青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

湯川温泉

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年度初めから公私ともに多忙で、日ごろ極楽とんぼをきめこんでいる身としては、からだがいくつあっても足りないという感じ。した方がいいだろうけども、しなくてもかまわない仕事は一時おあずけにして、久しぶりにまだ訪れたことのない温泉の探索に出かけることにした。見当をつけたのは、那智勝浦にほど近い湯川温泉。勝浦では、あまりにも温泉地のイメージが強すぎて日帰り温泉道を極めようとする当方の趣旨に添いがたい。少し内陸部に入った湯川にはひなびた温泉地のにおいが漂うのだ。

高速休日千円のサービスも東日本大震災のあおりを食って早々と終了を決めた。現在無料化実験中の高速もいつまでも続くはずがない。我慢強さや団結力といった、この国のいいところも明らかにした震災だが、辛抱強く考えて問題の解決をはかるのでなく、どさくさ紛れにみそもくそも一緒くたにして卓袱台返ししてしまおうとするいい加減さもまた姿を現しつつある。要は、論理的に筋道を立てて粘り強く解決をはかろうとする力が備わっていないのだ。

この国の為政者や識者連中の悪口を言っていたら日が暮れる。まだ無料化実験中の高速道を大内山インターで出て、紀伊長島の道の駅で早い目の昼食。真鯛のあぶり丼の復活はどうやらなさそうだ。あきらめて海鮮丼にしようかと考えていたら、季節限定で「海鮮ちらし盛り合わせ」というのがあるではないか。ちらし寿司の上に様々な海鮮ネタを載せたこれなら、酢飯の上にネタという、こちらの欲求を満足させることができそうだ。

1000円というのは、ちょっと値が張るが、海鮮丼が870円ということを考えると、イクラに甘エビ、烏賊を加えたこちらの方がお値打ち感がある。見た目も豪華で、食べるのが惜しいくらいだ。酢飯の中には極小の賽の目切りにした筍、錦糸卵その他の具材がほどよく混じり、実に美味であった。

高速道路の工事が進み、いたるところに橋桁がにょきにょき頭をもたげている。山の多いこの辺では高速道路はトンネルと高架ばかりになる。日本の原風景を残していると賞される風景も切り崩され、造成された人工的な法面とコンクリートの橋桁ばかりが目立つ異様な姿に様変わりしていくようだ。

高速道終点の尾鷲を過ぎると、まだ花の残るソメイヨシノと、今が満開という枝垂れ桜が農家の庭先や川岸、駅舎の歩廊、とあちこちに咲き誇り、懐かしい風景に会うことができた。作家のなだいなだが、桜前線に大騒ぎする風潮を嗤い、返す刀で「桜も大和魂も大嫌い」と書いていたが、散り際の良さを愛でられて、軍国主義者に重用されたのは桜の罪ではあるまい。春のおぼろな霞がかった空にふうわりと薄紅色の桜の花はいかにも夢幻的でなんともいえない気分にさせてくれる。戦争には反対だが、桜をそんなに目の敵にしないでもいいのではないか。

新宮で、妻の好きな鈴焼きというお菓子を買って、まちなかを通りすぎる。メインストリートに並ぶ商店街が昔からあまり変わらないのがかえって好ましい。今は歌舞伎役者のおかみさんに納まったアイドルタレントが薬屋の店先に立てられた幟の中でかぜ薬をもってほほえんでいる。まるで時間が止まっているような町だ。

勝浦の大きなホテルを横に見て、少し走ると湯川温泉はすぐだった。思った通りひなびた雰囲気の湯治場で、あちこちに看板がある。前もって調べてきていないのはいつものこと。一通り走り回ってカンで決めるのだ。外れてもとって喰われはしない。「きよもん温泉」という看板につられて、駐車場に車を止めた。二、三台の先客がある。日帰り入浴が可能か、聞きにいった妻が両手で大きな○をつくっている。どうやら入れそうだ。

「日帰り入浴できますかって、聞いたら変な顔されちゃった。」「ここは、入浴施設ですよ」って。入湯料は500円。もちろん源泉かけ流し。消毒等の混入は一切なし。源泉温度は41℃で季節により加温はあるようだ。泉質は単純アルカリ泉。男湯と女湯が一つずつ、それに家族風呂が設けられている。渡り廊下を通って浴室に向かった。

脱衣場には無料のロッカーもあるが、昔ながらの脱衣かごの方が多い。さっそく着替えて浴室へ。曇りガラス越しに午後の日が差す明るい浴室は狭いながらも天井の高さで抜けが感じられる造りになっている。平成になってリニューアルされたというタイル貼りの浴槽が窓際いっぱいにあって、残りが洗い場というシンプルなものだ。

お湯の手触りはつるつるして美人の湯系なのだが、匂いにわずかだが温泉独特の硫黄臭が交じる。注意書きに貴金属は外してから入浴することとあったから、銀製品が真っ黒になるタイプの湯なのだろう。温度はちょうどいい熱さで長湯ができる。それに何より湯量が豊富。入り口に「かけ流し」ではなく「流しっぱなし」と書いてあったのは方便ではない。浴槽の縁から流れ落ちる湯を見ているだけで豪勢な気がしてくる。

すっかり温まって外に出た。壁に今上天皇が東宮のころ、この地で遊ばれたことへの礼を記した宮内庁からの毛筆の書状が額入りで飾ってあった。学生帽を被った屈託のない笑顔がまぶしい皇太子時代のモノクロ−ムの写真が添えてある。どうやら由緒のある温泉だったようだ。
妻は女湯で尾鷲から来た家族と一緒になって、伊勢から来たといったら「これから伊勢まで帰るんですか?」と驚かれたようだ。日帰り温泉がテーマだから、どんなに遠くても帰るしかない。

四時前に温泉を出て伊勢に着いたのは、六時半頃。月が上っていたが、空にはまだ日の名残があった。