読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『第三帝国』 ロベルト・ボラーニョ

f:id:abraxasm:20161122182201j:plain

物騒なタイトルだと思ったら、ボード・ゲームの名前だった。ウォー・ゲームというから、やはりナチス・ドイツがらみであることに変わりはない。主人公ウドは、ボード・ゲームのドイツ・チャンピオン。会社で働く傍ら雑誌にゲーム評などを書いている。次回のイヴェントでは、「第三帝国」というウォー・ゲームのヴァリアントについて報告するべく、現在検討の真っ最中のはずなのだが、なぜか彼女のインゲボルクとカタルーニャ地方の海辺のホテルに滞在中。

夏のヴァカンス・シーズンのこと、ホテルはドイツやフランスからの避暑客でにぎわっていた。「僕」は、隣のホテルに宿泊中のチャーリーとハンナのカップルと知り合う。四人は連れ立って、ビーチに行ったり夜はディスコに繰り出したりして遊ぶ。チャーリーは地元の若者<狼>と<仔羊>とも仲良くなり、行きがかり上行動を共にするものの、「僕」はゲームのことが気になり、仲間から外れホテルに留まることが多くなる。ホテル経営者の妻フラウ・エルゼは、まだ少年だったころから憧れの美しい女性で、「僕」は彼女のことが忘れられなかった。

ヨーロッパからの避暑客でにぎわうスペインの海浜ホテルを舞台とするひと夏のヴァカンスもの。若い男女と年上の美しい人妻との三角関係の恋の行方を追うものかと思われたのだが、そこはボラーニョ。遺稿の中にあった初期長篇とはいえ、そんなラブ・ロマンスであろうはずはない。視点人物の「僕」が、一人ホテルに残ってフラウ・エルゼの気を引こうとはかない試みに現をぬかしている間に、バルセローナに出かけた一行は酒癖の悪いチャーリーがトラブルを起こしていた。

物書きを目指す「僕」は、せっかくビーチに来ても、インゲボルクをビーチに残してホテルにこもりがちな、今でいうゲームオタク。彼女との関係は次第にうすれ、フラウ・エルゼとはキスを交わす仲に。ハンナに暴力をふるったチャーリーは、ひとりウィンド・サーフィンをしているうちに姿を消してしまう。捜索隊によってサーフボードは発見されるがチャーリーは見つからない。ハンナは恋人の死が信じられず、帰国してしまう。「僕」はインゲボルクだけ先に帰し、自分はチャーリーが発見されるまでホテルに残る。

うっすらと死の影が漂い出したところで前半は終わる。九月に入り、ホテルから避暑客の姿が消えてゆく。ビーチにも町のレストランにも閑古鳥が鳴き、「僕」はドイツ人の自分が周囲から憎まれているのでは、という思いを抱くようになる。というのも、彼がホテルで特別に用意してもらったテーブルに広げたウォー・ゲームは、夏の避暑地には不似合いな代物で、客室係の女からは「あなた、ナチなの?」と訊かれるくらい目立っていたのだ。

チャーリーの遺体が発見されるまでの無聊を慰めるため、「僕」はビーチで貸ボート業をやっている<火傷>という男に「第三帝国」のゲームを教え、相手をさせることを思いつく。仕事を終え、夜になるとやってくる<火傷>には、仇名の通り、顔から胸にかけて醜い火傷の跡が大きく残っている。ネルーダやバジェホの詩を愛する<火傷>は南米生まれのようで、ひょっとするとその火傷は拷問のせいかも知れなかった。

チャーリーは死体で発見されるが、「僕」はホテルを去ろうとしない。フラウ・エルゼの夫の病は重く、彼女をものにするチャンスだからだ。暇つぶしに始めたゲームだったが<火傷>はゲームの腕を上げ、今や勝敗は予断を許さない。しかも、夜のビーチで<火傷>にゲームをコーチしている男はフラウ・エルゼの夫のようだ。女を争う男二人は、代理人を立てて賭け試合を行っていたことになる。ホテル経営者は「僕」に、<火傷>には気をつけよ、と脅しの言葉を口にする。「僕」はゲームをドイツ側で闘っていた。<火傷>にとって、ドイツの勝利だけは許せないことだというのだ。

昼間の現実の恋愛ゲームの進行ともつれあうように、夜のホテルの一室で、<火傷>と「僕」による第二次世界大戦における連合国側とドイツ軍との戦いが並行して進行してゆく。昼の恋愛ゲームは、「僕」のほうに分があるようだが、夜のウォー・ゲームのほうは、今や敗色が濃い。刻々と戦況が不利に傾く中、もし、このゲームに敗れたら、「僕」は<火傷>にどんな目に合わされるのか、という恐怖が徐々に募ってゆく。この辺のサスペンスの盛り上げは、読んでいてドキドキさせられる。

ついこの間も、アイドルがナチの軍服によく似たユニホームを着ていることが海外で問題になったばかりだが、たかが歌手の衣装くらいに目くじらを立てるなんて、という考え方は、ことナチス・ドイツについては通用しない。この小説でも、初めは愛好者といっても限られているウォー・ゲームのことだから、「僕」は少しも気にしていないが、夏が逝き、秋が訪れるころになると、ヨーロッパからの避暑客がすっかり去った海浜ホテルや町の人からの視線を気にするようになる。

ホテル従業員から慕われるフラウ・エルゼに横恋慕するドイツ人であり、トラブル・メーカーの死に関係した人物で、ウォー・ゲームでドイツ軍を率いるプレイヤーでもある「僕」は、望まれない客なのだ。自分は何もしていないつもりが、周囲からは邪魔者であり、闖入者であり、平穏な日常を脅かす不穏な人物となり果てる。世界は自分が考えているほど単純でも寛容でもない。周囲に自分と同質な群衆がたむろしている間はそれが感じられないだけで、保護色となっていた色彩が消えてしまえば、自分本来の色は周囲のそれから浮き上がって見える。単一民族だと思い込まされ、島国に暮らす日本人には分かりづらい感覚かも知れない。

一部はタイプ化されていたものの、後半部分は手書き原稿のまま残されていたというから、これが決定稿かどうか分からない。結末にはまだ手が入った可能性は残る。とはいえ、これはこれで完結している。才能に自信を持ちながらも、未来を扱いかねている若きクリエイターの鬱勃とした思いと年上の美しい女性に寄せる思慕とをみずみずしい筆致で描く一方で、世に隠れた悪に向けられた冷徹な視線の存在を仄めかす、その目配りは後の傑作を予言している。一人称限定視点による日記の体裁をとり、時系列に則ったシンプルな記述は平明で読み易い。ボラーニョ入門にふさわしい一冊といえよう。