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青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『写字室の旅』ポール・オースター

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写字室というのは、中世ヨーロッパの修道院で写本をする人が使った部屋。映画『薔薇の名前』に、そういう部屋が出てきたのを覚えている人も多いだろう。他の使用に供さず、ただひたすら物語を紡ぐことだけのために用意された部屋。主人公が収監されている(らしい)簡素な四角い部屋のことを作家は写字室に喩えている。実際には浴室も付帯設備としてあるし、睡眠も食事もそこでとるわけだから厳密に言えば写字室と呼ぶのは誇張が過ぎるが、作中に出てくる小説のなかにもうひとつ鍵のかかった部屋が登場し、そこでも登場人物は原稿を綴っている。どうやら、二人のおかれた状況は似通っていて、彼らを「写字室」に閉じ込めた者たちによって物語を書くことを強制されているようだ。

老人は天井に仕掛けたカメラと録音機によって終日監視されていることを知らない、と冒頭に明かされている。つまり、この小説はその記録をもとにして書かれているわけだ。老人を監視し、彼の語る言葉に耳を傾けているのは誰なのか。如何なる理由によるのか薬漬けにされた老人の部屋には椅子と机があり、その上には何枚もの写真とホチキスで綴じられた原稿の束、他にボールペンと紙がある。

原稿は、コレラで妻と子を亡くした男が国の命を受け、叛逆者となった友人のあとを追い国境地帯に潜入し捉えられ、そこで書いた手記という体裁をとっている。しかし、未完であるため、続きを書くことが老人に求められている。それだけでなく、元警官を名乗る男がやってきて、老人に自分の見た夢について話すことを強要する。どうやら、次々と現われる訪問者たちは、みな老人によって苛酷な任務に就かされてきたらしい。アイデンティティを喪失した男に降りかかる難題。不条理な展開はオースターお気に入りのカフカを読むようだ。

老人が読む小説の作者の名がジョン・トラウズ。世話を焼いてくれる女性がアンナ・ブルームというあたりで、オースターの愛読者ならははあん、と思い当たるはず。ミスター・ブランクと呼ばれる老人は作家で、彼の前に現われる人物たちは彼が書いた小説の登場人物。アンナのように彼を愛するようになるまで書き込まれたヒロインもいれば、傍役もいる。創作された人物一人ひとりに人生が続いていたと仮定するなら、未完に終わった作品の人物や会話のなかだけに出てくる人物は、その後の人生をどう生きればいいのか、その答えを作家に訊きたくなるはず。これはそういう作家ならではの煩悶を小説にしたものである。

小説のモデルにされた人物が作家に対して異議申し立てを行うことは現実にある。作家たる者、自分のペンが生み出す人物には何らかの責任が伴う。モデルの有無にかかわらず、一人の人間を描くことは、作家側の視点で一面的に人物を判定しているわけで、繰り返すうちに無意識の裡に罪障感が募るのかもしれない。物書きでなくとも、われわれは日常的に他者を自分の主観によって判断し、ときには批判すらしている。若いうちならいざ知らず、齢を重ねてくれば、人生の途次で出逢ったり別れたりした人々との間に、多くの行き違いや擦れ違いを重ねて来ている。取り返しのつかない事どもに対する悔悟の念は募るばかりである。

老作家の足腰は弱り、自分ひとりで用を足すことすら覚束ない。子どものころの記憶は確かなのに現在の記憶は一日で消えてしまう。皮肉なのは性欲だけは健在なことだ。長年、彼がやってきたのは、多くの人間を思うように動かすことだった。想像上の人物であるとはいえ、相手の意思などこれっぽっちも考えてこなかった。創造主である作家は次第に老い、自由がきかなくなる。しかし、彼が創り出した人物たちは彼の死後も存在し続ける。

これまでもオースターは小説の中に自作の他の小説中の人物をさも実在の人物のように潜り込ませるという作者の特権を乱用した遊びを繰り返してきた。今回の作品がそれらと異なるのは、立場が逆転していることだ。この作品を書いているのは、登場人物である「私たち」を代表する匿名の「私」である。作者であることの権利は奪われはしないが、鍵のかかった部屋に閉じ込められ、窓の外を見ることすら許されず、ただひたすら人物たちの思考や行動を物語ることを義務づけられるのだ。随所に自虐的なユーモアが塗されてはいる。しかし、朝から夜までの一日の出来事を描き、小説の終わりがそのまま冒頭に戻る記述にも見られるように、円環構造がもつ逃げ場のない閉鎖的な状況に、作家の業のようなものが強く感じられ、この作家の書く物にはめずらしい息が詰まるような読後感を覚えた。