青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『友達と親戚』エリザベス・ボウエン 太田良子訳

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第一次世界大戦は終わったが、次の大戦がすぐそこまできている、そんな時代のイギリスが舞台。ジェーン・オースティンでおなじみの姉妹の結婚問題が主たる話題。コッツウォルズの西の方チェルトナムに、ローレルとジャネットという姉妹が住んでいた。父はコランナ・ロッジの当主で退役軍人のスタダート大佐である。まず姉が結婚し、そのあとを追うように妹が婚約する。婚約相手はバッツ・アビーというカントリー・ハウスの領主にして、猛獣狩りで有名なコンシダインの甥のロドニー。バッツ・アビーの後継者でもある。

願ってもない良縁のようだが、落とし穴があった。姉の夫エドワードの母、レディ・エルフリーダには姦通罪に問われた過去があり、その相手が誰あろうコンシダイン・メガットだったのだ。スタダート家の方に異存はなかったが、離婚してすぐ父が死に、叔母たちによって母親の手からひったくられるようにバッキンガム・シャーに引き取られた五歳の少年にとって、母の不倫問題は避けては通れない過去であった。

仲の好い姉妹ではあったが、美しく愛らしいローレルに比べると、妹のジャネットは何ごとにも興味を持ちながら、その考えていることが両親にもよく分からない娘であった。ところが、ローレルの結婚式の日、その妹の中に「スタイル」ともいうべきものを見つけた者がいた。エルフリーダその人と、スタダート家の親戚のシオドラという十五歳の少女だった。シオドラは、ジャネットがエドワードを愛していることを一目で見抜き、そのジャネットに激しく惹かれてしまう。

波乱含みではあったが、ジャネットとロドニーは同じ年の十月に晴れて結婚。第二部「晴天の一週間」は十年後のバッツ・アビーが舞台。ローレルにはサイモンとアナという兄妹が、ジャネットにはハーマイオニーというアナと同い年の九歳の娘がいる。サイモンとアナはアビーの草地に寝転がるコンシダインにお話をせがんでいる。スタダート大佐は木陰の椅子で眠りこけ、ジャネットはグースベリーの具合を見るのに忙しい。エドワードの親友ルイスの目に映るこの牧歌的な風景は喩えようもなく美しく、あのイ―ヴリン・ウォーの『ブライヅへッドふたたび』を想起させずにはおかない。

ジャネットは人と人との結びつきを大事にする。ここでの暮らしを今ひとつ楽しめないコンシダインを気にかけていた。婚約が破棄されそうになったこともあり、メガット家はティルニー家の子どもたちの滞在中は、エルフリーダをアビーに寄せ付けないようにしていた。そんな時、エルフリーダのロンドン暮らしに問題が発生する。困っている彼女を放っておけず、ジャネットはアビーに招くことにした。それを知ったエドワードは子どもたちを取り返すため、慌ててアビーを訪れる。

子どもがそのまま大きくなったようなローレルと違って、自分なりの考えを持っているジャネットにエドワードは気後れして平静さを保てない。二人が二人だけで対峙する場面は、作中三度ある。最後の場面を除き、あとは二回とも緊張感で息がつまりそうだ。宙に浮いた言葉が、そのまま行き場をなくして部屋の中のあちこちに飛散し、強い想いは自分の裡に留められ、本心でない言葉だけが行き交う。その裏腹な思いを語り手が補綴することで、読者はやきもきしながら二人の会話に立ち会うことになる。

それでなくても、ボウエンの文章は難解で、話が途中で飛んだり、言いかけて言い淀んだり、いっこうに埒が明かない。何度も読み直し、首をひねりながらとにかく読み終えた。「訳者あとがき」で、発表当時から難解さで定評のある文体だったと知り、気を取り直して再読。語順が普通でなく、よく分からない部分は残るものの、作者のいうように、そこは「詩」なのだと思って読めば、緊張をはらんだ、繊細で詩情溢れる文章だともいえる。

お互いに顔を合わすことなく十年間もやり過ごしながら、突然激しくやり合う破目に陥ったのは、せっかくアビーに滞在しているのに、ジャネットにまともに相手されないことに業を煮やしたシオドラが、ローレルに不穏な手紙を書き、それを妻が夫に見せたことが原因だ。義妹の気持ちに気づいていたのか、全く知らなかったのかは分からないが、激しい言葉のやりとりを通して、エドワードはジャネットの中にあった自分への強い想いに気づく。

知らない間はよかったが、相手に知られてはもう隠してはおけない。二人とも自分の仕事にかかり切りで、色恋には疎かった。元のように距離を置いた二人だったが、一度顔を合わせると、抑えてきた気持ちは一気に激しく燃え上がる。肉体的な関係は何もないが、両家が再び「姦通」の汚名を着せられてはたまらない。子どもたちのことを考えればなおさらだ。二人きりで会えた最後の夜、二人は互いの気持ちを確認しながらも、これが最後だと思い切る。この二人の愛の切ないこと。

ジャネットにしてみれば、子どもの頃からずっと慕ってきた相手にやっと気持ちを知ってもらい、相手の気持ちを知った今、愛の歓喜に打ち震えながら、同時に別れを覚悟しなければならない。愛する男は姉の夫なのだ。母親の不倫がトラウマとなり、エルフリーダに「ナーサリー・ティー」と揶揄される、おままごとみたいな夫婦ごっこを演じてきたエドワードにとってはこれが初めての恋愛だった。やっと本気で向かい合える相手が見つかったと思ったら、相手は妻の妹だった。何という皮肉だろう。

「一九三〇年代になってフィクションに繰り返し扱われたテーマは、地理の重要性、心理的セクシュアリティを取り上げること、そして同性愛問題への関心の高まりであった」と「訳者あとがき」にある。実家のチェルトナム、ティルニー家の暮らすロンドン、それに、バッツ・アビーを人物が行き交うことでドラマが生まれ、「姦通」という<passion>(恋情・受難)を主題とし、シオドラという同性愛者をトリックスターとして擁する本作は、当時の小説の鑑といえる。今まで読んだボウエンの中で、これがいちばん好きかも知れない。多分、何度も読み返すことになるだろう。