青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『ウォータースライドをのぼれ』ドン・ウィンズロウ 東江一紀 訳

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中国四川省ネヴァダの草原を舞台にした前二作と比べると、ずいぶんスケール・ダウンしたものだ。カレンの部屋や、ホテルの一室、キャンディの家といった狭苦しいところに、女性三人が閉じこもって、ガールズ・トークに精を出し、酒を飲んで大騒ぎするところは、まるで昔懐かしい『ルーシー・ショー』。今回のニールは、ルーシーの相手役を務める銀行の副頭取「ムーニーさん」の役どころ。

というわけで、ニール・ケアリー・シリーズ第四作は、シチュエーション・コメディ・タッチ。もちろん、タイトルにあるように、ヤマ場ではウォータースライドをのぼらなくちゃいけないので、野外のアクション・シーンも用意されてはいるんだけど、高いといってもプールに設けた滑り台なわけで、三千メートル級の峨眉山に挑んだニールにしてみればいかにもショボい。つまり、今回のニールの冒険は意図的に矮小化されているのだ。

なぜ、そんなことになってしまったかというと、断じて、そうすべきではなかったのに、性懲りもなくニールがコーヒーの匂いを嗅ぎ、あまつさえ飲んでしまったからだ。「断じて……するべきでなかった」という決まり文句で始まる、このシリーズ。ニールに簡単(?)な仕事を持ってくる養父のジョーの登場で始まるのがお約束。繰り返しには少しずつ変化があり、今回ニールはどこにも出かけない。対象の方がやってくる。

前作『高く孤独な道を行け』で殺人に手を染めたニールは、官憲の目を恐れ、長髪に髭という偽装までしてカレンの家に引き籠っていた。ジョーが手土産に「簡単な仕事」をぶら下げてやってきたのは、やっと金で解決がついたという知らせだ。ニールはジョーに、そろそろ引退したいと弱音を吐くが、家にジャグジーつきのテラスがほしいカレンは儲け話に乗り気になる。結婚前から主導権を握られているニールは、渋々ヒギンズ教授役を引き受ける。

ケーブル・テレビ・ネットワークの創設者で社長のジャック・ランディスが、事務所のタイピストをレイプするというスキャンダルが発生。その相手がポリー・バジェット。朋友会はランディスの会社の株主で、社長の追い落としをはかるハサウェイの依頼を受け、ポリーの弁護を引き受ける。しかし、裁判で証言させるにはひとつ問題が。ブルックリン育ちのポリーは発音も文法も無茶苦茶。それを矯正するのがニールに課された使命。流暢に話せるようになるまでマスコミから隠しておくにはネヴァダ州オースティンは絶好の場所だった。

外に出ることができない三人は、カレンの家でひたすら『マイ・フェア・レディ』のまねごとを延々と演じ続けるしかないわけだ。そこで、シチュエーション・コメディ風の設定が生きてくる。このイライザ役のポリーのセリフの日本語訳が、さすが東江一紀噴飯物のセリフが次から次へと繰り出され、まさに抱腹絶倒。ところが、頭隠して尻隠さず。上手の手から水が漏れ、隠れ家の在り処がばれてしまう。

ポリーを探していたのは、ランディスの妻のキャンディ。レイプ事件が夫の言うように嘘なのかどうか、本当のところを知りたいのだ。次にランディスと組んで、テーマ・パーク「キャンディランド」を建設中のマフィア、ジョーイ・フォーリオ。ポリーの証言で視聴率が落ちると資金繰りの目途が立たず、工事中止ともなれば中抜きの旨い汁が吸えなくなる。その他に、借金返済のため功を焦る落ち目の私立探偵ウォルター・ウィザーズ。更には得体の知れない殺し屋まで、危ない連中が先を争ってネヴァダにやってくるから、さあ大変。

もっとも、かつてジョーの憧れだった名探偵は今はアル中で、酒を見ると手を出さずにいられない最悪の状態。かたや、完璧な仕事をすることで知られている殺し屋は、バー<ブローガン>の番犬ブレジネフに手首を噛まれ、カレンに金属バットで背骨を叩かれ、這う這うの体で逃げ出す始末。威勢のいい女性陣と打って変わって、男性陣の登場シーンは、こてこてのスラップスティック仕立て。レギュラー陣以外の男たちは全員笑いのネタにされている。

そんな中、人妻キャンディに恋慕するモルモン教徒の元FBI捜査官チャック・ホワイティングが大活躍。麻薬課から引き抜いた部下の働きで盗聴は大成功。チャックの連絡を受けたキャンディがポリーの前に現れるから修羅場になるのは必至。ところが、初めこそ険悪だった二人の仲は急速に雪解けムードになり、いつの間にやら互いの立場を理解し合い、自分たちの置かれた境遇を憂える同士となってしまう。敵の敵は味方、というやつだ。

今回は、徹底して女性が主役。フェミニズムの旗幟鮮明で、ニールも手を焼くほど。もっとも、今のニールはカレンに夢中。朋友会はランディスの一件にマフィアが一枚噛んでいることを知り、ニールに手を引けといってくるが、金で手打ちにすることにポリーが応じず、カレンがそれを後押ししていては、ニールも後に引けない。策を講じて、ジョーに一役買ってもらい、ホワイティングがジョーイに盗聴器を仕掛け、一世一代の大博打を打つことに。

下っ端連中がドタバタ喜劇を演じている間、イーサン・キタリッジは服役中のマフィアの首魁に会って、事態の幕引きを図る。このマフィアのボスと朋友会会長の一対一の話し合いの場面が作中最もシリアス。一緒に仕事をしていても、イタリア系の人間を人並みに扱おうとしないアングロサクソンに対するイタリア系の恨みつらみの深さも凄いが、話がぶち壊しになるのも恐れず、犯罪に易々と手を染める相手を侮蔑するアングロサクソンの銀行家の腹の据わり具合も見事。だが、キタリッジは汚れ仕事に嫌気が差し、引退を考えはじめる。

主人公の成長に絡めてアメリカ社会を批判的に描くという構想で、二十世紀のピカレスクを目指したのが、ニール・ケアリー・シリーズ。ピカレスクは「悪者小説」とも呼ばれるが、「悪者」には括弧がつく。生まれのせいで、そうとしか生きられなかったからピカロ(悪者)になるのだ。娼婦の子というニールの設定が、まさにそれ。ニールがトバイアス・スモレットばかり読んでいるのにもわけがある。スモレットは十八世紀イギリスのピカレスク作家。ニールはピカロであることを自認していたのだ。

前作がウェスタン仕立てだったのは、当時大統領だったレーガンが、元はB級西部劇役者だったのを揶揄する趣向。今回、標的にされるのは国民的人気の仮面夫婦。舞台はポンペイを模したラス・ヴェガスのホテル、手抜き工事のテーマ・パーク、とまがいものばかり。アメリカの顔となる存在自体が虚像と化したことに対する痛烈な風刺である。しっかり者の妻のおかげで今の地位に着けたのに不倫に耽るジャックは、誰が見てもビル・クリントンだが、モニカ・ルインスキー事件が発覚するのは作品の発表後というから、作家の想像力というものの凄みを思い知らされる。