青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『夕霧花園』 タン・トゥアンエン 宮崎一郎訳

テオ・ユンリンはマラヤ連邦裁判所判事を定年まで二年残して辞職した。誰にも言わなかったが、少し前から突発的に言葉の意味が理解できなくなる事態が生じていたからだ。優秀だが厳しいことで知られる判事だった。彼女には封印した過去がある。十九歳の時、日本軍がマラヤを強襲し、三歳年上の姉と共に強制収容所に入れられた。手袋で隠された左手の小指と薬指は、二本の鶏足を盗んだ代償として切断されていた。

彼女は生きて出られたが、姉のユンホンは生きて収容所を出ることはなかった。彼女は姉を見捨て、ひとり逃げのびた自分を認めることができなかった。日本軍に対する怒りと姉に対する負い目を封じ込めるため、硬い鎧のような自我を纏って生きてきたのだ。失語症の発症は自分のアイデンティティの危機を意味していた。彼女は封印していた過去と再び向き合うため、長い間背を向けていた「夕霧」を訪れることにした。

「夕霧」はアリトモという「天皇の庭師」だった男が作った日本庭園である。少女時代、家族で日本に旅行した際、姉のユンホンは京都で目にした日本庭園に魅せられた。苛酷な収容所での現実から逃避する場所として姉妹は頭の中に庭を作った。空腹も屈辱も架空の庭に逃げ込むことで辛うじて耐えた。戦争は終わったが、収容所のあった場所は秘密にされていたため、姉の遺体はどこにあるのかさえ分からなかった。

姉の代わりに庭を造ることを思いついたユンリンは、キャメロン高原で茶園を営む知人の紹介で、初めて「夕霧」を訪れた。二十八歳になっていた。アリトモは戦争で荒らされた「夕霧」の修復で手一杯だと依頼を断ったが、ここで仕事を手伝えば、庭の作り方を学ぶことができる、と言った。日本人に弟子入りすることに抵抗を覚えたが「夕霧」という庭の持つ魅力には勝てなかった。雨季が来るまでの半年間、人夫たちに混じって力仕事をすることにした。

アリトモが英訳した『作庭記』を読み、日々庭づくりに精進することで、彼女は庭の持つ深い意味を知る。また、毎朝弓を引くアリトモの姿に求道者の姿を見、自分も弓を習うようになる。それはただの武術ではなく、呼吸法を習得する術であり。無の境地を知るためのよすがであった。二人でいる時間が長くなるとともにわだかまりは薄れ、ユンリンとアリトモの間には師弟の距離を越えた感情が生まれはじめていた。雨季を迎えてもユンリンは「夕霧」にとどまった。そんなとき、日課の散歩に出かけたままアリトモは姿を消してしまう。

ユンリンが長い間捨てて顧みなかった「夕霧」を再訪することにしたのは、ヨシカワという歴史学者が浮世絵師でもあったアリトモの本を書きたいので、彼の遺した木版画を見せてほしいと言ってきたからだ。アリトモは生前「夕霧」内に建つ私邸や自作の著作権をユンリンに遺贈していた。ヨシカワからの手紙には先端に幾筋もの溝が刻まれた細い棒が同封されていた。その棒に興味を引かれ、ユンリンはヨシカワに会うことにした。この棒もそうだが、いくつもの伏線が張られて、回収されるのを待っている。ただひとつ回収されることがないのは消えたアリトモについての謎だ。

アリトモが戦後もマラヤに残っていたのは、そこを離れることができなかったからだ、という説がある。天皇の命令で近くの山に埋められた「山下財宝」を見張っているのだと。アリトモはただの噂話だと言って相手にしなかったが、ユンリンは収容所で「金の百合」のことを耳にしている。そういう秘密組織が東南アジア各地で金銀財宝を略奪し、海上ルートで日本に運ぼうとしたが、形勢悪化により断念し一時的に埋めて後で掘り出そうとした。だが、戦争に負けて果たせず、結果的に財宝は埋められたままだという。

ある日、一人の尼僧が「夕霧」を訪ねてきた。かつてアリトモと訪ねた高い山中にある「雲の寺」で会ったことがあるという。従軍慰安婦をしていたせいで、家郷に入れられず「雲の寺」を頼ったのだ。「雲の寺」にはそういう境遇の人が何人もいた。今ではユンリンも姉が自分といっしょに逃げなかった理由を知っている。何もなかったふりをして家族のもとに帰ることはできなかったのだ。なにより、妹が知っている。後ろを振り返らず、前を向いて逃げろ、と言った姉の言葉が耳に残る。

庭は生きている。人が手をかけなければ草は伸び、枝葉が繁り、作者の意図した形が失われてしまう。庭師は、死後自らその作品を守ることができない。庭作りの技術と思想は絶えず受け継がれていかなければならないのだ。アリトモが姿を消したとき、捨てられたと思ったユンリンは深く傷ついた。そして過去を封印し、クアラルンプールに戻った。しかし「夕霧」は傷つきながらも生きていた。傷は癒されねばならない。修復が済んだら「夕霧」を一般に公開しよう。アリトモの木版画も展示し、東屋の傍にユンホンの生涯を記した銘板も立てよう。自分もいつか死ぬ。「夕霧」を託せる庭師を育てなければならない。ユンリンにはまだすべきことがたくさんあった。