。

 

『時ありて』イアン・マクドナルド 下楠昌哉 訳

ロンドンにあるアパートの一室で本に埋まり、ネットで古書を売っている「私」は、有名な古書店の閉店に伴う在庫の処分品の中から、一冊の本を掘り当てた。E・L著とイニシャルだけが記された詩集で『時ありて』というタイトルだ。第二次世界大戦が専門分野である「私」は、普段なら手を出さないところだが、なぜか好奇心が働いた。刊行は一九三七年五月、イプスウィッチ。出版社は記されていない。紙も表紙の布地もいいものが使われている。中に何かが挟まっている。便箋が一枚。トムからベンに宛てたラブレターだった。

「私」を視点人物とする、手紙にまつわる謎を解いてゆくミステリー調の章と、シングル・ストリートに暮らす「ぼく」とE・Lとの出会いや運命の相手と関係を深めていく話が交互に語られる。「私」の専門が第二次世界大戦関連の戦争物だったというのがミソだ。手紙の中に書かれた地名その他から、だいたいの時期が推測できるからだ。それによると手紙が書かれたのは一九四二年十月。エジプトのエル・アラメインの戦いの最中だと見当がつく。一切合切をフェイスブックに投稿すると、翌朝にはイースト・アングリアから返事が来ていた。誰かがトムとベンを知っていたのだ。

ソーンという女性の曽祖父が従軍牧師としてエジプトにいたとき、二人に会っている。戦時中の記録が屋根裏に残っていて、写真もあるという。「私」はソーンのいるフェンランドに駆けつけた。ベン・セリグマンとトム・チャペルの名が、スフィンクスをバックにした写真の裏に書いてあった。「私」は許可を得たうえで写真を撮影し、一度目にした顔は絶対忘れない、という相貌認識の超能力を持つシャフルザードという帝国戦争博物館に勤める女性にメールで送った。五日後に面白い物を持っていると返事があった。彼女が見つけた写真は一九一五年にステネイシャムのパブの前で撮られているが、そこにトムとベンが写っていた。

面白いのは、二人が所属していたのはオスマン・トルコの大軍と戦っている最中に、消えたと言われる、第五ノーフォーク連隊だったのだ。そして、もう一つ不思議なのは二十年もたっている割には、エジプトで撮られた二人の顔があまり変わっていないことだった。さらに、もう一枚、ボスニア戦争の最中、一九九五年に撮影されたドキュメンタリー番組のビデオをコピーした写真の一枚にセリグマンとチャペルが写っていた。カメラに向かって微笑む二人の顔はどう見ても百五十歳には見えなかった。

どうやらトムとベンはいつも二人一緒にいられるわけではないのが手紙から分かる。二人は離れ離れになったとき、相手との通信手段として、欧州各国の大都市にある古くから続く古書肆に『時ありて』という詩集を売り、書棚に置かれた後、こっそり手紙をはさむ、という手を使っていた。ところが、ロンドンにある「黄金の頁」書店はつぶれてしまった。そして、偶然「私」がその手紙を手に入れることになったのだ。ネットで検索すると『時ありて』を置いている書店は他にもあり、中には複数置いている店もあった。ということは、いつかはそこにトムが顔を出す可能性がある。「私」は店を見張ることにした。

英国SF界の重鎮、イアン・マクドナルドの手になる、詩情溢れる一篇。時を超え、国の垣根を飛び越え、あらゆる戦場に顔を見せる二人はいったい何者なのか。どうしてそんなことが起きるのか。二人の秘密を覗き見た「私」はその謎を解くため、残された文書を手がかりに、関係者を訪ね歩き、真相に迫ってゆく。一方、トムのほうはシングル・ストリートで、軍の仕事の合間を縫ってベンとの束の間の逢瀬を愉しんでいた。こうして「私」が探り当てて行く事の真相とトムによって明かされる事実が一つに撚り合わされたとき、運命ともいえる邂逅に出会うことになる。

基本的には古書にはさまれた手紙の謎を追うミステリといっていいだろう。ある種のタイムトラベル物のSFともいえるが、量子論不確定性原理についてよく知らなくても、二十世紀後半のUFOやオカルト・ブームを知る年代なら十分楽しめる。男性同士の切ない恋愛と「私」とソーンの馴れ合い的な同棲生活との対比が利いているし、ソーンの祖父をはじめとするフェンランドの変人たちの奇矯な振舞いがいかにもイギリスの田舎町といった雰囲気を醸し出している。パリの古書店の迷路めいた佇まいと一風変わった棚づくりも本好きにはたまらない。砂利浜の続く向こうにそびえるマーテロ塔は『ユリシーズ』ファンならお馴染みの物件、といろいろと愉しみの尽きない趣向に満ちている。

 



 

「戦禍のアフガニスタンを犬と歩く』ローリー・スチュワート 高月園子 訳

「二〇〇〇年のある日、ローリー・スチュワートは故郷のスコットランドを散歩していて、ふと、このまま歩き続けたらどうだろう、と考えた。それがすべての始まりだった。その年、彼はイランを出発し、アフガニスタン、インド、パキスタンを経由しネパールまで、アジア大陸を横切る全長九六〇〇キロを踏破する旅に出た(「訳者あとがき」より)」

だが、タリバンに入国を拒否され、アフガニスタンは後回しにするしかなかった。翌年にタリバン政権が倒れると、彼は大急ぎでネパールから引き返してきたのだ。

通常アフガニスタンの西の都市ヘラートから東のカブールに行くには、ヒッピーたちが旅したように南のカンダハールを経由する。それなのに、あえて最短距離のルートを選択し、積雪三メートルに及ぶ冬の山岳地帯を抜けて歩き通した苛酷な旅の記録だ。誰からも冬季に山岳地帯を行くのは無謀だと説得されるが、南はまだタリバンの勢力下にあり、そこを通るのは危険だ。彼は一刻も早く踏破したかった。歴史学者でもある男はムガール帝国初代皇帝バーブルの日記を通して、彼が同じルートを冬に踏破したことを知っていた。

邦題には「犬と歩く」とあるが、はじめは犬は登場しない。その代わりに武器を携行した男三人が旅のお伴だ。なにしろ、タリバン政権が崩壊してたったの二週間だ。外務官僚のユズフィは言う。「きみはアフガニスタンの観光客第一号だよ。(略)護衛を連れて行きなさい。これは譲れない」。彼は市場で手ごろな木の棒を買い、鍛冶屋に行って両端に補強用の鉄を取り付けてもらう。この杖は「ダング」と呼ばれ、山道を歩くとき重宝するが、いざというときは武器にもなる。

この本のことは、ロバを連れてモロッコを旅している邦人のツイッターで知った。本の影響を受けてのロバ旅らしい。モロッコではマカダム(村長)が行く先々についてきて、次の村まで同行し、そこのマカダムに引き継ぐ。イスラム教の喜捨の精神で、旅人は大事にされるのだ。この本のなかでも、日が暮れて村に着いた旅人は一夜の宿と食事を提供され、翌日次の宿を紹介してもらって旅を続けている。一日の旅程が終わる頃には次の村で休めるようになっている。今は荒れ寂れているが、かつては通商のために人が通った道なのだ。

もっとも、当時のアフガニスタンは、まだ各地でタリバンが戦っており、宗派間、部族間の抗争も続いていた。武器を携行した男たちが同行していては、村人も投宿を拒否できまい。喜捨といえるのかどうか。食事といってもパンとお茶がやっとで、時にはパンさえ出ないときもある。どの村も貧しく自分たちが食べるのもやっとなのだ。旅はおろか、女たちは村から離れることができず隣村のあることさえ知らない。

そんななか、泊まった一軒の家で、犬を連れていけと勧められる。大型のマスティフ犬の一種で、オオカミ対策に飼われているという。ただ、餌代にも事欠く有様で、彼が貰ってくれれば餌にもありつけるだろうという。彼はためらったすえ、その犬を引き受ける。皇帝にあやかって「バーブル」と名づけられた、この犬がいい。イスラム教の国では、犬は不浄な動物とされ、ペット扱いされない。ただ使役されるだけだ。当然、犬の方も飼い主に愛着も示さなければ、遊びにつきあうこともない。だが、スコットランド人はちがう。

はじめは居場所を離れることを嫌がり、歩き出してもすぐに地べたに座り込んで動こうとしない。パンで釣ったり、紐を引っ張ったりしてやっと動き出す始末。ところが、そんなバーブルが少しずつ彼に心を開き出す。雨や雪の中を苦労して歩き、村にたどりつくと、彼は嫌がる村人に頼み込んで、犬をどこか屋根の下で寝させてくれるように頼む。それをすませるまで自分も家の中に入ろうとしない。食事に肉が出ると、犬にも分けてやる。旅が終わったら、スコットランドに連れ帰るつもりでいる。

どこを向いても厳しい自然と貧しい人々の暮らしがあるばかり。そんなある日、険しい山の中で尖塔を発見する。伝説の「ジャムのミナレット」だ。「細かい複雑な彫りの施されたテラコッタターコイズブルーのタイルが線状にはめ込まれた細長い柱が、六〇メートルの高さにそびえている」。塔の首のあたりにはペルシアンブルーのタイルでこう綴られている。「ギヤースウッディーンはヘラートにモスクを、チスティシャリフに修道僧のドームを建て、失われた都ターコイズ・マウンテンをつくったゴール帝国のスルタンだ」

彼はその辺り一帯の司令官の家に誘われ、塔についての話を聞き、地中から掘り出したものを見せてもらう。何人もの考古学者が訪れながら、遂に発見することのできなかった、失われた都ターコイズ・マウンテンの遺跡は、盗掘者の手で掘り出され、二束三文の値で売り飛ばされていた。かつて、チンギス・ハーンに焼き尽くされた伝説の都は、ずっとイスラムの遺跡として守られてきた。しかし、タリバンが追いやられた今、僻遠の地ということもあり、新政府の目も及ばず、せっかくの文化遺産は荒らされ放題になっている。

地下に貴重な文化遺産を蔵しながら、ヤギが食べる草も生えない高地に暮らす人々は、掘り出した遺物を売って暮らすしかない。皮肉なことだ。遺跡を見る目は歴史学者のそれで、この部分は明らかに他とは筆致が異なる。だが、その後、旅は苛酷になる。赤痢に罹り、下痢で体力を奪われながら雪の山道に踏み迷う難行が待っていた。さすがの彼も凍った湖を行く途中で力尽き、もうここで旅を終えてもいい、と雪の中に倒れ込んでしまう。彼を救ったのはバーブルだった。首に吐息をかけて起きるよう促すのだが、それでも動かないでいると、歩いて行って振り返り越しに一声吠える。その姿に彼は自分を恥じ、再び立ち上がる。

バーミヤンの石仏が象徴するように、過去に偉大な文化を擁しながら、行路にはかつてを偲ぶよすがとてない。荒れ寂れて人も通わぬ道も、かつては隊商が駱駝に乗って通った道である。歴史家として彼はそこに何を見ていたのだろう。果たして人類は成長したといえるのだろうか。著者は声高に語ることはないが、書かれたものを読めば、その思いは読者の胸に迫る。淡々とした筆致で綴られた手記には、最後に物語のような思いもかけない幕切れが待っている。この旅に出ることで、彼はバーブルと出会うことができた。これを縁といわず何といえよう。原題“The Places in Between ”を『戦時のアフガニスタンを犬と歩く』とした訳者の思いがわかる気がした。