青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『時ありて』イアン・マクドナルド 下楠昌哉 訳

ロンドンにあるアパートの一室で本に埋まり、ネットで古書を売っている「私」は、有名な古書店の閉店に伴う在庫の処分品の中から、一冊の本を掘り当てた。E・L著とイニシャルだけが記された詩集で『時ありて』というタイトルだ。第二次世界大戦が専門分野である「私」は、普段なら手を出さないところだが、なぜか好奇心が働いた。刊行は一九三七年五月、イプスウィッチ。出版社は記されていない。紙も表紙の布地もいいものが使われている。中に何かが挟まっている。便箋が一枚。トムからベンに宛てたラブレターだった。

「私」を視点人物とする、手紙にまつわる謎を解いてゆくミステリー調の章と、シングル・ストリートに暮らす「ぼく」とE・Lとの出会いや運命の相手と関係を深めていく話が交互に語られる。「私」の専門が第二次世界大戦関連の戦争物だったというのがミソだ。手紙の中に書かれた地名その他から、だいたいの時期が推測できるからだ。それによると手紙が書かれたのは一九四二年十月。エジプトのエル・アラメインの戦いの最中だと見当がつく。一切合切をフェイスブックに投稿すると、翌朝にはイースト・アングリアから返事が来ていた。誰かがトムとベンを知っていたのだ。

ソーンという女性の曽祖父が従軍牧師としてエジプトにいたとき、二人に会っている。戦時中の記録が屋根裏に残っていて、写真もあるという。「私」はソーンのいるフェンランドに駆けつけた。ベン・セリグマンとトム・チャペルの名が、スフィンクスをバックにした写真の裏に書いてあった。「私」は許可を得たうえで写真を撮影し、一度目にした顔は絶対忘れない、という相貌認識の超能力を持つシャフルザードという帝国戦争博物館に勤める女性にメールで送った。五日後に面白い物を持っていると返事があった。彼女が見つけた写真は一九一五年にステネイシャムのパブの前で撮られているが、そこにトムとベンが写っていた。

面白いのは、二人が所属していたのはオスマン・トルコの大軍と戦っている最中に、消えたと言われる、第五ノーフォーク連隊だったのだ。そして、もう一つ不思議なのは二十年もたっている割には、エジプトで撮られた二人の顔があまり変わっていないことだった。さらに、もう一枚、ボスニア戦争の最中、一九九五年に撮影されたドキュメンタリー番組のビデオをコピーした写真の一枚にセリグマンとチャペルが写っていた。カメラに向かって微笑む二人の顔はどう見ても百五十歳には見えなかった。

どうやらトムとベンはいつも二人一緒にいられるわけではないのが手紙から分かる。二人は離れ離れになったとき、相手との通信手段として、欧州各国の大都市にある古くから続く古書肆に『時ありて』という詩集を売り、書棚に置かれた後、こっそり手紙をはさむ、という手を使っていた。ところが、ロンドンにある「黄金の頁」書店はつぶれてしまった。そして、偶然「私」がその手紙を手に入れることになったのだ。ネットで検索すると『時ありて』を置いている書店は他にもあり、中には複数置いている店もあった。ということは、いつかはそこにトムが顔を出す可能性がある。「私」は店を見張ることにした。

英国SF界の重鎮、イアン・マクドナルドの手になる、詩情溢れる一篇。時を超え、国の垣根を飛び越え、あらゆる戦場に顔を見せる二人はいったい何者なのか。どうしてそんなことが起きるのか。二人の秘密を覗き見た「私」はその謎を解くため、残された文書を手がかりに、関係者を訪ね歩き、真相に迫ってゆく。一方、トムのほうはシングル・ストリートで、軍の仕事の合間を縫ってベンとの束の間の逢瀬を愉しんでいた。こうして「私」が探り当てて行く事の真相とトムによって明かされる事実が一つに撚り合わされたとき、運命ともいえる邂逅に出会うことになる。

基本的には古書にはさまれた手紙の謎を追うミステリといっていいだろう。ある種のタイムトラベル物のSFともいえるが、量子論不確定性原理についてよく知らなくても、二十世紀後半のUFOやオカルト・ブームを知る年代なら十分楽しめる。男性同士の切ない恋愛と「私」とソーンの馴れ合い的な同棲生活との対比が利いているし、ソーンの祖父をはじめとするフェンランドの変人たちの奇矯な振舞いがいかにもイギリスの田舎町といった雰囲気を醸し出している。パリの古書店の迷路めいた佇まいと一風変わった棚づくりも本好きにはたまらない。砂利浜の続く向こうにそびえるマーテロ塔は『ユリシーズ』ファンならお馴染みの物件、といろいろと愉しみの尽きない趣向に満ちている。