「やっとのことで薬から解放されました」
去年の暮れ、病院に行ったとき、検査結果を見ながら「これで安心して年を越せそうですね」と、笑顔で話す医師の声にようやく安堵した。それでも、慎重な医師は、もう二週間分の薬を処方し、これが切れたころにもう一度検査をして、その結果を見て投薬をやめることを告げたのだった。
昨日、その検査のため病院に行った。しばらく車に乗っていなかったニコは、久し振りに車に乗って、鳴きつづけたが、仕方がない。それでも聞いていると、以前ほどせっぱつまった声ではないような気がした。どこか甘えが混じった甘え鳴きのように聞こえてきたのだ。多分、結果が悪くないことが予想できている聞く側の気持ちの持ちようなのだろうが。
もうずっと、ニコは元気でいる。よく食べ、毎日排尿、排便し、よく遊び、よく寝る。猫という名前は「寝る子」から来たというのは俗説で、本当のところは、多くの動物がその鳴き声から名づけられたらしい。なるほど、「ニャーゴ」という鳴き声は、なんと「ネコ」に似ていることだろう。それはそれとして、夜行性動物である猫は、わたしたち人間が起きている時間はほとんど寝ている。多分、夜だって寝ているにちがいない。起きているときは、食べているか、トイレにいるか、僕と遊んでいる。そのどれも、たいして長い時間ではない。だから元気でいるというのは、食べ方だとか、便の具合だとか、遊び方で言うのだが、もっと食べたがるニコに、先生を悪者にして、これ以上太らせると病院でお父さんたちが先生に叱られる、といいながらあきらめさせているくらいだし、ほぼ毎日する便の色つやも硬さも申し分ない。
遊びについては、以前後ろ肢の具合の悪いのを心配していたが、あれがなんだったのかというほど元気に走り回っている。高いところに上ることも増え、この頃ではピアノの上までうかがう始末だ。思うに、長いケージ暮らしで、運動量が少なく、筋肉が発達していなかったのではないのだろうか。あるいは、運動の習慣がついていなかったのかもしれない。「じゃらし」を追いかけて走ったり、跳んだりしているうちに、それらが再生したにちがいない。
正月に長男の嫁が孫を連れて泊まっていった。その時だけはさすがに、おどおどした様子だったが、二日目には近くまで寄ってくるようになった。それでも、帰っていった次の日の朝、妻が椅子のうしろに吐瀉物があるのを発見した。ストレスのせいにちがいない。トイレに間に合わなかったのか、妻の部屋着の上に軟便がしてあるのも見つけた。普段とちがう環境に弱い動物なのだ。
医師の話では、ストレスによってFIPが再発することもあるらしい。吐いたことを問診で話したら、そうおどかされた。もし、吐いたことを言わなかったら、血液検査抜きで済ませる気だったようだ。真面目にすべてを伝えるというこちらの性格が裏目に出てしまっている。検査費用のことではない。ニコが痛い目に合わずにすんだかもしれなかったのに、ということだ。
いつもは、結果が出るまでキャリーを抱いたまま待合室で一時間は待たなければならないのだけれど、この日は病院の方も忙しそうで、検査の結果何か問題があったら電話をするということで、家に帰ってきたのだった。午後の診察が始まる四時を過ぎても電話のベルは鳴らず、診療時間の終わる七時を過ぎても鳴らなかった。これで、次回の検査まで、ニコは薬から解放されることになる。療法食ともおさらばで、何を食べさせようか、と考えるのも楽しくなる。問題は、もっと欲しいというように、この頃甘え鳴きをするようになったニコの要求をどうかわすかということだ。何でもしてやりたいが、体重は前回よりわずか50グラムしか減っていなかった。医師は、かすかに笑いを含んだ口調でそれをほのめかし、「がんばってください」と言い残して診察室の向こうへと戻っていった。カロリーの少ないカリカリを探すしかないだろう。それが美味しかったらいいのだけれど。