『エンジン・サマー』、『リトル、ビッグ』で知られるSF、ファンタジー界にとどまらないジャンル横断的な作家ジョン・クロウリーのおよそ四半世紀にわたる短篇の中から12篇を発表年代順に配列した著者最新の日本オリジナル短篇集。寡作、しかも代表作『エヂプト』四部作が日本語に訳されていないという理不尽な状況下では、既刊の『ナイチンゲールは夜に歌う』と併せ、全短篇が網羅される今回の作品集の刊行はクロウリーのファンにとって朗報だろう。しかもそのうち七編が本邦初訳。
冒頭に置かれた表題作「古代の遺物」が、年代的には最も古く1977年に発表されている。大英帝国時代、英国には上流・中流階級の人々が社交を愉しむ場として各種のクラブがあった。同じような趣味を持つ男性会員がゆっくり酒を飲んだり煙草を吸ったりできる会員制の喫茶室兼社交場である。映画や小説でしか知らないくせに、その独特の雰囲気に憧れたものだ。まず、女性がいないことが気楽だし、独りでお茶を飲んだり食事を摂ったりすることもできる点がすこぶる宜しい。顔なじみの執事が相手をしてくれるところも好もしい。
大英帝国時代、各地に植民地を所有していた英国には旅行家や探検家が大勢いた。それらの人が所属したのが、トラベラーズ・クラブである。その喫煙室ではパイプ片手に植民地での物珍しい見聞を物語る紳士の姿がよく見られたという。それをもとに、P・G・ウッドハウスやダンセイニ卿らによって書かれたシリーズ物が大層評判を呼んだ。「古代の遺物」は、そのヴィクトリア朝旅行記のパスティーシュである。
語り手でまだ歳も若い「私」は、トラベラーズ・クラブにおけるサー・ジェフリーの話の聞き役をつとめていた。その夜の話題は一八八〇年代後半頃チェシャーで流行った「不倫疫病」の話。一人の農夫がパブで一杯やっているところを女房に猟銃で撃たれるという事件が皮切りだった。その地方一帯で亭主どもの不倫騒ぎが流行り病のように広がったのだ。事態を憂えた女房連がローマ法王に悪魔祓いを訴えるところまでいったという。
当時、サー・ジェフリーは一夜の座興で催眠術にかけられた男が、浮気体験を披露するところを目撃している。相手は貨物船に乗ってきたエジプト女のようだが、不可解なことに猫への呼びかけもまじる。騒ぎはいつの間にか有耶無耶になり、しばらくたったころ、エジプト帰りの考古学者に話を聞く機会があった。猫を神聖視したエジプトでは飼い猫が死ぬとミイラにしたという。王の墓場ならぬ猫の墓場まであったそうだ。発掘された大量の猫のミイラが運ばれたその先がチェシャーだった。ミイラの始末はどうなったのか。漂う葉巻の煙に巻かれたような感を覚えるユーモラスな稀譚。
親族の遺産を分配するため、ずっと音信のなかった甥と、若いころ毎夏を過ごした農場に車で向かうフィリッパは、今は聖職者になった甥が車の中で語る話を聞きながら、いつか農場を買いに現われたコンバーティブルに乗った男のことを思い出していた。甥は熱心に説いていた。「天国とは、自分が一番幸せでいられる場所です。あるいは、将来幸せになる場所でも、かつて幸せだった場所でもいい。天国に時間はないわけですから」と。そのとき、目の前に黒い長方形が現われる。思わずハンドルを切ったフィリッパが見たものは…。紅葉がはじまりかけた秋のハイウェイに少しずつ雨雲が広がるにつれ、変容を遂げる時間の相。自分にとっての「天国」とは何か、また果たして「地獄」は存在するのか、とついつい神学的議論に引き込まれてしまう読者に襲いかかる驚愕の結末。「彼女が死者に贈るもの」は本邦初訳というのが信じられない完成度の高さ。
クロウリーには有名な作家、例えば本作ならバイロン卿やヴァージニア・ウルフ本人が登場する作品があって、文学好きにはたまらない趣向なのだが、シェイクスピアに対する造詣の深さがうかがえるのが中篇「シェイクスピアのヒロインたちの少女時代」。演劇好きの少年少女のひと夏の経験を描いたボーイ・ミーツ・ガール物と読めるのだが、ひとつひねりが効かせてある。アメリカの田舎町で開催されるシェイクスピア・フェスティバルに参加するために集まった子どもたちのなかに二人はいた。シェイクスピアは誰かというお定まりの謎にまつわる様々なエピソードにからめて、運命の悪意に弄ばれる少年と少女の出会いと別離、そして再会をクロウリーならではの話術で物語る。魅力的な若い女性像の創出が、いつまでも心に残る感動を呼び起こす。