青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『砂漠で溺れるわけにはいかない』ドン・ウィンズロウ 東江一紀 訳

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何ごとにも終りがある。というわけで、これがシリーズ最終巻。最後になって一人称の探偵が話者を務めるハードボイルド小説のスタイルが戻ってきた。そうは言っても、カレンを話者にしてみたり、脇を務める登場人物の書簡、電話の録音、日記をそのまま本文に持ち込んでみたり、と多視点も採用している。ページ数も短めで、登場人物も限られている。何しろジョーでさえ電話で登場するだけだ。少し変化をつけたかったのかもしれない。

ピカレスクに付き物の社会批評が本作に欠けていることから、シリーズは前作で完結していて、本作は後日談と見る評者もいる。そういう見方もできなくはないが、生まれも育ちも悪いピカロ(悪者)が自分の一生を振り返る自伝形式の小説をピカレスクだというなら、自分の人生を語るにはニールはまだ若過ぎる。いつでもこの続きを書くことはできるわけで、作者としては、ここらで、一区切りつけておきたかったのではないだろうか。

というのも、ニールは一息つきたがっているからだ。相変わらず、ネヴァダ州オースティンのカレンの家に居候を決め込んでいるが、結婚を二カ月先に控えた今になって、突然カレンが子どもが欲しいと言い出したのだ。父の顔も知らず、麻薬中毒の娼婦の子として生まれたニールとしては、自分が親になることに抵抗がある。親に育ててもらっていないので、親というものがよく分からず、親になる覚悟ができていないのだ。

そんな時、ジョーから電話が入る。例の「簡単な仕事」だ。今回は仕事ともいえない雑用みたいなものだという。パームスプリングスに住む八十六歳の爺さんがラスヴェガスから帰ってこないので、連れ帰れという。ホテルの部屋番号も分かっているし、見張りもついている。上手くすれば日帰りで帰って来れて、ボーナスが手に入る。ニールは今度も断りかけるが、惻隠の情に訴えられて、結局引き受けてしまう。文句たれだが、ニールは本当は優しい子だ。そこに付け入るスキがある。ジョーはそれをよく知っている。

ところが、この爺さんが食わせ者だった。歳は取っているが、食欲も性欲もいっかな衰える様子はない。おまけによくしゃべる。次から次へと繰り出すギャグが途切れることがない。その昔、ストリップ小屋でショーの合間に客が飽きて帰らないように引き留めるのがコメディアンの役目だった。ストリップが下火になってからは、ラスヴェガスの一流の舞台で鍛えた。ナッティー・シルヴァーと言えば、泣く子も笑わせる芸人だったのだ。

アボットコステロという有名なお笑いコンビがいる。ナッティー・シルヴァーこと、ネイサン・シルヴァーマンは、そのコステロにギャグを教えたというから、古強者だ。今は引退しているが、誰彼つかまえては当時のネタを披露して笑わせるのが大のお気に入りときている。ヴェガスには当時のネイサンを知る者が多く、今でも喜んでつきあってくれる。当然、ニールにもそれを披露するが、早く連れ帰りたい一心のニールには付き合ってる暇がない。焦るあまり、深く考えもせず、少しの間老人から眼を離したすきに逃げられる。

ヴェガスはマフィアの街だ。当然、朋友会とのつきあいも深い。ニールはミッキー・ザ・Cという顔役に会い、ネイサンを探してもらう。ネイサンは飛び入りで舞台に立っていた。古いユダヤのジョークで客席は沸いていた。ニールはその様子を見て、焦っていた自分を反省し、一泊することにした。それが甘かった。翌朝、搭乗寸前になってから飛行機は嫌だといい出す。ジープに乗せようとすると軍用車は体に悪い。レンタカーが日本車だと知ると、真珠湾を忘れたか、とくる。

やっと借りたシヴォレーに乗せると、また牛の涎のごとく繰り返されるネタが始まる。「一塁にいるのは誰だ?」という超有名なギャグに、心底うんざりしていたニールがつきあわないでいるとネイサンが拗ねてしまう。心優しいニールはこの沈黙に耐えられず、車を停め、用を足して戻ると車が消えていた。警察署での警官とニールのやりとりがまるで掛け合い漫才。パトカーに同乗して後を追うと、車は見つかるものの、肝心のネイサンがいない。

いったいこうまでして帰るのを嫌がるのはなぜだろう? そう考えて自分の車を走らせていたとき、ネイサン発見。ところが、邪魔が入る。銃を持ったアラブ人が、自分が車で送るといってきかない。銃が出てきては、いうことを聞くしかない。車にのせられ、モハーヴェ砂漠を走行中、銃の奪い合いになり、ニールは車の底を撃ち抜いてしまう。ガソリンが漏れ出し、外へ逃げたとたん車は爆発炎上。三人は廃坑跡の小屋で夜を明かすことに。

焚火を囲んでネイサンが繰り出す持ちネタに仕方なく聞き入るうち、帰りたくなかった理由が分かった。その中に、放火は儲かる、という話がそれとなく挿入されているのだ。隣の家に男が放火しているのを見てしまったネイサンは、相手に脅され、身の危険を案じてヴェガスに逃げてきた。それを無理矢理ニールが連れ戻そうとするから、あれこれと難癖をつけて引き延ばしにかかっていたわけだ。

今回ニールを襲う危機は、坑道に放り込まれるというもの。あれほど高みを目指してきたニールが、乾き切った砂漠の中で坑道に溜まった雨水の中で溺れかけるというのが皮肉だ。定時連絡のないことを心配したジョーがヴェガスのミッキー・ザ・Cに電話し、ニールはからくも溺死を逃れる。ギャグは満載だが、ストーリーにひねりがなく、仕掛けも小振り。最後にしては、少々物足りない気がするが、銃を手にしても人を撃たないニールが戻ってきて、ファンとしては一安心。

ニールは他人と関わることが苦手。必要に迫られた時は、作り話や皮肉、嫌味で相手を翻弄してきた。しかし、延々としゃべり続ける相手につきあうのは初体験。自分のこらえ性のなさに否応なく向き合った今回の経験は有意義だ。子どもに舌先三寸は使えない。嫌でも正面から向き合うしかないのだ。今のニールにはまだそんなことはできない。モラトリアムの期間がいる。それで、この辺で一休みしようというわけだ。続編が書かれることになったら、この一篇はさしづめ幕間劇という扱いになるのだろう。ニールのその後を知りたい向きは『壊れた世界の者たちよ』をご覧あれ。